第638話 二体目
「わ、わ……あ」
声もない、とはこのことだ。
二発だった。たった二発の魔法で……。
地に伏せた統率者を油断なく見つめる瞳は、どこまでも静かに燃えていた。ふと、見上げるオレに気付いて表情が柔らかく崩される。
「……ふふ、ユータっていつもこんな風に視線を受けているんだね~」
涼やかな髪が風に揺れてサラサラと流れ――。
「あ……っ」
少し目を見開いて、かくりと膝を折った。
「ラキっ?! どうしたの?!」
慌てふためいて支えたものの、彼は片膝をついたのみで苦笑してみせた。
「ごめん、大丈夫~。魔力はまだあるんだけど、ちょっと分不相応な魔法だったかな~。なんか、色々消耗したかも~」
あはは、とこぼした力ない笑みにホッとしつつ、しっかりオレにもたれかかる様子に余裕のなさを感じた。
「回復するね! 疲れは取れないと思うけど」
オレが猛特訓の際に経験済みだ。回復や点滴魔法で癒されはするんだけど、精神に受けた疲労とでも言うんだろうか、『疲れた』という気持ちが消えないんだ。
「あ~~しみる~」
オレを抱えるように肩口におでこを乗せ、ラキから温泉に浸かるオジサンみたいな声が漏れる。
くすりと笑いながら、シールドの外の騒ぎに視線をやった。
統率者がこと切れた瞬間から、その周囲はまさに蜂の巣をつついたような有様だ。ゴブリンからみるみる戦意が失われていくのが目に見えて分かった。
「すごいね……」
そんな簡単に屠れる魔物だとは到底思えない。ランクで言えば、Cは絶対にあるはず。何せ、その周囲には必ず大量のゴブリンがいるのだから。
加工師志望の彼が、戦闘にさほど興味のなかった穏やかな彼が、あれを倒した……。
オレの脳裏には、初めて出会った時のおっとりした幼児が蘇る。
あの子が、ここまで……。つい、感慨にふけって涙が浮かびそうだ。
「ちょっと、違うんだよね~。その感動の仕方~」
顔を上げ、オレを覗き込んだラキが不服そうな顔をする。オレ、何も口に出してないんですけど。
「ラキ、格好いい、って風にしてくれない~?」
そう言って微かに首を傾げ、目を細めて口の端を上げた。ああ、これはぜひセデス兄さんに習得してもらいたい方面の笑み。カロルス様みたいな格好良さとはまた違うけれど、確かに人を魅了する笑みだろう。
「うん! すごかったよ、割と本当に格好良かったかも!!」
「『割と』? 『かも』?」
意地悪く微笑んだラキから、素早く視線を逸らす。これ以上、オレの内側を読まれてはたまらない。
カロルス様たちと違って、ラキもタクトもオレと同じ位置に立つ者なんだから。湧き上がる対抗心が、素直な賞賛に抵抗する。
「今はそれよりも――あっ! そうだ、もう一体!!」
本当にそれどころじゃなかった、統率者は二体いたんだから。
「あ~そうだった~。じゃあ、あとはよろしく~」
あろうことか、ラキはそのまま屋根の上に横になってしまった。分かる、分かるよその疲労感。だけど、ちょっとばかりオレを信用しすぎじゃないだろうか。
「僕が倒せる相手を、ユータが倒せないはずがないでしょ~」
既に目を閉じたラキは、いってらっしゃいと言わんばかりに手をひらひらさせた。
それって、オレが統率者を倒しても『格好いい!』ってならなくない? なんだか、損している気がする。
気を取り直してもう一体を探そうと村中へ視線を向けた時、ズドンと重い衝撃音が聞こえた。微かに建物が振動したのが分かる。
村人たちが不安げに周囲を見回し、ゴブリンたちはますます恐慌に陥っている。
「「――タクト?!」」
オレたちは、ハッと顔を見合わせた。
チャトを待つのももどかしく、屋根を駆ける。タクトの野生の勘は相当なものだ。もしかして、統率者に遭遇しているのかも。おびき出すだけのはずが、アクシデントがあったのかも。
既にゴブリンたちは烏合の衆となって、各々好き勝手に逃げまどっている。駆けるオレの邪魔にはなっても、戦闘にはならない。
一目散に音のした方へ走って、息を呑んだ。間違いなく、統率者がいる。建物の損壊が、尋常じゃない。
大怪獣でも暴れたかのような様相に、ラキの攻撃がどれほど効果的なのか思い知らされた。オレが相手では、ああはいかないだろう。
「あっ……?! タクト?!」
見つけた! ひときわ拓けた場所で、崩れた塀に背中を預けるように足を投げ出している。無造作に置かれた人形のような姿に、焦燥が募った。
「タクト! タクト?!」
屋根から飛び降りて駆け寄ると、無我夢中で揺さぶった。タクトは信じがたいほど頑丈だ、絶対、絶対大丈夫。そうは思っても、気持ちがついていかない。揺さぶってはいけないと冷静な判断すら、どこかへかなぐり捨ててしまった。
オレの力で簡単に揺れた身体に、不安が湧き上がる。……違う、タクトはいつも揺さぶったって、びくともしなくて……。
「……や、め、ろっての……」
苦笑交じりの小さな声に、浮かんだ涙も気付かず覗き込んだ。
「起きてるっつうの。いてぇんだよ。……お前、なんで泣いてんの?」
顔をしかめつつ身体を起こしたタクトに、目を瞬いた。ぼたぼたと雫が滴るのも忘れ、随分傷だらけの顔をじっと見つめる。大丈夫、ちゃんと、息をしている。ちゃんと、いつものタクトだ。
「泣いて……泣いてないけど?!」
「さすがにそれは無理があるっつうか……いや、悪かったよ」
タクトは困った顔でオレを引き寄せ、ぽんぽんと頭を撫でた。土と、汗と、血の匂いがする。片腕しか使おうとしない様子に、動転していたオレは深呼吸して魔法を発動した。
「あーー。効く」
ほわりと包み込む回復の光を受け、タクトは心地よさそうに仰のいた。
「統率者と戦ったんでしょう、どこへ――あれ?」
改めてレーダーを広げ、目をしばたたかせる。
「いや? 統率者とは遭遇してねえよ。でもなんか、でかくて強い魔物がいたんだよ。やべえな、と思ったんだけど目を付けられてさ」
回復を終えると、彼はぐっと伸びをして飛び起きた。若干変形気味だった己の顔を撫で、戻ったな、なんてにやりと笑う。
なんでそんな元気なの? そして、それ絶対に統率者だから!!
「――え、あれ統率者だったのか? 全然ゴブリンぽさなかったぞ! 滅茶苦茶物を投げてくるゴツイやつで、すげー鬱陶しかった! 離れると的になるし、剣はねえし、ゴブリンで周りは埋まるしで、逃げらんなかったんだよ!」
事の次第を説明すると、タクトは目を丸くして天を仰いだ。
「そ、そう……無事で良かっ――え? 剣どこ行ったの?!」
むしろ剣なしで戦ったの?! だからあんな傷だらけだったのか……。
「多分、あのへん」
指したのは、瓦礫の山。確かにそれは、戦闘中に探せない。
タクトはさほど避けるのが得意じゃない。ゴブリン剛速球で1000本ノックをするうち、奴らの体液でぬめって弾かれたらしい。
「だけど、ラキが向こうを倒したからかな? その統率者、いなくなったみたい。ゴブリンも村から逃げて行ってるし、もう大丈夫だね」
レーダーで見える範囲に、もう統率者はいない。怯え切って逃げまどうゴブリンも、もう脅威ではない。ホッと息をついたオレに、タクトは側にあった瓦礫の山を指さした。
「その統率者なら、このへん。剣なしで戦う相手じゃねえよ、マリーさんに体術習っててマジで良かった……」
うんざりした顔をぽかんと眺める。次いで、瓦礫の山を眺める。よくよく見れば、隙間から何か大きな足の先がのぞいているような……。
オレは本日二度目の、唖然顔を晒したのだった。
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