第306話 地下にいたもの
ふわふわ、ぐるぐる回っているような、上も下も分からない暗い水の中。
息苦しさにも冷たい水にも襲われず、オレはぎゅっとつむっていた瞳を開けた。
『ゆーた、大丈夫?ごめんね』
「……あれ……?大丈夫……」
『あのね、モモが頑張ってるんだよ』
心配気にオレを抱え込んだシロが、すり、と顔を寄せた。
『も……っと……優しく、招きなさいよ、ね……っ!』
モモはふるふると震えながら、必死にシールドを支えていた。そっか、シールドを維持してくれていたんだね。さすが、頼りになる。
「モモ、ありがとう。手伝うよ」
『……ふう、ちょっと楽になったわ。変なのよ、この水』
二人で張ったシールドは、ちょっとやそっとで壊れはしない。だけど、なぜか徐々にシールドがすり減っていくような感覚があった。
「なんだろう……変だね。それに、すごく暗い……どこへ連れて行くんだろう」
時々がつんとぶつかるのは水中の魔物だろうか。これ、シールド張ってなかったら普通に死んでないかな?ちゃんと連れて行く気があるんだかどうだか……。
「ピピィッ!」
『シロに掴まって!』
突然のティアと蘇芳の声に、反射的にシロにしがみついた。次の瞬間、スカッと底が抜けたような感覚と共に、はっきりと重力を感じた。まるで無重力空間が終わったように、背中から石のように落ちる……!
『任せて!』
優雅に身を捻ったシロに、ぴたりと身を寄せてしがみつくと、真っ暗な中をヒュウヒュウと音をたてて落下していった。
どうやらシロが風の魔法で落下速度を少しだけ緩めているらしい。ぞっとするような落下の感覚が少し和らいだ気がした。周囲は依然真っ暗、淡く輝くフェンリルの美しい毛並みだけが光源だ。
「ライト……小さく!」
ろうそくほどの小さな明かりを生み出し、落下先へ投下すると、はるか彼方で下降が止まった。オレの目でなんとか発見できる、地の底だ。
『ゆーたありがと!見えるようになった』
「うん!でも、水はどこ行ったんだろう」
『地底湖なんだから、底が別の場所に繋がってたんじゃないかしら?』
底へ底へと沈んでいると思い込んでいたけど、どちらに向いているかなんて分からなかったもの、いつの間にか浮上していたのかもしれない。
『ちなみに、落ちる時にシールドみたいなのを通り抜けたわよ』
おかげで私のシールドが持って行かれたけど、とモモがぷりぷりしていた。
それにしても……寒さはそれほどでもなくなったけど、なぜだろう、恐怖感がどんどんと増していく。
「ねえ、オレ怖い」
『うん、嫌な気配がするから』
纏わりつくスライムのような、不快としか言いようのない淀んだ空気が、下降につれどんどんと増していく。オレの震える腕を感じて、ティアが心配気にオレを見上げた。
「ピ……ピピっ!ピピっ!!」
激しい風音の中、ティアの小さく力強い声が響いた。さえずるような、ティアの渾身の歌と共に、じわっと身体の内から光が満ちるような気がした。
「ティア……?」
『ゆーた、しっかり掴まって!』
ごうっと強く風を感じたかと思うと、シロが何かを足場に軽く飛んだ。
『わ……っと』
「シロ、ルーみたいにできるの?!」
まるで水面の浮き輪を蹴っているように不安定ではあったけど、シロは確かに、風を足場に少しずつ減速していた。
『よっ!っと、到着だよ。ルーみたいにはできないけど、真似はできたね!』
嬉しそうにしっぽを振ったシロを盛大になでて、オレも地に足を付けた。
辿り着いたその場所は、明らかに淀み、
「でも、身体はさっきより楽だ。ティア、何かしてくれたの?」
「ピ……」
羽毛を膨らませて目を閉じていたティアが、チラリとオレを見て小さく鳴いた。
「ありがとう。無茶、したんだよね……」
具合の悪そうな様子に、せめてと点滴魔法を使ってみる。怪我でも病気でもないから、助けになるか分からないけれど、それでもティアは少し力を抜いたようだった。
感謝を込めて、ふわふわした羽毛をそっと撫でると、改めて地の底を見回した。どうやら四方を囲まれた場所ではなく、一方へ伸びた道があるようだ。上へ登るしかなかったらどうしようかと思ったけど、とりあえず進める場所はありそうだ。
『ゆうた、そこにもシールドみたいなものがあるわ』
そちらへ進むしかないのだけど、そこにシールドがあると言う。さっきのシールドは通り抜けられたみたいだけど、次はどうだろうか。
あまり明るくしても魔物を呼びそうなので、灯しているのはろうそくほどの明かりだけ。本来オレの目ならこれで十分なのだけど、ここではほんの数メートルしか視界が確保できない。シールドの奥はただの暗闇が続いていた。
「どうしよう、触っても大丈夫かな」
もしやビリビリってなったりしないだろうか。
いきなり触るのは怖かったので、収納からお肉を取り出してぽいっと投げると、特になんの抵抗もなく通り抜けたようだ。
『ゆーた、ぼくが見てくるよ!』
よし、と気合いを入れて踏み込もうとした所で、サッとシロが先行してしまった。シールドの向こうへ飛び込んだシロは、ほどなくして戻って来た……口をもぐもぐさせながら。
『うん、大丈夫だったよ!』
ぺろりと口の周りをなめたシロが、満足そうに言った。
なんだか脱力しつつ、オレもそっとシールドをくぐり抜けた。
「うっ……!」
「ピッ……!!」
『どうしたの?!』
踏み込んだ途端、ありとあらゆる所から不快感が襲ってきた。おもわず嘔吐しかけてうずくまると、シロたちが慌ててオレを囲んだ。
こんな強烈なのは知らない。でも、この感覚はきっと……
「じょ、浄化っ!浄化っ!!全力浄化ーっ!!」
シュッシュするくらいではとても間に合わなくって、オレは人間スプリンクラーよろしく周囲に金の霧を振りまいた。
「はぁ……なんとか息がつける……みんなは大丈夫だったの?」
『ゆーたがきらきらした後は、随分身体が軽くなったよ!』
『体調が悪いのに気付かなかった、みたいな感覚ね。今とても楽よ』
ティアが一番具合が悪そうだ。一旦回路をつないでオレの魔力を回すと、かなり楽になったようだ。
『よく見えるようになった』
「あ、本当だね」
視界を覆っていた黒い霧のようなものが晴れて、先の方まで見通せるように……
「えっ……大丈夫?!」
そこには、華奢な身体を人形のように投げ出してうつ伏せた、青い髪の人。思わず駆け寄ったけれど、倒れた時に擦ったであろう傷以外、特に大きな外傷はなさそうだ。苦しげではあるけれど、呼吸も脈拍もしっかりしている。地面に散った青い髪が痛々しかった。
『迷惑な子ね……こんなとこで意識なくしたから、あんなデタラメな招き方になったってわけ?危なく死んじゃうところよ?』
具合の悪そうな人にも容赦ないモモに苦笑して、手をかざそうとすると、シロが奥から大声を出した。
『ゆーた!!来て!!早く!』
駆け戻ってきたシロが、かっ攫うようにオレを乗せた。奥の方にも誰かいるのかとレーダーを伸ばすと、ほんの小鳥くらいの小さな反応だ。
「どうしたの?」
シロはオレの問いかけに答えるのももどかしく、奥の通路に飛び込むと、振り落とさんばかりの勢いで下ろした。
「うわぁっ!これは……?お魚……??」
狭い通路の先は水没して地底湖に続いていた。そして、頭を陸に、身体を水中へ浸して横たわっていたのは、巨大な生き物。オレの知識の中だと、リュウグウノツカイに近いだろうか。ただし、途方もなく大きかったけれど。
25mプールに収まらないような長大な水生生物は、竜のような身体を晒してピクリともしなかった。
静かな姿は老いた王のような風格があるにもかかわらず、じわじわと漏れ出すように嫌な気配が漂ってくる。
悲しい……悲しい。この生き物を知りもしないのに、オレの胸に強い悲哀が生まれてぎりぎりと喉を締め上げられているような気がした。
巨大な生き物にわずかに残った生命の光。悲しく消えゆく命に、思わず手を伸ばした。
「うっ……これ……!!」
ひやりと触れた手から、ぞわっと駆け上るような生きた呪いの気配に、瞬時に思い出した。ここまでの禍々しさを感じたのは一度だけ。
「ルーのと、同じ……!!」
ただ、大きさが違いすぎる!呪いの規模も違う!できるだろうか、この儚い命が消えるまでに。
1つ分かるのは、やらないという選択肢がないこと。
「お願いだよ、がんばって!!シロ、モモ、みんな、頼むね」
オレは完全に周囲の警戒を捨てて目を閉じると、目の前の生き物に集中した。
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