第463話 脇見事故

ぽたり、ぽたり。

まるで最初から何もなかったように、地底湖は凪いでいた。ただ一つ、天井から滴る水滴だけが鏡面に波紋を広げている。


と、規則的に円を描いていた水面が大きく乱れた。

「ーーぶはっ! あいつらは……?!」

太い腕が水を割って突き出し、岸を掴んだ。次いで頭、肩、と順繰りに水面へ現われ、グラドはぐいと傍らに冒険者を引き上げた。

「ごほっ、な、なんだったんですか?!」

ぜいぜいと息をつき、重い体を水から引き上げると、2人は水面を見つめた。


「上がってこない……そんな、まさか」

顔色を悪くする冒険者をちらりと見やると、グラドは強く首を振った。飛び散る水滴は、湖面に無数の波紋を浮かばせる。

「いや、いいや、絶対そんなことはねえはずだ! 見ろ、こいつは召喚獣だ。少なくとも、あの一番小せえヤツは無事だ。それに、あいつがこれを寄越したんだ、自分の仲間が救える算段があるに決まってる!」

グラドの肩で、桃色のスライムが肯定するようにふよんと揺れた。

「そうか、召喚獣が顕現したまま……それなら!」

安堵した冒険者は、再び湖面を見つめた。

「あのチビ、魔法も回復も召喚も相当レベルで使えるってことになるがな! シールドとはな……あの犬っころだって、ただのデカイ犬じゃなかったんじゃねえか? とんだ実力者だったわけだ」

「は、はは。そう言えばそうですね……。変ですよね、なんでこのスライム当たり前みたいな顔してシールド張ってんですかね」

でも、できれば水面までシールドは保たせてほしかったかな、なんて呟き、冒険者は無理矢理口角を引き上げた。

『助けてあげただけで感謝なさい、そのせいで私はゆうたについて行けなかったんだから』

モモは不服げに伸び縮みすると、2人に倣ってじっと湖面を見つめた。


* * * * *


「なんだよ、これ……!!」

「ユータ! 大丈夫?!」

なんとか……! オレのシールドでもこのくらいならなんとかなる! 水の勢いも安定し、ほっと息を吐いた。

「うん、大丈夫。これ、なんだろうね? 何がしたいんだろ?」

何とかシールドは間に合ったものの、水も一緒に巻き込んじゃったので、腰まで水に浸かっている。かなり冷たい水だけど、今は呼吸できることがありがたいと思うしかない。

「何だろう~? 触手なのかな~? でもクラーケンなんかは海にいるはずだし~」

シールドにへばり付くように絡まった黒いものは、きっとあの影と同じものだ。地底湖は地下で広く繋がっていたようで、オレたちは引き寄せられるままどこかへといざなわれている。まるでサイア爺の時みたいだ。


――この黒いの、取ったらダメなの? 悪いものじゃないの?

不満そうにきゅう、と鳴いて、ラピスがほっぺに体を擦りつけた。悪いものなら攻撃してもいいんだけど、サイア爺のことがよぎったからだろうか、ひとまずこれが何なのかを知りたい。それに、ぐんぐんと近くなってきた大きな気配は、魔物とは違う気がする。


「お? 止まった?」

ラピスに返事をしようとした所で、ふわりと体にかかる圧が消えた。ぱしゃん、と水が跳ね、冷たい水にぶるりと震えた。

「真っ暗で何も見えないけど~」

「なんか、ザワザワするぜ。変な感じ」

だけど、シールド内に浮かべたろうそくほどの明かりでも、オレには見えてしまう。


目の前に広がった壁に、行き止まりかと思った。

つい、と視線を滑らせると、オレたちを捕まえている触手のようなものは壁から生えていた。壁は、触手と同じようにどこか柔らかそうで、ぶよぶよとしていて……。

「ユータ? どうした?」

「何か見えるの~?」

2人の台詞も耳に入らないまま、オレは目を見開いてこくりと喉を鳴らした。

ずんぐりとした体、大きく裂けた巨大な口に、ずらりと並ぶ牙。体の割に小さな目が、ぎょろりとオレを見た気がした。


『ーー大きなお魚だね~』

息を呑んだオレの横で、のんびりとしたシロの声が聞こえた。ふわ、と体を寄せたシロの体温を感じる。油の切れた機械人形のような動作でシロに目をやると、水色の瞳がオレを見つめた。

『お魚さん、どうしたんだろうね?』

にっこり笑う澄んだ瞳は、みるみるオレの心を光で照らす。

「……うん、そうだね。オレたちに用事があったのかな?」

ふう、と詰めていた息を吐き出し、きゅっと唇を引き締めて巨大魚に目をやった。

大きい。どこかで見たような――そうだ、チョウチンアンコウみたい。ただし、鯨サイズで全身から触手が生えているけれど。


「あのね、すごく大きなお魚がいるんだ。じっとして動かないみたいだけど」

「魔物じゃなくて魚なのか? 食い放題だな!」

「僕たちの方が食べられなかったらいいけど~?」

確かに! 見た目はアレだけど、お鍋にしたら案外おいしいかも。そう思ったら、フッと何も怖くなくなってくすりと笑った。食欲って偉大だ。


『……え~、水の次代。お初にぃ、お目にかかりやすぅ~。ここまでのご足労、すまんこってすぅ~』

突如響いた耳慣れない声に、文字通り飛び上がった。ばしゃんと飛び散った水しぶきに2人の悲鳴があがる。

「ユータ、いきなりはしゃぐなよ! 何だよ?!」

「何かあったの~?」

どきどき早鐘を打つ胸を押さえて首を傾げた。念話……? 2人には聞こえていないようだ。

『あ、あの。もしかしてお魚さんがしゃべってるの……?』

まさか、と思いつつ念話を送ると、触手が一斉に蠢いた。

『はいな~。水の次代、お目にかかれて光栄ですぅ~。さっそくですがぁ、お助けいただけると~恐悦至極ぅ~』

うにょにょ、と蠢く触手の不気味さにウッと後ずさったけれど、響いてくる念話は随分と間延びして、この上なく気が抜ける。

『えっと、何を助けるの? あと、水の次代って何のこと?』

『いけず言わんとぉ、わっしを助けてぇ~! まぁた当代にぃ、いじめられるぅ』

うにょにょにょにょ!!

おんおんと泣き(?)ながら激しくうねる触手に後ずさったものの、ひとまずこの大きなお魚は意思疎通ができるし、危険はないようだ。


「――魚が埋まってるぅ?! 何だそりゃ?! ドラゴンよりもでっかいしゃべる魚?? そんな強そうなヤツなら自分で出て来られるだろ!」

お魚から事情を聞いて、ひとまず3人で相談しようと打ち明けたものの、自分で言っててほら吹きも大概だと思ってしまった。しゃべる巨大魚が壁にめり込んで助けを求めてる、なんて……。

「だから~、自分で出てきたら洞窟が全部潰れちゃうんでしょ~? はた迷惑な話だけど、抜け出すのを思いとどまってくれて良かったよ~」

うん、本当に。

お魚さんは、地下水路に住む古い幻獣の一種らしい。この地底湖周辺もいつものお散歩コースだったんだけど、余所見して壁にめり込んだらしい……。なんせこの図体だから暴れて抜け出ると洞窟が崩壊しちゃうってわけで、じっと助けを待っていたそうな……。

『あの地震は君の衝突だったんだね……。でも、普通は助けなんて来ないだろうに、ずっとそうしているつもりだったの? そもそもどうしてそんな派手に余所見したの……』

『どぉしてもこぉしても~、水の次代、あんさんがおると思ったからにぃ~。こりゃえらいこっちゃと思うて気を取られたのよぉ。次代がおるなら助けてくれんかなと思ったしぃ~』

オレのせいなの?! そもそも水の次代って何?

『へぇ? 水の次代じゃない~? でも、水の当代の気配がぁ……』 

うにょついていた触手が一斉に項垂れた。見慣れるとかわいい……所もあるかもしれない。


目当ての人物じゃないならとお魚が暴れ出さないうちに、オレは慌てて言い募った。

「でも、ひとまず君を助けられるように頑張るよ! 壁が崩れないようにすればいいんだよね? 土魔法でなんとかできるかな? うーん、まずはシールドの方がいいかな?」

「――そんな簡単にいくか。お前はいつも甘ちゃんだ」

フン、とせせら笑う声と共に、シールドのから目が合ってオレは再び飛び上がった。

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