第565話 相性
「ふーん? すげえ回復。普通じゃねえな……その鞭か?」
致命傷を受けながらのろのろと立ち上がる様に、アッゼさんが目を眇めて呟いた。
鞭……? 鞭が回復を担うの? そんな魔道具があるんだろうか。だとしても、規格外の能力すぎる。普通の人間だと何度冥府に行っているか知れない。
「あれ……?」
じっと彼を睨み付ける中、違和感に気がついた。
「まだ魔晶石を持っている……わけじゃないよね?」
『どうして? あの嫌な感じがするの?』
ぴたりとオレに寄り添ったシロが、小首を傾げた。
「うん……。前に王都で戦った時は呪具の壺を持っていたからだと思ったけど」
そう言えば、腰の剣も強力な呪具のはず。以前、解呪の蝶とトンボで対抗した時のことを思い出した。
だけど呪具を持っていたあの時よりも、今の方が嫌な感じが強い。
彼自身から嫌な感じが漂ってくるみたいに思える。それはまるで、穢れに侵されているような。
「……なんだてめえ。邪魔なんだよ!」
「俺は素敵なアッゼさんだぜ? お前こそなんだ。こいつらを攫ったのは、お前?」
ゅん、と空気が歪む音がする。返答の代わりに唸りを上げた赤い鞭は、ばらりと無数に分かれて不規則な軌道で迫る。目を細めたアッゼさんは後退すると同時に転移し、難なく数多の軌道をすり抜けた。
が、鞭の男も既にその場にいない。
恐ろしく長い鞭の射程をさらに確実に、転移するアッゼさんを的確に追って来る。
――ユータ、あれ、前より頑丈なの。中々魔法が通らないの。
「アッゼさん気をつけて! その鞭、すっごく硬い!」
不服そうなラピスの声に、思わずアッゼさんに声をかける。ラピスの魔法が通りにくいなら、きっとアッゼさんだって。
ちら、とこちらを見た紫の瞳が不敵に笑った。
「そ? 硬くても柔くても別にいいぜ?」
ひらひら、とオレに手を振った姿に余裕を見て取って、鞭の男が瞳を怒らせる。両手を合わせるように鞭を持ったかと思うと、思い切り腕を左右へ開いた。
『すごーい! ふたつになったね!』
『お、俺様、かっこいいとか思ってない! 俺様の方がかっこいいから!』
場違いに目を輝かせたシロと、若干狼狽えたチュー助。力任せに割いたように見えた鞭は、どうしてか2つの鞭となって両手に握られていた。
大ぶりに振られた腕とは裏腹に、倍になった鞭は複雑に蠢いてアッゼさんを追う。転移を見越して各々タイミングをずらされた触手に、今にも絡め取られるんじゃないかと鼓動が早くなる。
魔法を撃たないのは、追い詰められているからじゃないんだろうか。
ぱぱぱ、とごく短距離の転移を繰り返して距離を取るアッゼさんに追いすがり、無数の鞭が鋼の雨のように降り注ぐ。
転移した先にさえ待ち構えていた赤い弾幕のようなそれを見上げ、アッゼさんが口を開いた。
「なあ、お前さ――」
瞬きの後、赤の瞳が見開かれた。額が触れんばかりの距離で見下ろすのは、紫の瞳。
「――俺と相性悪いよな」
咄嗟に振るおうとした腕は動かない。彼が掴まれた両腕に気付いたのは、激しい電撃音がした後だったろう。
掴んだ両腕から直接叩き込まれた雷撃に、鞭の男は声もなく硬直した。
「強えー」
タクトの半ば呆れたような声が聞こえる。本当に、強い。知っていたつもりだったけど、こんなに強いんだ。
「手伝う暇もなかった……」
ゆっくりと倒れ伏す身体を目で追って、詰めていた息を吐き出した。
――だけど、またきっと回復するの!
ラピスの声に呼応するように、鞭がピクリと動いた。
次の瞬間、赤い触手は倒れた男を包み込むように周囲を覆う。それはまるで、赤い繭みたいだ。
「無意識でも動くって、ズルくねえ? 」
舌打ちしたアッゼさんが確かめるように炎を放ったけれど、案の定弾かれて傷1つつかない。
「何度回復しても負ける気はしねえけどさ、俺情報が欲しいんだよな。息の根止めちゃうわけにはいかねえし、これ詰んでねえ?」
繭への攻撃を始めたラピスを尻目に、アッゼさんが嘆息した。
「情報って何の? この人が情報をくれるとは思えないけど……」
オレも、知りたい。どうして以前呪具を集めていたのか。魔力を集めるのは、本当に単なるエネルギーとして利用するためなのか。
Aランクを越える実力をもっていたあの金髪の女が、そんなことで犯罪を犯すだろうか。きっと、いくらでもお金なら稼げるだろうに。
「こいつが魔族を攫ったんだろ? なら、まだいるはずだ。ちびっ子仲間が、な?」
向けられた視線に、魔族の子たちが何度も頷いた。
「遠征授業を狙われたんだ! 逃げられたのは俺たちだけ。だから、だから!」
「5つ星なら――!」
懇願を込めた眼差しに、アッゼさんが肩をすくめる。
「ま、俺はひとまずお前たちと情報を持って帰るぜ。後のことは上の方々に任せな」
少年たちの顔に少々の落胆と、大きな安堵が広がった。
――集中ー!! もう一押しなの! 多分。
「「「きゅーっ!」」」
ラピス部隊の猛攻で再び周囲に土煙が舞っている。気合いの入った声と共に、バキリと軋む音が響いた。
ハッと視線を動かした先で、空を切る赤い閃きが見えた気がした。
「下がってな。にしても、すげーな、管狐ってのは」
アッゼさんはしっしとオレを追いやるように手を振った。この人相手なら、アッゼさんはきっと負けない。頷いて下がりつつ、声をかける。
「だけど、油断しないで! 最初に会った時はもう一人――」
ざわ、と身体中の毛が逆立った気がした。
……見られている。
ぎこちなく動かした視線の先には長い金髪が揺れ、その人形のような双眸が貫くようにオレを見つめていた。
空中に浮かぶその整った姿は、いっそ神々しいくらいに恐ろしかった。
「ユータ、こっち来い!」
タクトが動けなくなったオレを抱き込み、シールドの奥まで飛びすさった。そのまま二人の後ろへ隠され、強い眼差しが遮られる。
「これはさすがにちょっと……」
アッゼさんが宙に視線を固定したまま乾いた笑みを漏らす。その頬にたらりと汗が一筋流れたのが見えた。
金髪の女が何か呟こうとした時、視野の端に赤が掠めた。
「よそ見してんじゃねえぞ!」
死角から伸びてきた赤い鞭は、完全に視線を外していたアッゼさんを貫いたかに見えた。
「俺は今忙しいんだよ」
一瞬、本当に一瞬の攻防。そしてまたも男が敗北を喫して、側の木へ強かに全身を打ち付けた。
「……ヒューゲル、無駄な時間」
呟くような声音に、激しく咳き込みながら鞭の男が飛び起きた。
「邪魔すんじゃねえ、俺が――」
金髪の女が無造作に片手を挙げ、その手に赤い鞭が握られているのが目に留まった。
「モモ!」
周囲に影が落ちる。全力のシールドに、凄まじい衝撃が走ったのを感じた。とても、受けきれない。
「アッゼ――」
一人シールドの外にいたアッゼさんへとほとんど無意識に手を伸ばしていた。
「――さん!! ……ん?」
唐突に周囲が明るくなって、空気が軽くなった。思わず拍子抜けてたたらを踏んでしまう。
「え? どうなってるの?」
鞭の人たちがいないばかりか、森もない。
「な、なんだ?」
「え、これ転移?!」
振り返ると、魔族の子たちやラキとタクト、シールド内にいたみんながちゃんといた。
「アッゼさん?! みんないっぺんに転移は無理だって――」
すごい、こんなに一度に転移できたんだ! 喜色満面でアッゼさんへ駆け寄ろうとした時、その長身は力なく崩れ落ちるところだった。
「……無理。もう無理。アッゼさん、を……ちょっと頼むわ」
かろうじてそれだけ言うと、アッゼさんは完全にまぶたを落として脱力した。
「えっ? アッゼさん?! 大丈夫?!」
慌てふためいたものの、規則正しい呼吸に安堵する。多分、無理な転移をしてくれたせいだろう。ひとまず、アッゼさん含めみんなが無事で良かった。良かったけど……。
「あの、アッゼさん……ここどこ?!」
何もない平原を見回し、戸惑う魔族の子たちを振り返り、オレは途方に暮れて抱えたアッゼさんを見下ろした。
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