第548話 掲示依頼
「おはよう、ユータそろそろ起きようか~」
優しい声に、なぜかざわりと嫌な予感がする。
だけど、まだ寝ていたいオレはその感覚を無理やり他所へ追いやって寝返りを打った。
くすくす、と笑う声が近づいて、微かにベッドが揺れた。
固く目をつむって何も気づかないふりをする。そうすれば、きっとどこかへ行くはずだ。
さらり。
体温の低い手が髪をかき分け、くすぐったさに首をすくめた。
心地いいような、悪いような……。
「ユータの髪はきれいだね~。艶があって、光が虹色に反射する。それに、とっても柔らかい~」
な、撫でるだけにしてくれないかな。そう指を差し入れられるとぞわぞわする。
「あれ~? まだ起きないみたいだね~仕方ないな~」
すす、と滑った手が顔の方へ移動する。同時に、顔付近のマットレスが沈み込んだのを感じた。
「このほっぺも素敵だね~。滑らかで、しっとりして、手のひらが気持ちいいよ」
近い。間近でささやかれた声に、ハッと身震いして目を開けた。
「起き、起きまぁす!!」
ガバッと布団を跳ねのけて体を起こすと、案の定ほど近い位置にラキがいる。
「おはよう~。ちゃんと起きられたね~」
悪い顔で笑うラキをひと睨みして、ぶすっとむくれながら服を着替える。
くそう、ラキに新手の技を覚えさせてしまった……。
勝てなかった。
そう、昨日タクトと二人がかりだったのに、完全なる敗北を喫してしまったのだ。
所詮、タクトなんて当てにならなかったんだから仕方ない。
『まあ、そういうことに関してはラキの方が5枚くらい上手よね~』
『俺様、5枚じゃ足りないと思う!』
チュー助は目をしょぼつかせながら起きるなり、余計なところだけ同意する。
だってラキの『褒め』はなんか違ったんだもの。今朝のだって、あのまま放っておいたら段々エスカレートするんだから。じわり、じわりと真綿で首を絞めるように……。
タクトなんて昨日壁際まで追い詰められて、泡を吹きそうになっていた。
『主だって甘い台詞のひとつやふたつ、言えなきゃいけねえぜ!』
腕組みしたチュー助が、渋い顔で流し目を寄越す。そうか、あれが甘いってやつ……だけどオレ、きっとねずみよりは上手にやると思うんだけど!
『それこそ甘いわよ、言葉だけじゃダメ。纏う雰囲気、仕草、声、全部よ! 全部に染み出す甘味成分が必要なのよ! これは猛特訓が必要ね』
『甘いのは、大事』
モモが張り切って弾んでいる。寝ぼけ眼で深々と頷く蘇芳は、きっと何一つ分かってないだろうけど。
――ラピスも、甘いのが好きなの。ユータのお菓子は甘くておいしいから、きっと上手なの!
頬にすり寄ったラピスを撫でて苦笑する。
でもまあ、きっと大人になるころには甘い台詞の十や二十、軽く言えるようになっているだろうと思う。
『……お前、大人だった時は?』
寝ているとばかり思ったチャトが、ちらりと片目を開けて小ばかにしたようにオレを一瞥した。
大人、だった時……。
そ、そうか。オレ、大人だった時がある。
なんだかもう、本当に過去の夢くらいぼんやりしているけど、確かにそうだった。
「い、言えてたよ、きっと」
そうに違いない。だって大人だったんだから。……きっと覚えていないだけ。
みんなの視線が突き刺さる気がして仕方ないけど、それもきっと気のせい。
勢いよく脱ぎ捨てたシャツは、呑気にへそ天で眠るフェンリルの上にふわりと落ちる。
――その瞬間、ばぁんと激しくドアが開いた。
「とうばつーー!!」
一瞬しゃかしゃかと空を切った四肢が、再び弛緩していく。にゃむ、と口元をもそもそさせたものの、淡いブルーの瞳は一度たりとも開かなかった。
「タクト、他にもお客さんがいるんだから~」
たしなめるラキに心なしかビクリとして、タクトがそそくさとオレのベッドへ腰かけた。
オレを盾にしようなんて、ひどい前衛もいたもんだ。
「討伐って、何か依頼が出てたの?」
振り返ると、タクトが満面の笑みで頷いた。
「そう! れっきとした討伐の依頼だぜ?! 素材狩りじゃねえやつ! まだ達成されてないなんてラッキーだったぜ!」
きらきらした瞳に、胡乱気な二対の視線が注がれる。
だって、素材目当てじゃない討伐って、基本的にはその魔物自体が何らかの脅威だってこと。ひとまず、そんな風に目を輝かせて言うことじゃない。
「あのな、それも今まで行ったことねえ場所なんだぜ!」
「え、それって何日もかかるってこと?」
「そう! だけどシロ車なら速いだろ? 絶対他のパーティより先に行けるぜ!」
他のパーティ? もしや、大規模討伐なんだろうかと首を傾げたオレたちに、タクトが意気揚々と説明してくれた。
なんでも、王都より馬車で二日ほどの距離にある森での討伐依頼らしい。大規模討伐ではないけれど、森が広いし冒険者の頭数がそろった方がいいってことで、掲示依頼になっていたらしい。剥がして受注する依頼書ではなく、指定された魔物を提出すれば依頼達成となる。大体の場合は満了の数が決まっているから、言わば早い者勝ちだ。
「だけど、チョウチョでしょ~? タクトがあんまり喜びそうな依頼じゃないのにね~」
討伐対象はデルージオモスって言うらしい。確かにサイズ的にはオレと同じくらいあるから怖いと言えば怖いけど、所詮は蝶……というか蛾? 牙も爪もないし、手ごたえのある相手ではなさそうだけど。
「そう思うだろ? だけどそれが――」
道すがら話すからと嬉し気にせっつくタクトに担いで行かれそうになり、オレたちは慌てて王都を出発することになったのだった。
「――それ、普通に危険だからまだ達成されてないだけだよね~」
「オレたちで大丈夫なの?」
たっぷり寝てご機嫌なシロ車は、今日もお馬さんビックリの速度で軽快に走っている。
チーズおかかおにぎりをちびちび咀嚼しつつ、シロと同じくらいご機嫌なタクトを見やる。
「大丈夫だろ! だってDランクの依頼だぜ?」
オレたち、Dランクになりたてホヤホヤだけど。何をどうして大丈夫だと思うのか。
ランクっていうのは割と曖昧で、なりたてと次のランクに上がる手前の冒険者では雲泥の差が出てしまう。今回は、そのベテランDランク向けだったのではないだろうか。
「ちょっと特殊だからね~。ユータ頼みになるかもしれないね~」
ラキの視線に、神妙な顔で頷いた。
なんでも、デルージオモスは別名幻惑蝶なんて嫌な名前がついているそう。そして、予想通り幻惑の類や毒が得意っていう搦め手専門の魔物みたい。どうして相性最悪そうな魔物にタクトが惹かれたのかと言えば……。
「色んな魔物が来るって言うぜ! 普段は向かってこないようなやつも! 絶対俺たちが知らない魔物もいっぱいいるだろ!」
それは、決して喜ばしいことではないよね……。
幻惑蝶が討伐対称になったのは、単純に数が増えたせいではある。だけど、搦め手専門の真骨頂が『ほかの魔物をけしかける』こと……。
そのせいで一気に森の危険度が上がって大変らしい。
「タクトは他の魔物と戦うことばっかり考えてるけど~、肝心の蝶の方はどうするの~? タクトなんて真っ先に幻惑にやられそう~」
「あ……」
ハッとした顔に、オレたちはため息をついた。幻惑を受けるのは、何も魔物だけじゃないはず。
途端に視線をさまよわせ始めたタクトに、揃ってじとりとした視線を向けたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます