第291話 リンゴ

『いろんな匂いがするね!人がいっぱいだねえ!どこに行こっか?』

今日は午前の授業がないので、特に目的もなくふらりと街へ出てきた。こういうの、生産的ではないかもしれないけど、とても贅沢な時間だと思うんだ。最も休みらしい休みかもしれないね。

「ハイカリクは本当に人が多いよね、いつもお祭りみたいな気がするよ。うーん今必要なものってあったかなぁ……」

オレたちにとっては長かった馬車の旅を終えて、こうしてハイカリクに戻ってみると、なんだか当たり前だった街の光景が不思議に思えた。外はあんなに人以外の生き物で溢れているのに、街にはこれほどたくさんの人がいる。人の『巣』って大きいね!街が巣なら、オレたち冒険者は働き蜂みたいなものだろうか。人も『生き物』ってカテゴリーの1つなんだなって、この世界ではつくづく感じる。

―ユータ、ラピス甘いのが食べたいの!ユータのお菓子が食べたいの。

シロの背に揺られてぼうっとしていたオレは、我に返ってにこっとした。


ラピスのリクエストに応えようと、オレたちが向かった先は露店市場。活気があると言うか、喧噪と言うべきか、特に朝はお買い得品を求めて、たくさんの人でごったがえしていた。賑わいに釣られてどこかウキウキと体を弾ませるシロ。それに伴って弾むオレの身体。もう慣れたけど……相変わらずフェンリルの乗り心地はさほど良くはない。座席が最高級でも運転が荒いとね……。

「ねえシロ、お菓子に使えそうなおいしそうな匂いはどこ?」

『うーんと…色々あるよ!でもぼく、この匂いが好き!』

言うなり早足で向かった場所は、どうやら朝どりのお野菜や果物のお店。色とりどりに並べられた商品は目にも鮮やかで、あれもこれも欲しくなっちゃいそう。


『ほらゆーた、あれ!いい匂いだよ』

シロの言う『アレ』がどれか分からないけど、店に一歩足を踏み入れると、そこはいろんな香りでいっぱいだった。ちょっと青い果実や葉っぱの香り、花のような複雑で強い香り、そして、どこか懐かしい嗅ぎ慣れたいい香り。

「この香りは……ああ、リンゴかあ!うん、いいね~」

『いい香りでしょう!僕これ好きだよ』

『これ!スオー好き!』

そうだね、蘇芳はりんごが好きだったね。小さなお手々で、リンゴのかけらを上手に掴み、カシカシと囓っていた姿を懐かしく思い出す。あんなに小さかったのに、抱っこできるサイズになったんだもんね。

なんだか不思議な気持ちで、ふわふわした毛並みを撫でた。


さて、じゃあ蘇芳のためにも、今日はリンゴで何か作ろうかな?

鼻を近づければ一段と強く感じる香りに、シャクっとした食感と甘酸っぱいあの味まで思い起こされて、じゅわっと口の中に唾液が溢れた。

ああ……いいなあ。

すっかり買う気で手に取ると、ぎゅっと重くて固い、やや小ぶりのリンゴだ。このあたりのリンゴは小ぶりで種が大きいけど、少し酸味が強いくらいで味はちゃんとリンゴなんだよ。

ただ、かごに盛られたそのお値段はびっくりするほど安くて、値札を見つめて首を傾げた。

「ぼうず、お使いか?それ昨日の風で落ちちまった若いやつだから安くしとくぜ!」

「そうなの?じゃあ、甘くない?」

「まあ…そうだなぁ…熟れたのに比べりゃ落ちるけどな……」

ちょっとがっかりした顔のおじさんに、オレは満面の笑みを向けた。

「オレ、おやつ作るの!だから酸っぱい方がいいんだよ。これ全部ください!」

「そ、そうか!よっしゃ、これもおまけだ。ぼうずが買ってくれてリンゴも喜ぶぜ」

きょとんとしたおじさんが、日に焼けた顔をしわしわにして笑った。

おじさんに手を振って大きなかごを両手で抱えると、ふわりと漂う爽やかな香り。これはいいリンゴだね、ジフたちにもおすそ分けしてあげよう。



「ジフ~これ、お裾分けだよ!」

「おう、リンゴか!なんだ、まだ若ぇぞ?酸っぱくて食えたもんじゃ……お前、何を隠してる?」

何も隠してないから!詰め寄らなくても教えるから!眼光鋭くオレの顔を掴んだジフの凶相に、そっとため息をついてじとっとした目を向けた。

「お菓子に使うリンゴは、酸っぱくていいんだよ。その方がくどくなくて、リンゴらしい甘酸っぱさが出る……みたいだよ」

実際は酸っぱいリンゴしか使ったことがないので、甘いリンゴでお菓子を作るとどうなのかは知らないのだけど。だって甘いリンゴはそのままが一番美味しいと思うしね。

「フン、やっぱりそういうことか……ふてえ野郎だ」

腕組みをしてふんぞり返ったジフは、どうやらこの後オレのスイーツ作りを見学するようだ。それなら一緒に作ろうか。


「じゃありんごを切りま~す」

『俺様?俺様の出番?』

チュー助じゃなくていいかな、ここ厨房だから包丁あるし。スパッとお断りすると面倒なので、ちょっと考えてリンゴのカケラを渡した。

『……しゅ、しゅっぱ~いぃ!!赤いのにぃ!甘くないぃ~~!!』

どうやら赤くていい香りのリンゴに、とても甘い想像をしていたらしい。一口でかぶりついたチュー助が、想像とのギャップに悶絶している。よし。

「大きさは結構なんでもいいの。オレはしっかり果実感あるのが好きだからこのくらい」

「お、おう……」

いくつかリンゴを切って、軽くキャラメリゼしたら、お手製の型に敷き詰めておく。あとは、タルトの生地を作ってかぶせたら焼くだけ!

「簡単じゃねえか……」

「うん、簡単なんだ。タルトタタンって言うんだよ」


180度のオーブンで~なんてわけにいかないから、焼き加減が一番難しいんだけど、そのあたりはジフの職人の勘と、ラピス部隊焼き担当班にお任せだ。最近はシロも匂いである程度の焼き加減が分かるらしく、重宝されている。

「そろそろじゃねえか……?」

『そうだね……多分、そろそろだと思うよ~』

「きゅ……きゅきゅ!」

シロとジフが頷き合って少しだけかまどの扉を開けた瞬間、何かがシュッと……かまどの中へ飛び込んだ!

「あっ?!ウリス?!」

―大丈夫なの!ウリスは焼き加減を直接見に行っただけなの!

「直接って!かまどだよ?!」

「きゅ!」

助け出そうとした所をラピスに止められ、慌てるオレの気も知らず、ウリスは半分凍った状態でかまどから飛び出してきた。うむ、と重々しく頷いたラピスが、焼成完了!と高らかに告げると、焼き担当班がピン!としっぽをたてて、きゅ!と唱和した。

ウリス……無茶苦茶だよ……氷をまとってかまどに飛び込むとか……オレ、ケーキに命賭けてほしくないよ……。

―ウリスは職人気質なの!自分の目で確かめてモノにするの!

ラピスとウリスは誇らしげに胸を張って鼻先を上げた。そう……管狐たちのことだから大丈夫なんだろうけど……お料理って楽しくするものだよ?そんな必殺技の習得みたいに身体張らないでほしい。


『じゃあ開けるね!』

しびれを切らしたシロが、ケーキが焦げちゃう!と器用に口を使ってかまどを開けた。途端に厨房の中に溢れる甘い果実の香り、洋菓子特有のバターの香り、香ばしいキャラメリゼの香り。

『んーー甘い!空気が甘い!空気も味があったらいいのに!匂いしかないなんておかしい!』

いつの間にか復活していたチュー助が、すんすん鼻を鳴らしたり、ぱくぱくと空気を口に入れてみたり、一人で忙しそうだ。

「ほう……いい香りだ。これは家庭的な料理か?美味いだろうが見た目が今ひとつだな」

取り出したタルトタタンに、少しガッカリしたようなジフ。このままだと見えるのは乗っけたタルト生地だけだもんね。

「見た目がそんなにいいお菓子じゃないけど……こうだよ!」

『あーーーー!!!』

せーの!でくるりとひっくり返したオレに、チュー助が悲鳴をあげた。

大丈夫、タルトタタンはこういうお菓子だよ。そっと型から外せば、飴色に艶めくりんごたちが、見事に丸くケーキとなって取り出された。

「お……おお?!リンゴしか入れなかったハズじゃねえか…なんでこうなる?!」

ごろごろしたリンゴが見事にケーキをかたどっていることに、ジフは興味津々だ。でも、なんでって聞かれてもオレは分からないよ?


『……おいしい……』

きらきらした瞳で、ほぅ……と息をついた蘇芳が、紫の瞳を閉じて、じっくりと余韻を味わっている。オレも大きくとった一口を頬ばると、甘酸っぱいリンゴがこれでもかと主張して、口いっぱいに果実感が広がった。その後を追いかけるように、タルト生地の食感と菓子らしい風味が、ただの果物では味わえないスイーツ感を醸し出す。それでいて決して気取らないその味は、どこか懐かしく、幸せを感じさせる力を持っていた。

「それ、足りるか?なんで2個しかねえんだ?」

みんなでタルトタタンを切り分けて、幸せを噛みしめた時、当然のように声がかかって振り向いた。

「か、カロルス様?!」

「いい香りね~今日は何かしら?」

「これってリンゴだよね?どんなお菓子になったのかな~?」

なぜかずらっとお皿を持って並んだ館の面々。

エリーシャ様たちの後ろにはメイドさんたちまで並んで、殺気寸前の圧迫感が漂っている。


結局、オレとジフでひたすらタルトタタンを焼くハメになってしまった……おかげでリンゴはすっかり使い切る羽目になったのだった。




――――――――――


コミカライズ版、ついに公開されましたね!!概ね好評のようで原作者としてとても嬉しいです!ニコニコ漫画の方でも公開されることを知らず、宣伝していませんでしたが、そちらでも見ることができますよ!すごいですね、漫画の画面にばーっとコメントが出てくるんですよ!面白いコメントも多くて楽しいです。馬のコメントには思わず吹き出しました(笑)私はもちろん両方登録済みです!!

それと、またまた3巻の巻末にお名前を掲載できるキャンペーンが開催されていますので、記念にいかがですか?もし、もふしらがビッグになったらオレが応援したからだ!って胸を張れますよ(笑)

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