第694話 思わぬ失言

ちら、と傍らの綺麗な顔を見上げた。

ぼうっと焦点をぼやけさせた紅玉の瞳は、来た時みたいな切羽詰まった印象を消して、ただ美しい。

リラックスの雰囲気を感じ取り、それはそれで満足して、オレもぼうっと手元の紅茶に視線を落とした。

まだお話していないことはたくさんあるけれど、今はゆっくりする時間。

そして、エルベル様の番だから。

……だけど、中々ぼんやりはできない。


まだ、行かないだろうか。

それとも、あれは言葉のあやだろうか。

オレから催促することでもない。

もしかしてやっぱり隠れ里は、オレに見せちゃいけないとか、そんなこともあるかもしれない。

落ち着きなく座り直したところで、視線に気付いて顔を上げた。

頬杖をつき、王様は面白そうな顔でオレを見ている。

「な、なに?」

「……いや?」

どこか機嫌良さそうにフフンと笑うと、突如白い手がオレの腕を掴んだ。

見た目によらない力を秘めた腕が、オレを引き寄せた――と思った瞬間、ざあっと視界が黒に覆われる。


ふわりと覆いを取るように、切り替わった景色と香り。

部屋に籠もっていた香りがすっかり拭われ、爽やかな外の香りがした。

目を瞬かせて見回すと、そこはほの暗い木立の中にある、ささやかな祭壇のような場所。

「……もう、急に転移したらビックリするよ!」

むっと頬を膨らませて、腕を掴む彼を見上げる。

「それなら僥倖」

にやりと笑って腕を離すと、エルベル様はスタスタと歩き出した。

慌てて後を追い、何もない祭壇を振り返った。

「ここ、何? どこに行くの?」

「ここは、転移場所だ。突然俺が里中に転移するわけにいかないだろう」


へえ、ヴァンパイアならではだね。ちゃんと王様が転移していい場所が決まっているんだね。

感心しながら整備された木立を歩きつつ、あっとその顔を見上げた。

「えっ? え?! じゃあ、里に向かってるの?!」

ドキドキと胸を高鳴らせて、その返事を待つ。

「そうだと言った。……お前が、そんなに行きたがるとは思わなかった。里を見たいなど、あまり言わなかったろう」

ふいと逸らされた視線は、照れ隠しだろうか。そりゃあ、行きたいって言っても困らせると思ったから! しかも、王様と連れ立って歩いちゃいけないだろうし。

ここはまるでお外みたいだけれど、じゃあ、ダンジョン内なんだろう。隠れ里って、オレが思っていたよりずっと広そうだ。


「だって、隠れ里だよ?! あんまり見ちゃいけないかと思って」

弾む足取りでそう言うと、エルベル様は呆れた顔でオレを見下ろした。

「最重要部の城内で、『俺』といるくせに、それ以上お前に何を隠す必要があると思ったんだ……」

うん……? 言われて見ればそうかもしれない。

「そ、そっか。じゃあ、もっと早く言えば良かった。エルベル様も言ってくれれば良かったのに!」

八つ当たり気味に頬を膨らませると、彼はちょっと肩をすくめた。

「不死者の里だぞ? 行きたいと思う人間は、普通いない」

ああ、そうか。彼らは一般的にそう思われているんだった。魔物の巣窟に遊びに行こうと言われて喜ぶのは、きっとロクサレン家とタクトくらいだろう。


迷いなく進むエルベル様の視線の先に、並木道が見えた。この先に、里がある。

逸る気持ちを抑えつつ、先ほどの台詞を反芻した。

オレ、みんなに慣れちゃってそんなこと全然考えていなかったけれど、それって大丈夫だろうか。

「ねえ、人間はオレだけでしょう? 大丈夫かな」

少しばかり眉を下げてそう言うと、エルベル様の歩みがぴたりと止まった。

「……やめておくか? 無理に行く必要はない」

行く先を隠すようにオレの前へ回って、顔を覗き込む。ほのかに微笑むそれは、王様のエルベル様だ。

「やっぱり、急には迷惑? 目立たないようにするから……そうだ、ラピス!」

くるり、と回って白ユータに変わる。どうやったって黒髪は目立つけれど、これなら!

「目の色は違うけど、これならみんなビックリしないんじゃない?」

ぱあっと笑って見せると、エルベル様が大粒のルビーみたいに目を見開いていた。

この姿を見るのは……初めてだったかな?


「お前は……なんでもありだな」

諦めたようにため息を吐かれ、わくわくと今度はオレがその顔を覗き込む。

「じゃあ、行ってもいい? 目立たないようにするから!」

「いいのか? 無理はするな」

不思議な言いように小首を傾げて、ああ、と破顔した。

「もう、違うよ! エルベル様ってば、オレが今さらヴァンパイアのみんなを怖がるわけないよ!」

大笑いだ。この王様は、肝心なところですぐに後ろを向くんだから。

「だけど、オレは平気だけど里のヒトたちは違うよね? きっとオレを見て嫌がるんじゃない? だから、白い方がいいかと思って」

オレだって、嫌われるのは本意じゃない。今、ヴァンパイアたちとロクサレンの親好が深まってきつつあるんだから、焦りは禁物だ。


しっかりしてくれとぺちぺちその腕を叩くと、白皙の面がふわりと微かに染まる。

「……そうだったな。お前は、鈍感で、面の皮が厚くて、そんなこと気にも留めないんだったな」

それは、悪口!! むっと頬を膨らませて腕をつねってやっても、頑丈なヴァンパイアには効いた風もない。

「あ、そう言えば格好は? オレ、王様と一緒に歩いて大丈夫?!」

何も考えずに普段着で来ちゃったけど、王様の隣を歩くに相応しいはずがない。急に不安になったオレに、エルベル様が鼻で笑った。

「今さらだな。公務でないのは見れば分かる。気になるなら、これでも羽織ってろ」

そう言えば、エルベル様だって割とラフな格好のままだ。豪奢な上着を掛けられ、少し緊張する。

「いいよ……汚しちゃったら怖い」

ぎくしゃくと動きの硬くなるオレを見て、エルベル様が声を上げて笑った。

「馬鹿か、それこそ今さらだ! お前、さっきまで何してたか覚えてないのか」

……そうでした。

お部屋で串焼きして食べる方が、よっぽど汚れそう。実際、匂いは付いているんじゃないだろうか。


ふんふんと上着を嗅いでみたけれど、焚き込められた香の匂いでいまいち分からない。そもそも、オレだって匂うだろうから鼻が馬鹿になってる。

でも、もしかして王様からも串焼き臭が……?

「やめろ、嗅ぐな」

それはマズイと慌てて寄せた顔を、ぐいと引き離された。結局匂いは分からなかったけど、お忍びでやってきた王様から串焼き臭が漂っていたら一大事だ。さすがにそれは責任を感じる。

「ちょっと待って、先に洗浄しちゃうね!」

しゅわっと洗浄の魔法で包み込み、匂いもまとめてきれいさっぱりだ。

洗浄できるなら、この上着を着ていたって怖くない。落とさないよういそいそと袖を通したら、随分と大きくて眉間に皺が寄る。

目一杯腕を伸ばしても、指先が見えない。


「お前、小さいな」

可笑しそうな顔も、台詞も聞こえないふりをする。

これは、こういう服だと思えばそれでいい。袖が長いのも、優雅で結構だ。

ツンと澄まして、まだ喉の奥で笑う彼の手をひっぱった。

「それで? これならもう里を歩いてもいい?」

「いいぞ、と言うよりも」

エルベル様は屈み込んでオレと視線を合わせた。

「髪と目は、それで行くか? お前が気にするなら構わないが、俺とヒトが歩いているとハッキリ分かる方が、効果的かもな」

キョトンと瞬いて、なるほどと手を打った。

王様が率先してヒトと仲良くしている姿を見る方が、親好は深まるだろう。その王様の相手がオレっていうのは、ちょっとお腹が痛くなりそうだけど。


じっとオレの姿を見つめたその唇が、「勿体ない」と呟いた気がする。

じゃあ、普段通りでいいかも。白ユータの出現率が最近高いから、そのうちあちこちで変身し忘れて惨事を引き起こしそうだし。

ふわっとラピスとの繋がりを緩める。

オレからは見えないけれど、エルベル様の瞳の中のオレは、色を濃くしたように見える。

「この方がいい?」

目の前の王様へ気軽に確認すると、するりと細い指がオレの髪を梳き、紅玉の瞳が目の前で細められた。

「ああ……俺は、この色が好きだ」

珍しくストレートな褒め言葉に、少しはにかんで笑った。


「そう? オレも、エルベル様の髪と瞳の色、とっても綺麗で好きだよ!」

……ちゃんとそうお返ししたのだけど、聞いてはいなさそう。

きっと、エルベル様の中で失言だったろうその台詞が、致命的なダメージとなって彼を硬直させていたから。




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近況ノートの方に書きましたが、現在サポーター制度1周年記念のキャンペーン中だそうで……!中間結果でランクインさせていただき本当に感謝です…!!

キャンペーンすら知らなかったので本当にビックリでした!ありがとうございます!!

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