第42話 その想いが尊いのなら
「ほら食え食え。俺の奢りだぞ」
シャルロットコーヒーでは少しずつ客足も増えていき、美奈や玲奈達が慌ただしく動いている。その中で昌弘は注文したハムやレタス、タマゴペーストがぎっしり詰まったボリューム満点のミックスサンドや焼けたチーズの下から薄っすら見えるトマトやピーマンが乗ったビザトーストを見やりながら向かい側に座っている和葉に勧める。
先程から和葉は同じく注文したアイスオーレは飲んでいるもののどこか食べる事を渋っているのだ。会計は自分が持つため渋っている和葉に何を遠慮しているのだと不思議がる。
「いや奢りなんでしょ……。さっきもこの帽子買ってくれたし……。なんだったら私も出すし……」
だが和葉からしてみれば奢りだからこそ遠慮する部分もあるようだ。
膝の上に置いていたペレー帽を抱きながら視線を伏せて遠慮がちに呟くように答える。帽子が可愛いとは言ったが、まさか買ってくれるとは思ってはいなかった。流石に奢りっ放しと言うのは気が引けるのだろう。和葉は今月のもはや少なくなってしまった小遣いの為、出せる額など高が知れているが、それを出そうとする。
「お前は変なとこを気にするよなー……。っつーか、俺が食いたいもん頼んだだけだし、食い切れなかったら俺が困んだよ。良いか、飯は遠慮しながら食うもんじゃねぇ。楽しみながら食うんだ。じゃないと人を良くするって書く食って言葉が成り立たねえだろ」
和葉が遠慮していた理由を聞いて、どこか呆れたように苦笑する昌弘。
そのまま頬杖をつきながら優し気な微笑みを浮かべながら和葉に気遣わせないように諭すように答える。特に昌弘は調理師学校を卒業して普段は飲食店に勤めているからこそ余計にそう思う部分があるのだろう。そんな兄の言葉を真正面から受けて、和葉はペレー帽を膝の上に置きながら僅かに俯くと、すぐに顔を上げる。
「うん……。いただきまーす!」
「はい、いただきます」
にこっと可愛らしい笑みを浮かべながら手を合わせる和葉。
その様子に満足そうに頷きながら昌弘も手を合わせて漸く食事を始める。用意された小皿に取り分けながら和葉と共に食べ始めると一口、口に含んだ瞬間口内に広がっていく様々な食材によって生み出される豊かな味に二人は笑顔に華を咲かせて本来の目的である啓基達もそっちのけで楽しそうに談笑をしながら食事に集中する。
「美味しいですね、ここのケーキ。啓基君もどうです?」
「いや……俺は良いよ。甘いものは得意じゃないし……」
一方、近くの席でヒメフォークで食べやすく切った真っ白なベイクドレアチーズケーキを食べ、ほころぶ綾乃。舌鼓を打ちながら向かい側でブレンドコーヒーを静かにすすっている啓基にも勧めるが首を横に振られてしまう。特に特出して甘い訳ではないのだが啓基の様子を見る限り、これ以上勧めても食べないだろう。味を共有できないのは少々残念だが、啓基が断るのでは仕方がない。
「他に何か食べないんですか?」
「うーん……あんまりお腹が空いてなくてさ……。それにドリンクサービスのビスケットもあるし十分だよ」
綾乃は再び切り取ったケーキを口に運ぼうとしながらコーヒー以外を注文しなかった啓基を疑問に思う。
時刻としてはもう19時を過ぎている。そろそろ小腹が空いてきたとしてもおかしくはない筈だ。しかし啓基はコーヒー以外を注文する気配もない。その事でどこか心配そうな表情を向ける綾乃に啓基はやんわりと苦笑しながら豆皿の上に乗った一枚のビスケットを見やる。
ほんのりとした塩味が効いているこのビスケットは中々コーヒーとの相性が良い。このビスケットだけがまとめ売りされて物販で買えるくらいだ。しかも中々売れ行きも良いと聞く。なにかあればこれを食べれば良い。
その事にどこか釈然としないがそうは言っているので一応、納得した様子を見せる綾乃。その様子に苦笑しながらも啓基は近くの窓の表面にうっすらと浮かぶ自身の顔を見やる。
啓基はコーヒー以外に手を付けないのは他にも理由があった。
それは綾乃に関することだ。
先程聞いた綾乃の自分に好意を抱いて告白してきたまでの理由。
あの直後、重たい空気が流れたが時間も過ぎて少しは柔らかくなった。だがそれでも啓基の頭にはあの話が片隅に残っているのだ。お陰でなにかを食べようという気にもなれなかった。
・・・
「こちらお釣りとレシートです」
結局、その後碌に多くの会話もしないまま会計をする事となった啓基と綾乃。
またそこでブレスレットの時と同じようにどちらが払うかどうかで揉めたわけだが結局、半ば押し切るように啓基が払うことになりレジで美奈から笑顔を向けられながら釣り銭とレシートを受け取る。
「二人とも今日は来てくれてありがと。その……ケーキはもう来てくれないって思ってたから……」
シャルロットコーヒーの従業員ではなく小山美奈として二人に礼を言う美奈。そのまま釣り銭とレシートを渡した啓基を見やりながら寂しそうな笑みを浮かべる。その笑顔は啓基にとってあまり直視できないものなのか、どこか視線を泳がせてしまっている。
「良かったらその……っ……また来てほしいな……」
「……うん、また来るよ」
その反応がやはり以前のような関係には戻れないのだと美奈を物悲しくさせる。
そのまま弱々しい笑みを浮かべながらまたこうして来てくれることを願うと啓基は静かに約束する。まさかそう言ってくれるとは思っていなかったのだろう。たちまち美奈の表情は明るいものとなり、「うんっ!」とにこやかに可憐な笑みを浮かべる。
人を魅了し、晴れやかな気持ちにさせるその笑顔は啓基が好きだった笑顔。まるでつられるように啓基も美奈をチラリと見て微かに笑う。
「……行きましょう? 小山さん、また学校で」
「う、うん……」
しかしそんな二人の様子をつまらなさそうに、それこそ気に入らなさそうに見ていた綾乃は啓基の腕を取り、美奈にどこか冷たく言い放つとその態度に戸惑いながらも綾乃と啓基が店から出て行くのを見送る。
「ん……? よし……そろそろ俺達も帰るか」
「もう少し居たいよー」
片付けやすいように食べ終えた空いた皿を纏めた昌弘が啓基達が出て行ったのを確認すると伝票を手に取る。昌弘に声をかけられ、今まで店の本棚にあった雑誌を読んでいた和葉は居心地の良さからまさに子供のように渋っている。
「仕方ねぇだろ。目的は啓基達なんだし、どうせあの後、アイツが帰ってきたら俺の部屋に来るのは目に見えてんだ」
「マーサの部屋の始まりだね。ドゥールルッルルルッルールルールルルッルールールールールー♪」
「お昼の番組かよ」
あくまでポートシティ新二郷に来たのは啓基達の様子を見る為。
注文する前に啓基達から感じた重たい空気などから察する限り、啓基が自身の部屋にまた相談に来ることは確信していた。そのことに冗談を言いながら聞き覚えのあるようなメロディを鼻歌で歌う和葉に苦笑しながら昌弘は伝票を持ってレジに向かいまだその場にいた美奈に伝票を渡して会計を済ませる。
「……なんだもう帰るのか」
「また来るよ。結構居心地良いし、たまには俺の方から顔出すよ」
慌ただしかった店内も落ち着いていき、今まで厨房に籠りっきりであった嘉穂は帰ろうとする昌弘達を見てわざわざレジまで出てきながら、どこか寂しそうな様子で話しかけると昌弘は安心させるように穏やかな表情で答える。
「……あれ、俺の方から……?」
「ん? あぁ、コイツな、俺の店にわりと来るんだよ。で、たまに飲みに誘ってくる」
嘉穂と昌弘が知り合いだという事にも驚きではあったが昌弘の言葉に首を傾げる美奈。
不思議に思っている美奈を見て、その言葉の意味が何であるのかを説明する。いつも気だるそうにしているイメージしかない嘉穂がわりと足を運んでいるという事に驚きながら美奈は嘉穂を見ると彼女は面食らったように赤面していた。
「話したら一生、養ってもらうって言ったよなぁっ……!」
「いやいや、昔のことは話してねぇだろ!」
「うるさいっ!」
しかしそんな事は美奈や他の従業員の前で話されたくなかったのか、そのままプルプルと体を震わせ、赤面させたまま昌弘に詰め寄る嘉穂。憎々しげに恨めしそうな眼で見てくる嘉穂に何とか弁明をしようとする昌弘だが悲しい事に受け付けてはもらえなかったようだ。
「ねぇみぃ姉」
いまだあーだこーだと言いあっている昌弘と嘉穂を尻目に横から和葉が美奈に声をかける。苦笑しながら昌弘と嘉穂を見ていた美奈はどうかしたのだろうかと和葉を見やる。
「みぃ姉が言ってたけぃ兄よりも好きな人ってどんな人?」
どこか探るように美奈へ問いかける和葉。
その内容は以前、和葉に話した啓基よりも好きな人物……つまりは沙耶のことであった。
「……不器用な子だよ。でも、不器用なんだけど凄く素敵で可愛くて格好良くて……。その子は私の居場所になってくれるって言ってたけど、私もいつまでもその子の隣に入れるようにしたいんだ……。その為にも私はもう迷わないって決めたの」
沙耶への想いを和葉に話す美奈。
どこか照れ臭そうな様子で頬を染めながら話している美奈だが、その様子からその想いが紛れもなく本物の純粋な想いであると言う事が手に取るように分かる。
「そっか……。素敵な人なんだね……。みぃ姉、私、応援してるよ」
当初、啓基から美奈の同性愛を聞かされた時、同性愛に拒否感に似た感情を抱いた。
だが純粋に今、想い人への想いを打ち明けてくれた美奈の姿を見たら啓基を振ってまで同性愛を選んだ美奈への抵抗感などなくなった。本当に美奈はその相手の事を愛してやまないのだろう。和葉自身は自分が同性愛をするとは思えないが、美奈の抱いている想いを尊重しようと思う。
世の中には色んな愛が存在する。
同性愛もその中の一つ。
この世の尊い感情の中の一つに含まれている。
前途多難な恋なのだろうが和葉はその恋を応援しようと決めた。
曲がりなりにも姉と呼んで慕っているのだから。
「へへっ、それじゃあな」
和葉の言葉にきょとんとした表情を浮かべるものの美奈は嬉しそうに頷く。
その二人のやり取りを嘉穂との言い合いの中で横目で見ていた昌弘は手早く嘉穂をあしらって和葉を褒めるように髪をワシャワシャと撫でると挨拶をして二人で店を出るのであった。
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