第308話 お爺さん

ユータを背に、ラピスたちは青髪の人と対峙していた。

ラピスの容赦ない攻撃で、既にボロボロになった華奢な姿は、いっそ哀れなほどの焦燥を浮かべている。

「そこを、どけ……」

『あなた、勘違いしているんじゃない。ゆうたはあの……魚?を助けようとしているだけよ』

「嘘を言え!なら、なぜあの光はこんなに苦しい!」

生命魔法の光は、あらゆる生き物の生命の輝き。苦しむことはないはず……モモは訝しげに憤った顔を見つめた。

――今さら何を言ってもユータを攻撃したことに変わりは無いの。……覚悟するといいの……!

ラピスの周囲に浮かんだ膨大な炎の矢が、一斉に放たれた。必死にチャクラムで応戦する相手に、飛び交う管狐がさらに追撃する。


『ラピスは怒ると怖いね』

シロはこちらが優勢とみて、やれやれと腰を下ろした。

『あなたも大概怖かったと思うわよ』

『でもぼく、怒ってないよ』

確かに、怒ってはいなかったかも。冷静に戦闘モードに切り替えられるシロは、もしや最も戦闘に向いているのかも知れないと、モモは密かに思った。



その時、突如背後から生じた圧力を伴うような光の奔流に、青髪の人がよろめいた。

「うっ……」

――隙アリ、なの。

ズドンと走った雷撃は目を灼く閃光と共に、周囲の岩盤すら揺らして地響きを伝えた。岩盤の焼ける匂いに、シロが連続でくしゃみをする。


宙に浮かぶラピスの前には、妙な形に歪んだ黒い岩で道ができていた。岩盤をも溶かす猛烈な雷撃を前に、何者も無事であるとは思えない。

しかし、ラピスは不満そうに傍らを睨み付けた。その紺碧の瞳は、雷撃を掠めるように飛び込んだ人影に気付いていた。

――どうして邪魔するの!

青髪の人を蹴り飛ばして雷撃から逸らしたのは、均整の取れたしなやかな脚。

「……お前、ユータが見ていてもやるのか?」

怒り心頭であったラピスは、魔法の言葉『ユータ』を聞いてハッとした。

――違うの。ルーが来るって分かってたの。ただの脅しだったの。

「脅しの威力じゃねー!!」

ルーは、ぼろ雑巾のようになって転がった人に近づくと、無造作に掴み上げた。

――それ、誰なの。捨ててきてほしいの。

「てめーら、知らずに戦ってんじゃねー。そもそもなんで戦闘になった……ジジイを救いに行くって話だったんじゃねーのか」

ルーは、金の瞳を光の源へ向けた。

洞窟に溢れた柔らかな光は、溶けるように徐々に収束していく。


「ルー!!」


光の中から飛び出した小さな人影が、一足飛びにルーに飛びついた。思わず抱きとめたルーの足下で、投げ出された青髪の人が呻いた。

「てめー……無茶しやがったな」

「そう?ほら、元気だよ。無茶じゃなかったでしょう?」

胡乱げに見つめる金の瞳が嬉しくて、ユータは漆黒の瞳をぴたりと合わせて見つめた。

良かった、ルーがいて。ルーを助けられて良かった。だから、この人も助けられて良かった。

「あのね、ルーが大好きだからね、この人も助けたかったんだよ」

「…………はあ?」

溢れる喜びを伝えようと、小さな腕がぎゅうと堅い身体を抱きしめる。

「てめーの言うことは、いつも分からん」

ルーは、視線を泳がせて、プイと顔をそむけた。


* * * * *


「で、諸悪の根源がコイツか」

ルーの視線の先には、ズタボロになった青髪の人。

頑張ったみんなと、やっと戻って来られたラピスとの感動の再会もほどほどに、オレは目下の所その人を回復している。シロはかすり傷だったので一瞬だったけど、青い髪の人はなかなか重傷だ。

「随分激しい戦闘だったんだね……みんな無事で良かった」

黒くえぐれた岩盤を見やって、改めて背筋が寒くなる。こんな恐ろしい人から守っていてくれたんだね。

『えーと主ぃ、それは違うっていうか何ていうか』

――……ラピス、向こうを警戒してくるの!

オレのほっぺにすりすりしていたラピスが、思い立ったように飛んで行ってしまった。


「爺様ってあの人だったんだね……ねえルー、この人のお母さんたちはどこにいるの?」

「こいつらは血縁じゃねー、ジジイがいずこからか見つけてきた。神獣は次世代を見つけて引き継ぐものだ」

向こうに横たわっていた巨大なリュウグウノツカイは、浄化の光できれいサッパリ穢れを吹き飛ばされ、なぜかおじいさんの姿になって横たわっている。今はただ、眠っているだけだ。

『これもお魚になる?』

蘇芳が興味深げに青い髪を引っ張っている。血縁じゃないって言ってたから、お魚とは限らないんじゃないかな。それと、そんなに引っ張ったらきっと痛いよ?

『まさかここに神獣がいたとはね……この人が次世代の神獣になるんでしょ?強いはずだわ』

モモが青い髪の上でぽんぽんと跳ねた。……みんな、この人への扱いが乱暴じゃない……?


「よし、回復できたよ。あのね、結構穢れが溜まってたから浄化したよ」

「だろうな」

『それであの光に苦しんでたのかしら……』

モモ曰く、浄化の光が苦しいと言っていたそうだ。

ルーやあっちのお爺さんとは、比べるまでもないほどの量だけど、穢れは確かにこの人を侵食していた。あれほど濃密な穢れに満たされた空間で過ごしていたんだもの、神獣候補と言えどもそうなるよね。ただ、今回二度目の浄化をして分かったのは『神殺しの穢れ』ってルーが言うのは、浄化しても結晶として残るやつ。青髪の人を侵食していたのはその副産物みたいで、性質が違う。むしろただの呪いに近いから、浄化すれば消えてなくなった。

この人は浸食されていたせいで、あんなに怖い人だったのかな。


「で、いつまで俺に乗っかっている」

ルーのあぐらの上に座っていたオレは、うーんと伸びをしてもたれかかった。後頭部と背中に、温かく堅い弾力を感じる。まふっとしないのが残念だ。

「だって、この人まだ何も事情を知らないもの、起きたら危ないでしょ?ここが一番安全」

ふう、とこっそり息をついて力を抜いた。平気な顔をしていようと思うけど、さすがにしんどい。

あの時浄化の光が膨れあがったおかげで、暴れる穢れが一気に大人しくなった。同時にオレの心身もある程度整ったようで、長時間の重い浄化をしていた割に、思ったほどのダメージがない。

でも、穢れって何だろう。浄化の光で大人しくなった穢れは、別に害がないと思うのだけど、それでも穢れと言うのだろうか。オレが集めた穢れは、以前と同じただの美しい結晶として転がっている。普通の呪いは浄化すれば消えてなくなるのに、残ったこれは何なのだろう。




「おやぁ……なんとなんと珍しいこっちゃ」

聞き覚えのない声に、少し意識が浮上した。

あれ、オレいつの間に眠っていたんだろう。ずっしりと身体もまぶたも重くて、とてもじゃないけど覚醒しようという気になれない。

「……うるせー」

ふて腐れたルーの声が、低く身体に響いて心地良い。

「それがヌシの次世代ちゅうことか?変われば変わるものよ、あのガキンチョがまあ……」

「そんなんじゃねー!」

「ほうか、ほうか。良き人の子じゃ、げに恐ろしい力じゃの……まさか生きながらえるとは思わなんだ」

もしかして、この声はあのおじいさんかな。ふわふわとした微睡みの中で、良かったと微笑んだ。

「ジジイのガキのせいだろうが。引き継ぐんじゃなかったのか、半端なことを……」

「うむうむ、それについてはじゃ、まことすまんと言うほかないよの。ジジイは孫がかわいくなったのじゃて」

「…………」

さらり。

しばらくの間を置いて、ルーの大きな手が、手持ち無沙汰にオレの髪を梳いた。まるで膝の上の猫を撫でるように、節張った手がオレの髪を梳いている。

「……孫がかわいいのは結構だが。迷惑がかからねーようにしろ」

「ふぉふぉ、そうじゃの。この度はあいすまなんだ。儂も、かわいい孫も救われたのじゃな。まこと有り難きことよ……」

ふわりと、白檀のような香りが近づいた。おじいさんが、そっと手を伸ばしたのを感じる。

パシッ

何かを払った軽い音と、どこか気まずい沈黙が広がった。

「……っ!ぶふぉ!なんとなんと!」

「………お、起きたらうるせーからだ!」

どこか慌てたようなルーに、なんだかおじいさんの前だとルーは子どもみたいだと思った。ルーもきっとこの人が嫌いじゃないのだろう。

思い出したように時々撫でる手が心地よくて、オレは大きな安心に包まれて再び深く眠った。


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