第582話 お膝

「……大丈夫か?」

ぽん、と頭へ乗せられた重みに、はっと顔を上げた。馬車の向かいの席で、ブルーの瞳が心配げに曇っている。

「だ、大丈夫だよ!」

「ユータちゃん、心配しなくてもヴァンパイアの人に意地悪したりしないわ」

優しい腕がきゅうっと締まって包み込まれる。そう言えばオレ、ずっとエリーシャ様に抱っこされていたんだ。


大きな事件の犯人がヴァンパイアだなんて、友好関係がまだ限定的なうちで良かったのかもしれない。他の人はいざ知らず、ロクサレン家やガウロ様は個と全体を分けて考えてくれるから。

だけど、気になっているのはもうひとつ。あのレミールがヴァンパイアの可能性が高いってこと、オレはエルベル様に言った方がいいんだろうか。

もし誰かの知り合いだったら……それに、一族の意識が高いヴァンパイアたちのこと、言ったらオレたち以上に気にするだろう。紅玉の瞳が陰るのをありありと想像してしまって胸が痛い。

だけど、もし言わなかったら。知らない間に一族が犯罪者になって断罪なんてことになったら……それこそ目も当てられないもの。

それに、まだヴァンパイアと決まったわけじゃない。今度行く時に、それとなく伝えてみようかな。

オレは馬車の到着と同時に、エリーシャ様の腕からぴょんと抜け出してにこっと笑った。


王都の館に帰ってきたものの、オレはシャラの所へ行かなきゃいけない。カロルス様たちはまだアッゼさんたちと相談があるみたいだし、ラキとタクトは依頼を受けているだろうし、今のうちだね。


「――シャラ!」

花畑に横になっていたシャラが、身体を起こした。良かった、ご機嫌は良さそうだ。

「あの後王様のところへ行ったの? 大丈夫だった? 怒られなかった?」

王様なんて、忙しいイメージしかない。シャラに突然やってこられて随分困惑したんじゃないだろうか。


「なぜ、我が怒られる」

むっと腕組みをしたシャラだけど、にま、と堪えきれずに口元を緩ませた。

「いいことあったの?」

「別に、いいことではない。当然のことだ」

勿体ぶってつんと顎を上げると、早くしろとばかりに手が差し出される。

なんだろうと首を傾げてから、慌ててお好み焼きを取り出した。

「菓子じゃないのか」

「お菓子の方が良かった?」

ふんふんと鼻を近づけたシャラは、スッと皿をオレから遠ざける。取りあげたりしないよ!

「これがいい」

一応、ナイフとフォークを渡したのだけど、シャラはあろうことかおせんべいみたいに両手で掴んでがぶりとやった。オレ、お好み焼きをそうやって食べるの初めて見たよ。


「――へえ、シャラの劇ができるんだね! すごいね!」

さすがは王様だ。きっと一番有名な脚本家さんたちに依頼されるだろうし、オレも劇が出来上がるのが楽しみで仕方ない。

今も語り部なんかがお祭りにまつわるあれこれを伝えているらしいんだけど、そもそも王家に関わる精霊様なのだから、きちんとした伝承を伝えるべきという意見もあったらしい。


行儀悪く手を舐めるシャラを嗜め、ソースまみれの両手を濡れ布巾で拭う。そりゃあ、お好み焼きを手で掴んだらこうなるよ……。

「お前に、会いたいと言われたぞ」

大人しくされるがままになっていたシャラが、ふとそんなことを言った。

見上げた顔は、どこか不服そうにオレを見つめている。

「会いたいって、誰が?」

「王が」

当然のように出てきた国のトップに思わず布巾を取り落とす。オレは声にならない悲鳴をあげて口をぱくぱくさせた。

「む、むむむ無理!! ぜったいオレのこと言わないでよ?! 会わないよ!!」

「安心しろ、会わせない」


フン、と満足そうに鼻を鳴らしたシャラに安堵の息をひとつ。そもそも、オレの存在を匂わせるようなことは言ってほしくなかったのだけど。ただ既に舞いのせいで噂は広まっちゃっているもんね。

こうなると、それはそれで好都合かもしれない。どこかの誰かが精霊と関わりを持っている、なんて詮索されるよりも、天使様っていう不可思議な存在ってことにしておいてほしい。


複雑な気持ちで胸を撫で下ろしていると、シャラの手が伸びてきた。

なんだろうと思ううちにオレの両脇を支えて持ち上げると……すとんと下ろした。シャラの、膝の上に。

「……えーと? シャラ??」

今度は一体何がしたいんだろうか。困惑気味に見上げると、荷物のようにオレを抱えた彼は、真面目な顔で首を傾げる。

「お前、こうしていただろう。嬉しそうだった」

「そっ! そ、れはカロルス様やエリーシャ様だったから! 違うの! と、特別なの!」

誰のお膝でも喜ぶわけじゃなくて! いやいやそもそもが喜んでいたわけじゃなくて!! 2人はお膝に乗せたがるから、だから!!

「我の方が特別だ」

「そうだけどそういうことじゃなくって!!」

もう恥ずかしいやら腹が立つやら大混乱だ。


「……ああ、なるほど」

真っ赤になって言い訳するオレを面白そうに眺めていたシャラが、何か思いついたようにすっとオレを膝から退けて座らせた。あんまりちゃんと言い訳できていなかったけど、伝わったのだろうか。

ほっとしたのも束の間、ひゅっと風が吹くと同時にシャラの姿が縮んだ。足を伸ばして座ったオレの目線とちょうど同じくらいの位置に、鋭い眼光がある。

猛禽になったシャラはカチカチくちばしを鳴らしながら、のすのすと歩いて遠慮無くオレの膝へ乗り上げる。

「こうか」

オレの腿を止まり木のように掴んで体勢を落ち着けると、シャラが得意げにオレを見た。どうだ、と言わんばかりに頭の羽毛がふわりと立ち上がって、ぼさぼさ頭みたいだ。


うん、これならいいよ! くすっと笑って抱え込み、背中の羽毛に顔を埋めた。背中、案外固いね。だけど、羽毛は心地いい。

「そう、こうだよ! シャラは嬉しい?」

「ふむ、悪くない」

満足そうに首を縮めた猛禽は、ちょっと片翼を上げて翼を整えた。

「ねえシャラ、翼を広げて見せて」

「なぜ」

「格好いいから!」

満面の笑みで言うと、カタタ、とくちばしを鳴らしてゆっくりとその両翼が広げられた。チャトの翼もきれいで強くて、とても素敵だと思う。だけど鳥は身体全体で飛べるような造りになっている。猛禽の姿で広げられた翼は、その完璧なシルエットがとても美しかった。

「きれいだね。格好いいよ」

うっとりと見つめた先で、当然だと言わんばかりの得意顔が輝いた。


オレを掴んで飛べるだろう大きな大きな翼が、魔法のように折りたたまれて小さくなるのも不思議だ。きれいに収納された翼を撫でると、冷たくてつるりとしている。

「シャラは格好いいから、きっと素敵な劇になるよ。楽しみだなあ」

「そうか」

「ねえ、劇ができたら一緒に……でも、さすがに劇場に一緒に入るのは難しいかなあ」

だって、カロルス様の劇を見に行ったとき、人と人との距離が結構近かったもの。さすがに猛禽になっていてもバレそうだし、シャラが暴れそう。

「最初の公演は、我に見せると言った。一緒に見ろ」

ぎゅっと腿を握る足に力が入った。だけど察するにそれって、王様たちが見るものなんじゃない……?

「外でやると言った。お前が紛れていても構わない」

オレは構うけど……そうか、もしかすると正体不明の天使様に見せるために、って意図があるのかもしれない。それなら、ひそかに劇を見ることもできるかもしれないね。


「一緒に見られるといいねえ」

素直に喜んだオレは、その時もちろん自分まで伝承に登場する羽目になっているとは露ほども思っていなかったのだった。



-------------------------

ホワイトデー閑話、なろうさんのもふしら閑話・小話集の方で更新しています!

(ラキ&タクトVer.の閑話はカクヨムサポーター限定です)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る