第51話 二人だけの時間

 

「みいいぃぃぃぃぃなああぁぁぁっっっ!!! 起きないとぉ承知しないわよおおぉぉぉぉぉぉっっ!!!!!」

「ご、ごめんなさあああああぁぁぁーーーーーーいいぃっっっ!!!!!」


 窓から太陽の日差しが強く差し込んで部屋の温度も蒸し暑さを感じて顔を顰めて唸りながら眠っていた美奈であったが、リビングから聞こえる母の声に飛び跳ねるように起きる。


 美奈と沙耶が結ばれて、はや数か月。

 蝉の鳴き声は響き、窓からは強い日差しが差し込む。

 すっかり季節は夏に移り変わっていた。


 ・・・


「忘れ物はない? 大丈夫?」

「だいじょーぶっ! 行ってきまーすっ!!」


 数十分後、身支度を整え制服に着替えた美奈は玄関でローファーを履きながら背後の母の問いかけに答えながら、リボンで纏めたポニーテールを揺らしながら輝く太陽にも負けぬほど明るく快活に家から飛び出すように駆け出していく。


「気を付けて行ってらっしゃーい!」


 タタタタッと軽快に走りながら出会った近所の人々に晴れやかに挨拶をしていく美奈。

 その姿を玄関先から出て来た母は見送りながら声をかけると、声に気づいた美奈は振り返りながら嬉しそうに満面の笑みで手を振り、母もまた美奈の笑顔に負けじと笑みを見せながら手を振るのであった。


 ・・・


 過ごしやすい春の季節が過ぎて、輝く太陽が舗装されたアスファルトの道路の温度を上げる

 季節も移り変わってこの夏の季節の道路の上を美奈、沙耶、啓基の三人が並んで歩いていた。早朝という事もあってまだ過ごしやすくはあるが、太陽が昇ればどれだけ暑くなるか想像するのも憂鬱だ。


 三人とも制服は夏服に衣替えしており、学校指定のスラックスと半袖のカッターシャツの襟元にネクタイを結んだ啓基と同じく学校指定のシャツとネクタイの上に黒のベストを着用した美奈と沙耶は歩くたびにプリーツスカートを揺らしており、これが彼女達が通う白花学園の基本的な夏服だ。

 基本的と言ったのは生徒によっては例えば女子であればベストは着用せず、シャツのみであったりと生徒によって着こなしが変わっており、それが白花学園の校風が自由だと言われる一因なのかもしれない。


「へぇー……昌弘さん、一人暮らしするんだ」


 そんな白花学園に登校中の美奈達は何気ない談笑をしていた。

 話題に上がっているのは啓基の兄である昌弘であり、たった今、啓基から聞かされた内容に関心していた。美奈の言葉通り、昌弘は一人立ちする予定があるようだ。


「うん、もう引っ越し先は見つかったみたいだよ」

「一人暮らしか……。なんだか憧れるなぁ」


 しかも住居も決まっており、近いうちに実家を出るようだ。

 話を聞いていくにつれて自分にはまだ縁のない一人暮らしに憧れに似た感情を抱いているのだろう。自分がもしも一人暮らしを始めたら、そんな想像をぽわぽわと一人、美奈は頭の中で巡らせている。


「だらしない美奈ちゃんが一人で暮らせるとは思えませんが」

「まあ確かに」

「ちょっ、酷いよ。二人ともっ!」


 楽しそうに想像を働かせているところだが、だらしないところのある美奈が一人暮らし出来るとは到底思えないのか、呆れ交じりにため息をつく沙耶に啓基も苦笑しながら同意する。

 自分でもだらしない部分があるのは理解はしているが、そこまで酷いとは思ってないのだろう。二人の反応に心外だと言わんばかりにぷんぷんと抗議の声を上げており、二人は苦笑している。


「あっ、皆さん。おはようございますっ!」


 しかしこれまでとは違った事がある。

 学園へと続く道にあるバス停近くでスマートフォンを操作しながら佇んでいた綾乃は此方に向かってくる三人に気づくと、手を振って駆け出すと三人は口々に綾乃に挨拶を返す。


 改めて交際を始めた啓基と綾乃。

 いつからだっただろうか、美奈達三人の登校の中に綾乃も加わり始めたのだ。最初は美奈も啓基が目当てなのだろうから、気を遣って二人で登校させようとしていたのだが、寧ろ皆で登校したいという綾乃の意志でこうやって今までの三人に綾乃を交えて登校している。


 もっとも綾乃は美奈と沙耶の関係を知らない。

 あくまで綾乃にとって沙耶は美奈を慕っている無愛想(クール)な後輩といった認識でしかない。これは美奈も啓基もいくら何でも必要以上に美奈と沙耶の関係を明かす必要はないと判断しての事であった。


 今では美奈と和解した啓基でさえまだ同性愛そのものは抵抗があるのだ。

 綾乃の事を信用していないというわけではないが、カミングアウトすることによって発生するかもしれないいらぬ混乱や起きうるかもしれない問題を考慮した上での判断であった。


 ・・・


「美奈は今日も沙耶ちゃんと食べるの?」

「そのつもりっ」


 白花学園に到着してから昼休みまで時間が経過した。

 学生達が食堂などに向かったり一緒に昼食をとろうと声をかけたりと思い思いの行動を起こす中、玲菜に声をかけられた美奈は今から沙耶に会えるのが待ちきれないのだろう。まさに子供のような無垢で愛らしい笑顔を浮かべる美奈に玲奈も惚れっ気を聞かされているかのようでついつい苦笑してしまう。


「みぃーなぁーちゃぁぁぁぁん……」

「ひぃっ!?」


 玲菜もそれならばもう引き留めるわけにはいかないと送り出そうとするのだが、美奈の背後から地を這うような未希の声が聞こえたかと思えば軽い衝撃と共に後ろから下腹部に腕を回され締め付けられてしまい短い悲鳴をあげてしまう。


「恋人が出来れば私達を切り捨てるのぉぉぉ……? フリーな私達には用はないってことなのおぉぉぉ……!?」

「ひゃあぁ!? ち、違うよ! それに前よりはまた一緒にご飯も食べるようになったじゃん!?」


 そのまま這い上がるように美奈の胸を掴んでそのまま覆い被さる未希。

 恨めしそうな声と共に垂れる彼女のトレードマークであるツインテールを尻目にわしわしと自身の胸を揉まれる美奈は頬を僅かに紅潮させて吐息交じりの悲鳴をあげながらも何とか未希を落ち着かせようとする。


 沙耶と付き合ってからと言うもの、沙耶との時間も多くなり昼食も沙耶ととる事が多くなった美奈。今ではそこに玲奈や未希を交えるか、沙耶と交際する以前と同じでこの三人で昼食をとるかにしていたのだが、それでも沙耶と二人だけの時間が多く、美奈のいない寂しさから不満に思った未希はこんな暴挙に出た訳だ。


「はいはい、あんまりやり過ぎると迷惑だから止めようねー。今日は私と二人で食べようねー」

「今日もだよおぉぉぉぉ! 努力や勝利だけじゃなくて友情も大事なんだよおぉぉぉぉぉっ!!」


 恨み事を吐きながら延々と覆い被さって美奈の胸を揉み続ける未希を見かね、まるで子供をあやすような口調で未希を後ろから羽交い絞めにして美奈から遠ざける玲奈。しかしそれでも未希が纏う負のオーラは消える事はなく、遠ざかった美奈を逃さないとばかりにわなわなと手を伸ばしている。


「分かった! じゃあ今度、ブレストのイベントに一緒に行こう! それでどうかな!?」

「……分かったよぅ」


 このままでは沙耶に会いに行っても後ろ髪を引かれてしまう。

 パッと両手を合わせながらツインテールがユラユラと負のオーラに乗るように揺らしている未希に妥協案を提案すると、渋々納得し溢れ出ていた負のオーラも少しずつ収まって行き、安心した美奈は苦笑する玲菜と肩を竦め合いながらでも「ゴメンね」と未希だけではなく、玲菜も合わせてちゃんと埋め合わせすると伝えて教室を出るのであった。


 ・・・


「……なるほど。それで遅れたわけですが」

「ゴメンね。ほっぽりぱなしって訳じゃないんだけど未希ちゃん、寂しがってたみたいで」


 ようやく沙耶と合流して身を寄せ合って昼食をとっていた美奈。

 場所は裏庭であり、屋上や中庭に比べて人気(ひとけ)はなく半ば二人だけの空間となるこの場所と今、二人が寄りかかって座る背後に立つ大木から生い茂る木々は太陽の強い日差しは抑えてくれて中々過ごしやすくもあり、いつしか美奈と沙耶だけのお気に入りの場所になっていた。


 そんな中、沙耶と昼食を食べ終え時間が許す限り、談笑をしていた美奈は先程、未希との間に起こった出来事を明かすと、多少なりとも待っていた理由はそれかと納得している沙耶に未希もだが、何より待たせてしまった事を申し訳なく感じて謝る。


「いえ木村先輩の言う通り、友情も大切なのかもしれません。木村先輩達との時間も大切にしてあげてください」

「……うん、そのつもりなんだけど、やっぱり両立って難しいね」


 友情は沙耶からすればあまりピンとは来ないが、それでも尊く大切な感情なのだろう。

 自分との時間も大切にしてほしいが、友人達との時間も大切にしてほしい。美奈も蔑ろにしているわけではないが、それでも無意識にでも優先順位は沙耶との時間が断トツであり、どうしても未希達友人たちの時間が減ってしまっているのもまた事実。


 最近の美奈の悩みと言えば、恋愛と友情への時間の使い方だろう。

 どっちも大切でどちらも尊いからこそ、恋人にも友人達にも寂しい想いをさせたくはない。


「私は大丈夫ですよ。美奈ちゃんをこうして近くに感じて触れ合うことが出来るのであれば」


 恋愛も友情も大切だからこそ悩んでいる美奈だが、やはり美奈には悩んだ顔は似合わない。

 美奈を勇気づけて後押しするかのように左隣りに座る彼女の手に自身の手を添えながら此方に顔を向ける美奈に慈しむような微笑みを向ける。


 今、この時間は沙耶を何よりも満たしてくれるかけがえのない時間。

 今でこそ悩んでいるが、何れは美奈だって上手く時間の使い方を見出せるだろう。それまで多少寂しくても待つことは厭わないし、それに互いに口に出さなくとも互いの想いを分かり合って同じものとしているのであればそれだけで心に温もりが灯される。


「……うん、ありがとう。ねえ、沙耶ちゃん」

「……何ですか?」


 沙耶の言葉と手に感じる彼女の温もりに安心するように微笑んだ美奈は沙耶に身体を向け瞳を潤ませ、どこか上気した表情を沙耶に向けると沙耶もゆっくりと美奈に向き直り、美奈の言葉の続きを待つ。


「……二人っきり……なんだよ……? もっと近くで……感じ合おうよ」


 遠回しに甘い響きを纏わせながら求めるような口ぶりで美奈は自分の右手に添えられた沙耶の手に更に自分の左手を重ねるとなにか期待するように沙耶の瞳だけをまっすぐ見て、目を細めていきやがてゆっくりと閉じる。


 その言葉の意味を理解した沙耶は微笑を零しながらもう言葉は不必要だとばかりに何も言わずに美奈の頬に空いた手を添えるとゆっくりと美奈の唇に顔を近づけ、口づけを交わすのであった……。

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