第340話 懐かしい春の味
ふわっと暖かい風が髪を揺らして、瞳を閉じてスン、と鼻を鳴らした。
「暖かくなってきたって感じがするね。いい香り」
『お花とちっちゃな葉っぱの香り! それとね、春の土の香り』
シロがオレと同じように天を仰いで尻尾を振った。どうやら土の香りも季節によって違うらしい。もちろん、日本みたいにはっきりと四季があるわけじゃないんだけど、ここらでは肌寒い時期がそろそろ過ぎようとしていた。
「暖かくなったらお花がいっぱい咲くのは、こっちの世界でも同じだね」
『きえいね!』
『俺様は花より実の方が好き-!』
オレの小さな肩の上で、あっちへ行ったりこっちへ来たり、チュー助とアゲハは心地よい気候に楽しそうだ。
今日はあんまりお天気がいいので、依頼を受けずに外へ出ていた。たまには、何もせずお散歩する日だってあっていいよね。
誰が植えたわけでもないけれど、草原にも森にも色が溢れて、やけに胸が躍る。暖かくなってくるとわくわくするのは、生き物の本能なんだろうか。きらきらとこぼれる木漏れ日が嬉しくて、両手を広げてにっこり笑った。
『あれ? ゆーた、お姉さんがいるよ? えーと、おいしいお料理のお姉さん』
「お料理のお姉さん……?」
ことんと首を傾げて茂みを抜けると、森に溶け込むような髪色のお姉さんが、大きなカゴを持ってしゃがみ込んでいた。
「あ! キルフェさんだ! どうしたの~?」
「おや、ぼうやじゃないか! どうしたもこうしたもないよ、金がないからねえ、地道に採取してんのさぁ!」
はっはっはと豪快に笑うのは、森人の綺麗なお姉さん、鍋底亭のキルフェさんだ。調理場に立っていた時と変わらないような軽装だけど、森の中で大丈夫なんだろうか。
「プレリィさんは? キルフェさん一人で大丈夫?」
「おやおや、心配してくれてんのかい? いっちょ前じゃないか」
からかうような声音でぱちんとウインクをしたキルフェさんは、ポッ!と手のひらの上に炎を生み出して見せた。
「魔法使い! 無詠唱なんだね!」
「森人だもんさ、このくらいは朝飯前よ! プレリィは店番さね。この時期はこいつを採っておかないと始まんないよ」
覗き込んだカゴの中には、たくさんの細長い植物。これってもしかして。
「どうだい? たくさん採れたろう? あんたも採っていきなよ、チュクシは今が食べ頃なんだから」
……なんて? その穂先が丸くて薄茶色で細長くて春先ににょきにょき出てくるやつって……
「チュクシ、知らないかい?」
聞き間違いでも噛んだわけでもなさそうだ。
「えっと、ちゅ……ちゅくしっていうの?」
恥ずかしい……また幼児語に戻ったみたいで。どう見てもつくしだけど、名前は違うらしい。
「そうさ! 今日はこいつを使った料理を作ろうと思ってね! また収納してくれるかい? もちろんレシピはとっておきのを教えるよ!」
「やったー! じゃあ、オレも一緒に採っていい?」
「もちろんさ!」
お許しを受けて、オレは目をきらきらさせて地面を見つめた。
『おやぶー! こえ? こえ、ちやう?』
『ちやうくないぞ! 偉いなアゲハ-!』
すっかりお兄さんなチュー助にくすくすしながら、オレもせっせとつく……ちゅくし採取に精を出した。じいっと真剣に地面とにらめっこして、つんつんと雑草の間から顔を覗かせる丸い頭を探す。土手なんかと違って森の中だから、なかなか見つけられなくて以外と難しいんだ。でも楽しいね、こういう採取作業って好きだなあ。
「ピピッ!ピッ」
例のごとくティアは大張り切りであっちこっち飛び回って群生地を教えてくれた。オレ一人ではとても追っつかないので、オレ、シロ&チュー助&アゲハ、モモ&蘇芳、に分かれて競うように採取していった。
「うわあ、いっぱい集まったねえ!」
オレたちのカゴはちゅくしで山盛りだ。オレは地面ばっかり見ていた体をぐーんと伸ばして大きく深呼吸した。
『これ、何? おてて黒い』
『あれー? 俺様も真っ黒ー!』
蘇芳がずいっと目の前に小さなお手々を差し出して不満げだ。ブルーグリーンのきれいな毛並みと桃色のかわいい指は、いつの間にか真っ黒になっていた。気付けばオレの指も随分黒くなっている。ただの泥汚れではない染みつく黒さに、オレたちは慌ててキルフェさんの所へ走った。
「ねえ! お手々がこんなになっちゃった! これ、大丈夫?」
ど、毒じゃないよね……? それに、ちゃんと落ちるよね……?
一斉に差し出された小さな手に、キルフェさんが大きく笑った。どうやら悪いものではないらしい。
「あっはっはっは、頑張った証拠だねえ。帰ってうちで手を洗うといいよ、薬湯で洗えばすぐ落ちるからねぇ! よし、じゃあそろそろ帰るかね」
振り返ったキルフェさんは、オレたちのカゴを見て大層驚いたようだった。
「いっぱい採れたでしょう!」
「そ、そうさね……こんなに? ……こんなに??」
そんなに何度も見直さなくても。だってティアもオレたちも張り切っちゃったからね。
「えーっと、召喚獣たちも手伝ってくれたから」
「召喚獣が? 採取を?」
普通は手伝わないのかな? まあまあと誤魔化すと、不思議そうなキルフェさんをぐいぐい押して、街へと向かった。背中に黒い小さな手形がついたのは、内緒にしておこう。
「帰ったよ! ぼうやたちも一緒だ」
「こんにちは!」
ばあんと勢いよく開けられた扉に、カウンターに突っ伏していたプレリィさんが飛び上がった。その端正な顔には、ばっちりと木目の跡がついている。
「お、おかえり! 早かったねぇ」
「誰も来ないからって、寝てる暇があったらレシピのひとつでも考案しとくれよ!」
「つ、ついぽかぽか気持ちよくってねえ。ここからは僕がやるから、今度はキルフェが寝ているといいよ」
プレリィさんは、ほっぺの木目を撫で、言い逃れできないと悟ったようだ。素直に自白してカゴを受け取った。
「さあ、まずは薬湯で茹でて、えぐみを取るんだよ」
「はかまは取らないの?」
見た目はつくしと同じだけど、調理法は似ているようで少し違う。まずはざっと洗って薬湯で茹で、その後はかまを取るそうだ。
ちゅくしを茹でている間に、オレたちの手もきれいにしてもらった。薬湯に浸けると、真っ黒な手がさあっと元に戻って、とても面白い。
プレリィさんは、茹で上がったちゅくしをザルに上げ、当たり前のように風魔法で冷ましつつ水を切ると、にっこり笑った。
「さあ、一苦労だよ、一緒にやろうね」
はかま取り、だね……これは本当に大変なんだ。ひとつひとつ、はかまを取るってすごく面倒で……
プレリィさんは、一つ手に取ると上から下へ、すっと手を滑らせた。するとどうだろう、つるりと剥けたちゅくしと、手に残ったはかま。
「そ、そんな簡単に取れるの?!」
「そうだよ、でもこれだけあるもの、大変だよ~?」
日本のつくしもこれを見習って欲しい。薬湯で茹でたちゅくしは、しっかりとした弾力があって、引っ張ってもおいそれとちぎれないしなやかさがあった。感触はつくしとは全く違うものだ。
つるりつるりと剥けるちゅくしが楽しくて、カゴいっぱいのちゅくしがみるみる減っていく。こんな作業ならちっとも苦じゃないね。
「ねえ、これで何を作るの? オレも作っていい?」
「うん、新鮮なやつなら塩茹でで十分美味しいからね、付け合わせのソースを作るよ。あとは、ガライ和えとスイ浸けにして……」
うん、塩ゆで以外はサッパリ分からないね。お互いレシピを交換しようってことで、オレはオレで調理を始めた。薬湯で一旦湯がいてはいるけれど、さらに塩茹でにしないと柔らかくはならないそう。
「ほら、こんな味だよ」
あーんと差し出されたちゅくしをぱくりと食べると、しゃっきりとした食感にほのかな苦みと甘みがあった。味はつくしに似ているけれど、食感はアスパラガスとふきを合わせたみたいだ。
これなら、塩茹でに合わせるソースはあれで決まりだね!
「美味しい~! このソース、どうやって作ったの? 色もきれい!」
「へえ、これはなんだい? お、おお……?! これは美味い!」
プレリィさんのお皿には、美しく盛り付けられたちゅくしに桃色と緑のソース。見た目も美しい一品だ。甘酸っぱい桃色ソースと、ニンニクっぽい風味の効いた緑のソースで、ただのちゅくしが上品なお料理に変わっていた。一方、オレの皿にてんっと盛られたのは、淡い黄色のソース。そう、庶民が大好きなマヨネーズだ。鮮度が命になるので、作ってすぐしか食べられない幻のソースだ。どうやらプレリィさんもお気に召したようだけど、お料理に添えるのは難しいかな。マヨネーズ焼きにすればいけるかも。
プレリィさんの料理は、どれも見た目から美しくて、とてもあの地味な食材から出来上がったとは思えない。対してオレのもう一品と言えば、昔懐かしい、茶色い地味料理。
「へえ、かなり濃い味付けだけど美味しいね。濃いから、何かと合わせるといいかもね」
「これはね、佃煮って言って、コム(米)と一緒に食べるものなんだよ」
炊きたてご飯を差し出せば、いたく感心したプレリィさんは、レシピを熱心にメモしていた。オレもプレリィさんの料理をメモするけれど、この通りに作っても同じように出来るとは思えなかった。やっぱり、腕が違う。
「豪華なお料理ももちろん美味しいけど、やっぱり懐かしいな」
ちゅくしの佃煮をほかほか真っ白なごはんにのせると、炊きたての香りの中に、ほんのり甘辛い香りが混じって、じゅわっとよだれが溢れた。うふっと頬を綻ばせると、はふっと大きな一口。これこれ、やっぱり、これだよね。
ちょっぴり食感は違うけれど、懐かしい味に満面の笑みを浮かべた。後でカロルス様たちにも持っていってあげよう。またお肉じゃないって言われるかな。
「随分幸せそうに食べるね。とっても美味しそうだ」
プレリィさんがオレを見て、くすくすと笑った。
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