第22話 君の顔が離れない

 

 美奈と啓基が映画を鑑賞した翌日の日曜日の空は雲が広がって太陽の日差しは中々地上に届かない。とはいえポートシティ新二郷では日曜日という休日も相まって人で賑わっており、広場ではアーティストの生ライブが行われている。


 午後2時を過ぎた頃、ポートシティの人混みの中には啓基の姿があった。今日は一人でこの場に訪れているのだろう。イヤホンを着用して、自分の歩幅で目的地へ歩いていく。


 啓基が訪れたのはつい先日、訪れた映画館であった。とはいえ今日は別に映画を見に来たわけではない。その目的はグッズ売り場にあった。


「あっ、葉山君! 今日はどーしたの?」


 グッズ売り場では丁度、映画関連のグッズを求めた客の会計を終えた未希が立ち去る客に「ありがとうございましたーっ」と見送っていた。未希が見送った客とすれ違いながら啓基はグッズ売り場に訪れると、啓基に気づいた未希がその目的を何気なく尋ねる。昨日、映画を見た訳だが今日も映画を見るつもりなのだろうか、と首を僅かに傾げている。


「昨日言っていたパンフレット……。入荷してるかな?」

「あぁ、あのパンフなら来てるよっ!」


 その目的は先日、美奈と一緒に鑑賞した映画のパンフレットであった。もしかしたらもう入荷しているかもしれない。そう思って今日、一人映画館に訪れたのだ。


 啓基の問いかけに合点がいったかのように明るい表情で両手をポンと合わせた未希は屈んでレジ下の棚に置いてあるパンフレットの中から再入荷したばかりのパンフレットを取り出して啓基に見せる。パンフレットには主演の俳優達と作品名が載っており、確かにその映画のパンフレットである事を確認した啓基は「じゃあそれを一つ」と伝え、返事しつつ未希はパンフレットの裏にあるバーコードを読み取る。


「葉山君、わざわざ来るなんてよっぽど欲しかったんだねー」

「美奈が欲しがってたからね」


 昨日の今日でわざわざ人混みの激しいポートシティ新二郷のこの映画館に訪れた啓基。そこまで面白い映画だったのかな、と前々からあった興味がより一層引き立ちながら未希が財布から金をとりだそうとしている啓基に何気なく話しかけると返って来たのは美奈の名前であり、自分が欲しいというニュアンスではない。


「美奈にプレゼントしようかな、って……。だから美奈にはパンフレットの事は誤魔化してもらって良いかな?」

「あっ、そういう事だったんだね。任せてよーっ」


 美奈がとても欲しがっていた映画のパンフレット。どうせならば自分の手で美奈にプレゼントして彼女を喜ばしてあげたい。この頼みに啓基の想いを汲んだ未希は両手をポンと合わせて了承すると差し出された千円を受け取り手早く会計を済ませるとポリ袋に入れたパンフレットを啓基に手渡し二人は軽い挨拶をして啓基は映画館を後にする。


(……喜んでくれると良いんだけど)


 もうポートシティに用はない為、このまま帰宅しようか考えていた啓基だがふと足を止める。視線の先にはシャルロットコーヒーがあり、その中には美奈の姿もあり笑顔を浮かべながらトレーに載った商品を運んでいる姿が見える。日曜日と言う事も相まってガラス越しにも店内が賑わっているのが見て取れ、店内の入り口近くのソファーでは待ちの客で埋まっており、店外にもそれらしい人々がいる始末だ。


 先日、自分が初めて見た美奈の表情。

 笑顔を浮かべている筈なのに、今にも泣き出して崩れ落ちそうな程の儚さを見せたあの姿がどうにも頭の中から離れない。


 あれが自分のせいなのか、何が原因なのか何も分からない。だがもし自分のせいで美奈があんな姿を見せたのだとしたら、自分の手で美奈を笑顔にしたい。美奈にプレゼントするつもりで手に入れたこのパンフレットもそう言った気持ちが購入に踏み切らせたのかもしれない。


「きゃっ!?」


 美奈の笑顔がまた見たい、そんな事を漠然と思っていた啓基の背中に衝撃が走り耳にはか細い少女の悲鳴が届く。なにがあったのか、振り返る啓基だが振り返った先には誰もおらず下部から「いたた……」という声が聞こえ、視線をそのまま下げる。


 自分が急に立ち止まったせいでぶつかりでもしたのだろう、同い年くらいの少女がぶつかった拍子にバランスでも崩したのか尻もちをついていた。


「ご、ごめん! 大丈夫!?」

「は、はい……。ありがとうございます……っ……!?」


 すぐに詫びながら啓基は手を伸ばす。

 幸い怪我はなかったようで、啓基の手を取りながら立ち上がった少女は衣服について埃を軽く払い、手を伸ばしてくれた啓基を見やり、何やら驚いた表情を浮かべている。


「……君、確か……」


 自分を見て驚いている少女の顔をまじまじと見やりながら何か引っかかったものを感じる。どこかで見た事がある、そんな覚えが頭の片隅にある。対して少女の方は啓基には気付いているもののコミニュケーションは得意ではないのか、どう接して良いのか分からないような様子だ。


 目の前の少女に関する記憶が後少しで出てきそうな何とももどかしさを感じていると、不意に自身のスマートフォンに着信が入る。


「兎に角ごめんね? それじゃあ……」


 着信相手は和葉であった。

 啓基は少女に最後にまた謝ると、少女を残してこの場を去っていき和葉からの電話に出る。


「綾乃、トイレ混んでた? あれ、どうしたの?」

「えっ……あっ……ううん、何でもない」


 人混みの中に紛れて歩き去っていく啓基の姿を人が多いにも関わらず、しかとその瞳は捉えている。少女の名を呼びながらシャルロットコーヒーから二つの持ち帰り用のドリンクカップを持ってきた友人は先程までテイクアウトの注文をしている間にトイレに行っていた少女が茫然と立ち尽くしている姿を見て、首を傾げながら尋ねるが、我に返った少女はやんわりと笑みを浮かべながら友人に向き直ると差し出されたドリンクカップを受け取り、一緒にポートシティを散策するのであった。


 ・・・


(そう言えば、あの娘……同学年にいたな)


 ポートシティから自宅に帰って来た啓基は靴を脱ぎながら、先程ぶつかってしまった少女について考える。何か覚えがあると思ったら彼女は確か自分と同じ白花学園の、それも自分と同学年であった筈だ。

 特に親しいという間柄でもなかった気がするが、それでも学校行事などで話したことがあった記憶がある。


「けぃ兄、おかえりー」

「ただいま。はい、言われた調味料」


 物音が聞こえたのだろう、リビングから和葉がひょっこり顔を出して啓基を出迎える。啓基はそのまま和葉に頼まれた調味料を手渡すと、早速受け取った和葉は「おかーさーん!」と台所にいる母親に調味料を渡しに行く。先程の和葉からの電話は母親が和葉を介して帰りしなにでも不足した調味料を買ってきてほしいという内容であった。


 ・・・


「それで? 美奈ちゃんとのデートはどうなったんだよ?」


 夜、仕事を終えた昌弘や父も帰宅し、家族全員での食事をしていると正弘が昨日美奈と映画を見に行った事について聞かれる。和葉も興味があるのだろう、食べている最中であったが茶碗を持ったまま急かすように啓基を見ており、そんな兄と妹の視線が突き刺さる啓基は苦笑する。


「デートってほどのものじゃ……」

「ちゅーくらいしたのかよ、ちゅーくらいよぉ」


 啓基が美奈に好意を寄せているのは家族全員が知っている周知の事実だ。昨日、遊びに行ったのも確かにデートと言えるには言えるだろうが、気恥ずかしさを感じてしまう。第一に最後まで楽しんで終わったのならば良いのだが、最後の美奈のあの表情を思い出すと成功したとは言えないだろう。だがそんな事を知らない昌弘は唇を突き出して茶化すように話してくるので、「するわけないでしょ」と呆れ交じりに答える。


「なんだよしてねーのかよ。まだファーストキスも済んでないんだろ? レモンの味感じちゃえよ」

「えっ? ファーストキスの味っていちご味とかそんなんじゃないの?」


 だがまだ啓基をからかおうとしている昌弘であったが、ふと和葉が横から口を出す。

 人が想像するファーストキスの味を例えるのならレモンか? 苺か? 意外なところで見解に差が出てしまったので昌弘と和葉の二人は「えっ?」と互いに不思議そうな顔をして顔を見合わせている。


「いやいやファーストキスって言えばお前、レモンだろ?」

「あぁっ……やっぱマーサみたいなおっさん世代はそうなるんだね」


 昌弘にとってファーストキスを味で例えるのならレモンではあるが、和葉にはそうではないのか、困惑しながらレモンだと確認しようとしてくる昌弘にやれやれと言わんばかりに首を横に振り、ため息をつく。とはいえ、和葉とは10歳近くの年齢差があるとはいえ、昌弘は25歳でありおっさんと言われるにはまだ若いだろう。


「まあジェネレーションギャップだよね。私とけぃ兄は給食にクジラなんて出てきた事ないし」

「俺だってねーよ!」


 これは世代差が生んだことであり昌弘が悪い訳ではないと慰める和葉ではあるが、流石にそこまで年齢は離れてないとばかりに昌弘は強く叫ぶ。だが目の前の和葉は仕方ない仕方ないと悲し気に首を横に振って聞いてはおらず、寧ろ昌弘に対して同情的視線を送っている為に「人の話を聞けぇ!」という理不尽に対する昌弘の嘆きの叫びが食卓にただただ響く。


(美奈……)


 賑やかな夕食に啓基もつられて笑ってしまうが、どうしても昨日の別れしなに見た美奈の表情が頭から離れない。答えは出ていると言っていた為、その時はすぐにでもその答えが聞きたかったが、今では何故あのような顔をしていたのかが知りたかった。しかし、それを本当に聞いてしまって良いのかと言う不安もある。少なくとも自分の問いかけのせいで、美奈はあのような表情を浮かべてしまったのだから。今はただただ美奈へ想いを馳せる。


 ・・・


「……」


 一方で美奈は一人、自室のベッドの上で両腕で顔を隠すようにして寝転がっていた。

 バイトの疲れが身体に残っているが、それだけがこの心を覆いつくすような靄の正体ではない事は美奈自身が一番分かっている。今、この心の中の靄のせいで何かしようと言う気持ちにもならず、ただ倦怠感だけが身体を支配している。


「……出て来た答えだけが最善だとは限らないよね」


 照明もつけていない真っ暗な部屋に美奈のか細い呟きが孤独に響く。震えた言葉と共に出てきたのは、頬を伝う一筋の涙であった。


 答えはもう出ている。

 だがそれが本当に正しいのかが分からない。


 今まで顔を隠していた両腕を離し、涙によって潤んだ瞳が天井を見つめる。その瞳に浮かぶのは涙だけではない、それが自分にとって最善だと表すような悲愴な決意まで宿っていた。

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