第50話 境界線を越えて
土曜日の朝、温かな太陽の日差しを背に受け、沙耶は一人で霊園にいた。
早朝と言う事もあって、自分以外の霊園に人の気配はない。精々行き交う車の走行音が遠巻きに聞こえてくるのみだろう。
今目の前にあるのは寺内の名が刻まれた墓石の前。
国産の代表する希少な石で作られた墓石や通いやすい土地、また墓の区画内だけではなく霊園全体の隅々まで行き届いた清掃はそれだけこの霊園が他より金がかけられた高級霊園なのが分かる。
「……今の私をアナタが知れば……何と思いますか?」
墓の前でしゃがみながら沙耶は決して返ってくることのない問い掛けをする。
その相手はこの墓の下に眠る厳しかった祖母へあてたものだ。
同性愛を嫌悪していた祖母は今の自分と美奈との関係を知れば激怒するだろう。
もしかしたらそれだけでは済まないかもしれない。
所詮、自分はまだ生かされている立場。
いくら家に父がいないから一人で家事を済ませていると言っても、それは父からの財力があってこそ。あの家に住めるのも、身の回りの生活必需品を買い揃えられ、今の生活が出来るのも全ては親のお陰。
父も同性愛には生理的に受け付けないと難色を示していた。
もしも美奈との関係を知れば下手をすれば、寺内の家を出ろとまで言われるかもしれない。
(今更、迷うものか)
墓石に刻まれた寺内の名を鋭く見据える沙耶。
今の美奈との関係は生半可な覚悟で推し進めた訳ではない。
名を捨てることも、この墓の下で眠れないことも覚悟している。
子供の甘い考えと鼻で笑われ一蹴されるかもしれない。
いくら人に笑われ、蔑ろにされようとも構わない。
例え全てに拒絶され最悪の結末が待っていたとしても美奈と生きて行けるのであれば自分はそれだけで構わない。もしそうなったときの為に二人で生きて行ける術を手に入れなくてはいけない。
その為に家だろうが何だろうが全てを利用させてもらう。
狡い人間と言われるかもしれない。
だが折角、あの家に生まれ落ちたのだ。
利用できるものは今のうちに利用しなくては勿体ないと言うもの。
「これが最後の挨拶になるかもしれませんね」
今にして思えば浅はかな行動が招いたとはいえ啓基に自分達の関係が発覚した。
今でこそ解決はしたようだが、この先どんな拍子で美奈との関係が露呈するかも分からない。その時、一体自分達の身に何が降りかかるかも、だ。
それでも自分は美奈がいればそれで構わない。
美奈の変わらない笑顔の傍らにいられるのであれば、彼女の目が自分に向けられているのであれば乗り越えていける。
これはある意味で意思表明であり、誓いなのかもしれない。
もうこの墓前に立つことも、寺内の名を捨てることになったとしても美奈と生きていく。
こんなに人を好きになったの美奈だけなのだ。
一生の中で最初で最後の恋と言っても差し支えないかもしれない。
美奈がいたからこそ自分の世界は鮮やかに色づいていったのだ。
自分を受け入れてくれた美奈のありのままを愛し、自分の全てを捧げる。
確固たる意志を表すようにしかと地に足を踏みしめて墓石に背を向けて沙耶は庭園を去っていく。
・・・
「沙耶ちゃんっ!」
霊園を出た沙耶は駅前にやって来ていた。
土曜日と言う事もあり、それなりに人が溢れるなか沙耶は壁に寄りかかっている美奈の姿を見つけると、美奈も気づいたのだろう。沙耶に会えた事が嬉しいのか、途端に晴れやかな表情を浮かべ声を弾ませながら沙耶に手を振る。その姿に沙耶は柔和に微笑みながら美奈と合流する。
「お待たせしました」
「大丈夫っ、私も来たばかりだし!」
約束の時間の前には来たが、どうやら美奈の方が早く着いてしまったようだ。
美奈を待たせてしまった事を申し訳なく思っている沙耶に美奈は気遣わせない為にその手を取りながら笑い、腕に感じる美奈の体温に沙耶は尊さを感じるように目を細めている。
挨拶もそこそこに二人は時間が惜しいとばかりに行動を始める。今日は二人が結ばれて初めてのデート、故に一分一秒が惜しいのだ。二人はこれから行く場所への談笑をしながら電子マネーを使って、改札を通り駅のホームへ向かっていく。
電車に数十分、揺られて美奈と沙耶が訪れたのは秋葉原。
二人で来たのは、美奈が好きなゲームの限定コラボカフェがオープンした時以来であろう。
「まさか沙耶ちゃんからブレストのカフェに行こうなんて言うとは思わなかったよ」
10時を回ったところではあるが、秋葉原は人で賑わっていた。
今、美奈と沙耶が並んでいるのは二人が訪れた事のあるゲーム会社が運営しているカフェだ。実は今日、美奈や未希がプレイしているブレイブストライカーのコラボ第二弾であり、店舗の外装にはかつてと同じくゲームに登場するキャラクターの立ち絵が張られていた。そして何より今日、この場所をデートの場に選んだのは沙耶であった。あの時は付き合いで一緒に来てくれたようだが、まさか沙耶から誘われるとは思っていなかったのだろう。美奈はいまだに心底、意外そうにしている。
「……私も……始めましたから」
沙耶とゲームとではイメージがあまり湧き辛い。
自分でもそう思っているのだろう。
どこか照れくさそうに美奈から視線を逸らしながら呟くような小さな声でブレイブストライカーを始めた事を明かす。
「えっ!? ホント!? 沙耶ちゃんが初めてくれるなんて嬉しいよーっ! ねぇねぇフレンド登録しよっ!」
「分かりましたから落ち着いてください」
よもや沙耶がわざわざダウンロードしてゲームをプレイしてくれるとは思ってはいなかったのだろう。にわかに信じがたいように驚きながらでも途端に嬉しそうに美奈はまるで子犬がじゃれるかのように沙耶の肩に触れながら寄り添い、自身のスマートフォンでゲーム画面を表示して相互フレンド登録を行おうとする。ここまで喜んでくれている事に初めて良かったと思いつつ、苦笑しながら美奈を窘めつつ美奈の言う通り、フレンド登録を行う。
沙耶がこのゲームを始めたのは偏(ひとえ)に美奈がプレイしているからだろう。何か話題の種にでもなれば気晴らしに始めたのがそもそものきっかけ。いざ始めて見れば、そこまで悪くもなく気晴らし程度に進めるのも悪くはないだろう。
・・・
「はぁーっ……楽しかったぁ……」
時刻はもう夕暮れ時、空は茜色に染まっている。
かつて沙耶と出かけた時は少々肌寒かったが、季節も過ぎていき心地が良いくらいの気温だ。駅からの帰り道に人通りのない橋の上を歩きながら、美奈は背伸びをしながら今日のデートを振り返る。
楽しい時間はすぐに過ぎていくとはよく言ったものだ。
最初こそデートだと意識していても、その意識も二人で過ごしていくうちに頭の名から消え去り、純粋に二人の時間を楽しんでいた。
「ここが……始まりでしたね」
ふと歩く速度を弱め、橋の欄干に手を駆けながらしみじみと呟く沙耶の声に振り返る。
確かに今日のように沙耶と出かけた帰り道に沙耶にこの橋の上で唇を奪われたのが始まり。あの時はただただ沙耶の好意に戸惑っていたが、今では沙耶を受け入れ、彼女を愛している。あの時の自分が今の自分を見たら、どう思うかと美奈は笑みをこぼしながら沙耶に歩み寄る。
「色んなことがあったよね」
「……きっとこれからも色んなことがあるでしょう」
だが沙耶と結ばれるまで決して平坦な道ではなかった。
美奈なりに様々な葛藤を経て、沙耶との関係を築いた。
結ばれてからも啓基に自分達の関係が発覚したり、綾乃と関係が出来たりと結ばれてからも問題はあった。それでも今は乗り越える事は出来た。
美奈と沙耶だけで解決したわけではない。
玲奈や未希、それに美奈達は知らなくとも昌弘や和葉、親身になり動いてくれた周りの人々がいてくれた。拒絶されるかもしれないと考えても、受け入れてくれる人物も確かにいたのだ。
だがこれはまだ始まりに過ぎない。
きっとこれからも同性愛を選択した限り、様々な問題に直面し、心引き裂かれ、涙を流してしまう事もあるだろう。
「……でも私がいます。何があったとしてもアナタを守り続けます」
そうなったとしても沙耶は美奈を愛し、尽くし続ける。
例え涙を流したとしても、涙が乾く頃には二人で笑い合えるように。
その為にいつだって美奈の傍で、美奈を守り続ける。
美奈は影の中にいた自分を照らしてくれた太陽だ。
その太陽が雲に覆われてしまうのであれば、その雲を払い、いつまでも太陽が輝けるようにしよう。
「……守ってくれるのは嬉しいよ。でもね、どうせだったら二人で支え合って生きて行こうよ」
沙耶の好意は純粋に嬉しくて愛おしい。
それこそ沙耶は美奈を守るために同性愛で非難されたとしても矢面に立って美奈を守るつもりなのだろう。
美奈が傷つくようならば、その傷が癒えるまで傍に寄り添ってくれる。
だがそれでは沙耶が受けた傷はどうなっていくのだろう。
美奈の傍にいられればそれで良いと沙耶は言うかもしれないが、それでは美奈が納得できない。沙耶の好意に甘えてしまうのは楽だが、それでは沙耶の傍にいる資格もない。
美奈を沙耶が守ると言うように、美奈だって沙耶を守りたいと言う想いがあるのだ。
その為の強さを手に入れたい、沙耶と生きて行くだけの力が欲しい。
守る守られるのではなく、寄り添い支え合うような関係でありたい。
そうすれば、いつの日もこれから先の未来も苦難を味わったとしても最後には笑い合えるだろう。
年を取って老いていったとしても笑顔で皺を作っていけるかもしれない。
「うん……。美奈ちゃん……愛してる」
「私も愛してるよ、沙耶ちゃん」
友情と愛情の境界線が二人の間にあった。
悩み、苦しみ、傷つけ、だがその境界線を越えて、二人は結ばれた。
二人の表情に白い百合の花のような可憐な笑顔の花が咲く。
自然と二人は抱き合い、互いの温度を、香りを、存在を感じ合う。
もう二人は傍にいて当たり前であり、互いが欠け合う事など考えられない。
夕暮れの中、互いに優しく寄り添いあい、どちらかではなく自然と唇を重ねる。
その口づけは強引なモノでも、片方の意思を無視したものでもない。
ただ柔らかくそよ風のような優しい愛する者へのキス。
言葉だけではなく、互いの見えない想いを感じるような口づけ。
もう今の二人には何もいらない、一緒にいるだけで幸福が満たされるのだ。
夕焼けの茜色の空の下の橋で二人はこれからもどんな苦難も幸福も共に分かち合い、いつだって寄り添い支え合うことを誓うように口を重ね合うのであった……。
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