第549話 不安
「おるすって……お留守? 村がお留守なの? そっか、森が近いから夕方になるとみんな出歩かないようにしてるのかな?」
村に人影がないのは、森近くの村ならではの理由があるのかもしれない。それにしたって、冒険者たちが大人しくしているとも思えないけれど。
『違うぜ主! 人がいないのよ、だーれもいない。きっと廃村だぜ!』
「ええ? 地図には載ってたんだけどなぁ。ギルドにも知らせないと、きっと泊まろうとしていた人たちが困る――どうしたの?」
眉尻を下げてラキを振り仰ぐと、顎に手を合てて難しい顔をしていた。
「う~ん、廃村って突然なるものじゃないんだよ~? そりゃあ、無くはないんだけど~。だけどちゃんと村長がいるはずだから、そうなる前に届け出て何とかしようとするものだし~ギルドが何も言わなかったなら、数日前まで人はいたはず~」
真剣な表情に、ざわざわと胸が波立ち始める。
「で、でも『無くはない』んでしょう?」
「そうだな、『無くはない』ぜ。こんな森の近くなら特に」
「だったら……!」
ラキとタクトが視線を交わした。浮かないその表情に、鼓動が早くなる。まさか、そんなことはないよね?
「……だったら、魔物に襲われて壊滅した、ってことになるよ~」
痛まし気な声に、目を見開いて口を引き結ぶ。当たってほしくなかった想定が現実味を帯びて目の前にあった。
『だけど、それならチュー助がもっと震えあがってると思うのだけど?』
モモが訝し気に揺れ、チュー助が憤慨して腰に手を当てた。
『俺様、怖がってないぞ! だってそんなこと気付かなかったからな!』
普通、気付かないものだろうか。魔物に襲われた後なら、酷いことになっていると思うのだけど。
『血みどろの大地に破壊しつくされた家屋、飛び散った肉片やヒトであったものが――』
目を細めたチャトが淡々と語り始めると、チュー助が見る間に涙目になっていく。
『そそそそ、そんなことなかったぞ! アゲハ、聞いちゃダメ!』
『ちりろろー?』
慌ててアゲハの耳を塞ぎ、ふるふると首を振った。
――血みどろかどうか、ラピス、見て来てあげるの!
言うなりぽんっと消えたラピスは、ものの数分で戻ってきた。群青のきららかな瞳が、なんの曇りもなくオレを見つめる。
――人も、人のかけらもないの! 血の海も飛び散った内臓もないし、首ひとつ落ちてないの。
大丈夫だったの、と言わんばかりの穢れなき満面の笑み。
オレは引きつる口元を持ち上げ、小さなふわふわを撫でる。ありがとう、でもできればもう少し、ソフトな表現で報告してくれると嬉しいかな……。
「チュー助が平気ってことは魔物もいねえんだろ? 偵察に行ってみようぜ! 案外村のやつらは隠れてたりしてな!」
『そうとも、俺様を信じると良い! 危険があればこのチュー助が黙っちゃいないぜ!』
シャキーンとポーズを決めるチュー助に、生ぬるい視線を送る。確かに、悲鳴をあげて大騒ぎするだろうなぁ。
結局ラピスもシロも危ないものはなかったというので、オレたちは揃ってその村までやって来ている。
「誰もいねえ……」
1歩前を歩くタクトの背中が、わずかに緊張しているのが分かる。
「本当に、人っ子一人いないんだね~」
小さな村だった。宿泊施設らしきものはあるけれど、思ったより小さな村。その規模に不釣り合いな高い柵は、ある程度村が裕福であった証だろうか。
ただその柵に設けられた門は、閉じることすらされずに風に揺れていた。
「……やっぱり変だよね」
キィ、キィと軋む物悲しい門の音に耐えられなくなって、開け放って固定した。だって、誰かが戻ってくるかもしれないから。
「明らかに変だね~。何があったのかな~」
薄く沈んでいく日の中で、建物が少しずつ黒々と染まっていく。
何の痕跡も、破壊の跡すらない村は、ただ静かで、息が詰まった。
破壊の跡があった方がいいとは言えないけれど、どうしてこんなことが起こるのか。魔物に襲われて何の痕跡もないなんて、不自然がすぎる。
オレは不本意そうなチャトを両腕で抱え、ぎゅっと顎を埋めた。ふにゃふにゃと柔らかで温かい身体は、寒々としてくる心を温めてくれる。
すう、と吸い込んだ息をホッと吐いて、顔を上げた。
「襲われた痕跡がないなら、村の人は無事かもしれないよね?」
『血の匂いはしないよ? 魔物がいても、ここでお食事はしてないと思う!』
ぺろりと口の周りを舐め、シロがそう言った。……お食事って言うのはやめていただきたい。
シロ曰く魔物の匂いは『多分』しないそう。だけど、魔物はそれぞれかなり特殊なにおいなので、知らないにおいだと分からないかも、と耳を垂らした。現に、周囲に独特のにおいが漂っていて人のにおいも魔物のにおいも分かりにくいらしい。
「う~ん。無事な可能性はあんまり考えない方がいいんじゃない~? だけどこう何も変化がないのはどうしてかな~」
「盗賊……も暴れるよなぁ。あ、奴隷のためじゃねえ? 一人で出歩いてたら、奴隷にされて売られるぞって昔父ちゃんに怒られたっけ」
うっ……それは経験した身としては胸に痛い。だけど、それにしたって村人全員ともなれば抵抗するだろうから、こんな風にはならないだろう。
風の音しか聞こえない中、カラン、と響いた音に思わず身をすくめる。吹き抜けた風に、軒先に干してあった桶が音をたてて転がっていった。
「ひとまず、もう暗いしここを出ようか~。万が一危ないことがあったら困るから、さっきの場所で野営だね~」
ラキの言葉に大きく頷いた。村人には悪いけど、こんなところで一夜を明かしたくない。
もしかして、もしかすると嘘みたいに朝になったらみんな戻ってくるかもしれないし。
夜目は効くけれど、今はこの暗闇が嫌だ。オレは黙って光のない空を見上げた。早く、朝になればいい。きっと、お日様が顔を出せば気分も変わるはず。
ぽふ、と丸い手がオレの顎に触れた。ひときわ温かい肉球の感触に視線を下げると、抱えたままのチャトがじっとオレを見上げて目を細めている。
『お前が嫌なら。おれが、ここから連れ出してやろうか』
思いもよらない申し出に、ちょっと驚いてふわっと笑った。
「ありがとう、大丈夫だよ。お空の散歩は明るくなったら――」
そっか、空から見れば何か分かるかもしれない。
真っ暗な中で、闇夜に明るく見えるオレンジ色毛並みにしがみついた。
「チャト、高度を上げすぎないで旋回してみて」
ヒョウヒョウと耳元で風の鳴る音を聞きながら、上空で目を凝らす。今ならまだ、痕跡を探せるかもしれない。夜に向かって、草木が眠る今なら。
「あ! あった!」
オレの指を追って視線を滑らせ、チャトが小首を傾げる。
『何が。草と村と森しかない』
「うん、だけど見て! 草の中に道ができてるでしょう」
上空から見ると、草原の中に些細なけもの道ができているのが分かる。草原の草は、踏まれたからってそうそう萎れたままになるほどやわではない。相当な人数が通って行ったはずだ。
「――それが、ここなのか?」
「確かに、踏み荒らされた跡があるね~」
二人と合流して問題の場所へ行くと、オレたちは揃って難しい顔をした。
「どうして、森へ……?」
そう、くだんのささやかなけもの道は、まっすぐ森へと続いていた。……村の正面には、森へと続く街道があるのに。
「目印だけつけて、あとは明日だね~! さあ、早く戻ろう~」
振り切るように顔を上げたラキが、オレの頭を撫でて微笑んだ。
早く戻りたい。即席の野営地だけれど、赤々と燃える焚火を思い浮かべ、居てもたってもいられなくなる。
早く、戻りたい。
うすっぺらな布一枚のテントでも、そこは守られた家のように感じた。
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