第655話 御神酒の神事
『おしょ~い! おぬし、なにをやっとったんらぁ~!!』
チョウチョみたいに不規則な軌道で飛んできた光が、ぽてんと差し出した手の平に落ちた。
「…………チル爺こそ、何やってたの。忙しいんじゃなかったの……?」
お髭から突きだしたお鼻の赤さといったら、トナカイさんだって恥じらいそう。オレの視線だって冷たくなろうというものだ。
『いしょがしいとも~、みて分からんかぁ~?』
ひっくり返ったまま杖を振り回す姿は、駄々っ子にしか見えない。
『チル爺、のみすぎー』『おさけ、どうだったの~?』『おかお、まっか~』
忙しいって、お酒を飲むのに忙しかったんじゃない? そんなことなら、オレを呼びに来てくれてもよかったのに! ……まあ、誘拐途中だったからどちらにせよ無理だったかもしれないけど。
「お祭りは、まだやってるかな?」
里の奥から、柔らかな光と賑やかなざわめきが聞こえてくる。ここまで浮き足立つようなお祭りの雰囲気が漂ってきて、そわそわとオレの心を揺らした。
いざ、と足を踏み出そうとして、手の平の上がやけに静かなことに気が付いた。
「あっ……ちょっとチル爺、寝ちゃだめだよ! オレ、勝手に行けないでしょう?」
くったり力の抜けた身体を揺らしてみたけれど、ささやかないびきが返ってくるのみ。
『ゆーたは、大丈夫ー』『みんな、まってたのー』『ケーキもあるよー』
妖精トリオがオレを引っぱったり押したり、ずいずい会場の方へつれて行こうとする。
「だ、だけどさすがにいきなりはビックリするよ!」
せっかくの楽しい雰囲気をぶち壊しにしたくない。ましてや、見た目は可愛いけど結構戦闘力はある妖精さんたち……一斉攻撃なんてされたら堪らない。
『みんなー!』『ゆーたきたよー』『ひっぱってひっぱってー』
尻込みしているうちに、妖精トリオが応援を呼んでしまった。ぱちぱち弾ける泡のように、小さな光球がたくさん集まってきて笑いさんざめく。
『そーれ、そーれ!』
そのうち、ちびっこ妖精さんたちに前も後ろも取り囲まれ、綱引きみたいなかけ声と共に引っ張り出した。
「わ、わ、待ってよ、大人の人を呼んで来て~?!」
いくら小さいといえど、これだけ集まればそれなりの力だ。乱暴にするわけにもいかず、オレはずるずると会場の方へ運ばれて行ってしまう。
『あらまあ、遅かったねぇ。さあ、そんな恥ずかしがらずにどうぞ』
落ち着いた声を見上げ、ホッと安堵して力を抜いた。
「アヤナさん、久しぶりです! 色々あって遅くなっちゃったんだ」
しょんぼり肩を落とすと、ふわりとオレの手の平に下りてきて微笑んでくれる。
『いいのよぅ、お祭りは好きな時に来ればいいの。それにしてもおじいさんたら、だらしないったら』
アヤナさんが眉根を寄せて、ぺちぺちとチル爺を叩いた。
『んむ、んむぅ、られじゃ、わしを叩くのはぁ~』
あ、起きた。子どもみたいにぺたりとお尻をつけて座り込んだチル爺が、またジタバタと手足をばたつかせる。
『もう! おじいさん、ユータくんを連れて行ってあげるんでしょう? 私は最長老さまのお側を離れるわけにはいかないし』
困り顔のアヤナさんに、妖精トリオがここぞとばかりに纏わり付いた。
『あんない、したげるー!』『ちゃんと、説明するー!』『まかせてー!』
『うぅ~ん、大丈夫かしらぁ?』
アヤナさんはちらりとオレを見上げて、もう一度チル爺をぺちんとやる。アヤナさんの許可があれば、オレとしてはそれで良しだ。子どもじゃあるまいし、お祭りに付き添いが必要なわけじゃない。
『誰がどう見ても子どもだ』
鼻で笑うチャトの台詞を聞き流し、にっこり笑った。同時に、妖精トリオもアヤナさんに迫る。
「任せて、3人はオレがちゃんと面倒みるから」
『ゆーた見といてあげるー』『ちゃんとできるー』『だいじょぶー』
……なんだか、同レベルみたいじゃないか。むっと唇を尖らせたオレと、同じ顔をした妖精トリオが視線を交わす。
『あらまぁ、うふふ! じゃあ、よろしくお願いするわね』
うん? それは、きっとオレにお願いしているんだよね。深く頷いてみせたところで、妖精トリオも真剣に頷いていてくすりと笑った。ふふ、オレがお兄ちゃんだから、しっかり――あれ? そう言えば妖精トリオって30歳を超えていたような……? い、いや、妖精的にはまだ赤ちゃんなんだから、オレがお兄ちゃんで合っているだろう。
『いくよー』『こっちこっち』『おみきの所にいこー』
少々複雑な思いを抱きつつ、3人に引っぱられて会場へ足を踏み入れた。
「わあ、食べ物もいっぱいあるんだね!」
以前と同じように、屋台ではなく立食パーティのようにテーブルへ料理が並んでいる。オレが来ることになっていたせいか、大きな器も置かれてあるのが嬉しかった。
そう言えばお腹すいた……だって忙しかったからお昼もちゃんと食べていない。
さっそくお料理へ飛びつこうとしたところで、妖精トリオに止められてしまった。
『さきに、おさけのところー』『たべるのは、あとなんだよー』『おいのり、しよねー』
うっ……。なるほど、神事は飲み食いする前ってことだね。
未練がましくお料理を眺めつつ、奥の祭壇らしきところへ足を運んだ。
「わあ、綺麗だね……」
うっとり目を細めたオレの顔を、七色の光が柔らかく照らしている。
祭壇のように飾り付けられた台座には、『妖精の道』にあったような結晶らしきものが輝いていた。
『ゆーたと、似てるー』『きらきら~』『おんなじ、きらきらだね~』
「オレと似てるの? あ、そう言えばこれ、生命の魔素を感じるかも」
生命魔法の魔石なんだろうか。オレが凝縮して作ったものより淡いというか、ワイルドと言うべきか、同じ生命の魔石でも、随分とその性質は違ってくるのかもしれない。
オレもこんな風に輝いているなら、それこそまるで精霊や天使様みたいになっちゃうね。
「ここでお祈りしたらいいの?」
『そうー』『お酒はここー』『全部ちゃんとするのよー』
え? と視線をずらすと、長机ほどの台座にお猪口のような杯がずらりと並んでいた。
「もしかして、これ飲むの?!」
それも、こんなに? 妖精用の杯なら、なんとかなるかもしれないけど……だけど敢えて置かれているであろう人間サイズの杯が存在を主張している。
『こどもだからいいのー』『ぜんぶ、お口つけるの』『まねだけでいいのー』
ああ、なるほど! 全ての杯に口をつけて飲むふりをするらしい。これって大人は全部ちゃんと飲むってことで……だからチル爺はああなっちゃったのかな。
『チル爺はのみすぎー』『ちょっとでいいのー』『いっぱい飲むからー』
大人も酔っ払う人も出てくるので、よっぽどでなければ全部飲む人はいないらしい。ここでの儀式は味見を兼ねているそうで、今年作られたお酒の樽全てが並んでいるみたい。そうなるとチル爺は全部飲むだろうね。
「オレの作ったお酒はどれなんだろうね」
分かるはずもないと思っていたけれど、妖精トリオは迷いなくひとつの杯を指さした。どうやらオレの生命の魔力を微かに感じるらしい。それだけは、ちょびっとだけ味見してもいいだろうか。
少し緊張しながら祭壇の前へ行くと、ぺこりと頭を下げては杯を掲げ、順番に口をつけていく。
鼻腔をくすぐるアルコールの芳醇な香りで既に酔ってしまいそう。
飲むふりだけをしては戻し、最後にオレの作ったワイン。
感慨深く捧げ持つと、ぴかぴかに磨かれた銀色の杯に深い紅が揺れ、なんだかどきりとした。本当だ、ワインなのに生命の魔力を感じる。
(ちょっとだけ……)
一体、どんな味なんだろう。美味しくできたろうか。
オレは曇りない杯にそうっと唇をつけ、深紅の液体をこくりと喉に落とした。
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