第157話 道中2
エルバドッグ以外の魔物に出くわすこともなく、御者さんの様々なマシンガントークが続く馬車は、ようやく休憩ポイントに到着した。
ふう、なんだかぐったり疲れた。
やっぱりロクサレン方面が人気のせいか、休憩所も賑わっている。
ふとそこに気になる人を見かけて、じーっと注目する。フードを深く被って口元しか見えないその人は、オレが見つめるのに気付いて、チッと舌打ちした。
「おん……!?」
にこっとして駆け寄ろうとしたら、シュバッと目にもとまらぬ速さで接近して口を塞がれる。今のは転移じゃなかったのに…普通に速いんだね…。
「……?」
首を傾げて見上げると、フードの中できりりとまなじりをつり上げた紫の瞳と目が合った。
「て・め・え・はぁ~!!今大声で何つうこと言おうとしやがった?!」
えっ…普通に隠密さーんって……あ。
大声で呼ばれる隠密とはこれいかに。そりゃあ慌てて口塞ぐよ…いやー悪いことをしました。
「だって…隠密さんのお名前知らないもん。今日はどうして普通に見えるところにいるの?」
「うるせー!隠れるのに神経使うの勿体ねえんだよ。どうせてめえは俺の場所分かるんだろうが…。」
筋張った手をどかしてこそこそ会話する。
そりゃあ分かるけど…。オレはてっきり世間から見られないように隠れてるものだと…。なんだ、隠れなくても良かったんじゃないか。
「そうなんだ…それで隠密さんのお名前は?どうして休憩所にいるの?さっきまでいなかったのに…。」
「チッ!てめえが馬車で帰ってくるって言いやがるから!エリーシャ達が見て来いってうるせえんだよ!」
そうなんだ…相変わらず心配症なんだから。確かに隠密さんが見てくるのが一番早いもんね…ご苦労様です。
「いいか、てめえ余計なことはするなよ?真っ直ぐ家に帰りやがれ。」
「寄り道するところなんてないよ!」
フンと鼻を鳴らすと、オレから離れていこうとする。それで名前は?すうっと大きく息を吸い込んで…
「おんっ……!」
うぶっ…速い…さすが隠密さん。
「野郎…ふざけやがって!」
「隠密さんのお名前は?」
がちっと腰を捕まえて張りつくと、にっこりする。お名前聞くまで逃がさないよ?ついでの回復魔法はサービスだ。温かい回復魔法が心地よかったのか、少し態度の軟化した隠密さんは、ぐいとオレの顔を引きはがしながら小さく呟く。
「チィ…貸しがあったな………スモーク。他へ漏らすな。」
そう言うとさっさと人混みに紛れていなくなった。貸し…?なにかあったかな?
―ユータ前に回復薬あげたの!
ああ、しんどそうだった時か。別になくても大丈夫だったろうに、意外と義理堅い人なんだな。
徐々に遠ざかっていった気配が、ふいに早回しのようにみるみる離れてレーダーの範囲を外れていく。すごいな、転移…便利そうだ。
* * * * *
「おーいユータ?おーーい!!」
「ユータくーん!おーい!!」
「おかしいな…勝手にあちこち行くヤツじゃ……ないこともないな。」
「そうなのか?しかし行くといっても休憩所以外に行く所なんてないはずだが…。まさか誘拐?!」
「うーん…アイツそんなに大人しく誘拐されるかなー…。」
タクトは首を傾げる。休憩所に着くなり知り合いらしき人と話していたはずなのに…馬車の出発時間になっても、ユータは戻って来なかった。
あいつに限ってそんなはずはない。そう思いはするものの、徐々に不安が首をもたげる。
「旦那がたぁ-!早くしてくだせぇー!もう出ますよ-!!」
「ちょ、ちょっと、もう少しだけ待ってくれ!」
乗客は既に馬車に乗り込んで、休憩所内の人影はまばらだ。見逃すはずもない、遮蔽物のない広場。
『タクト!おいタクトってば!』
「うわっ!?ねずみが!?なんだこれは?!」
「あっ!チュー助!父ちゃんこれはチュー助だよ、ユータの肩に乗ってたじゃん。」
「いやネズミは乗ってたが…しゃべらないだろう?!」
「えーと何だっけ?なんか幽霊っぽいやつ!」
『っぽくないわ!どっちかっつうと精霊だって言ったろうが!』
「あ、そうそう短剣の下級精霊なんだって。」
『……そうだよ、どうせ俺様下級…伝言役ぐらいしかできないんだ…。』
「それで、ユータ探してるんだけどどこ行ったの?」
『……伝言預かってる。知り合いに連れて行ってもらうからタクトたちも行っててね、ごめんね、だって。』
「そうなのか…一緒に行きたかったのにな。」
「まあ、彼は貴族だろう、乗合馬車に乗っているのがおかしかったんだよ。送ってもらえるならそれでいいさ。貴族の知り合いにでも会ったんだろうね。」
「そういうとこは貴族なんだなぁ…。で、チュー助は俺たちと…あれ?いなくなっちゃった。」
「精霊なんだろう?消えてもおかしくないんじゃないのか?残りの道中は二人で行こう。」
「ちぇー。」
タクトが渋々馬車に乗り込むと、馬車はゆっくりと動き出した。
「あっ!エリだ!!おーーい!!」
「タクトーー!!」
にこにこ顔で手を振るエリ。村の門まで出迎えに来てくれていたようだ。
元気そうだな…明るい笑顔に自然と顔が綻んだ。馬車が止まるか止まらないかのうちに、ガマンできずに飛び降りる。
「わっ?!」
着地するはずだった足が宙ぶらりんのまま、体がぴたりと止められる。俺を支えるのは細く華奢な二の腕。
「えっ…?あの…?」
ドギマギして声をかけると、エリーシャ様は不安に揺れるグリーンの瞳で俺を見た。
「…ユータちゃんは………?あなたと一緒にこの馬車に乗っていると……。」
「エリーシャ、落ち着け。アリスはちゃんと部屋にいた、大丈夫だ。」
「あ……ごめんなさいね、私ユータちゃんがいるものだと思っていたから…。」
ハッとしたエリーシャ様が、儚く笑って俺をそっと下ろした。微かに震える腕が、その心情を伝えて俺の胸を締め付けた。
「あの…エリーシャ様、大丈夫、ユータは休憩所から知り合いに送ってもらうって言ってたから。……まだついてないの?」
ぴくり、とした領主様がにかっと笑って俺の頭をわしわしと撫でた。
「そうか、ありがとうな。エリ達は元気だったぞ、一緒に遊んでくるといい。」
「うん!ユータも元気だったよ!元気すぎるぐらいだよ!じゃあねー!」
俺は領主様たちにぺこりと頭を下げると、エリと手を繋いで走る。
「あのね、ママも元気になってきたのよ!ここ、美味しいものいっぱいあってすごく素敵な場所なんだから!パパも大活躍してるのよ!」
輝くエリの笑顔は、あの道中の悲惨さを塗り替えて余りあるものだった。
タクトを見送ると、真っ青な顔で震える父親に向き直る。
「り…領主様……その、彼は私たちに、知り合いと行くと伝言を残して既に発っていました。てっきり貴族のお知り合いに出会われたのかと…も、申し訳ありません…!!」
乗合馬車は決してスピードは出ない。貴族の馬車より先に着くことはないし、ここへ来る街道は1本道だ。先に出たユータが着いていないはずはない。
「あいつがそう伝言を残したんだろう?君はユータの護衛でも何でも無いからな、責めるつもりはない。ただ、詳細を聞かせてくれるか?伝言は誰が預かっていたんだ?」
「その……下級精霊というねずみが…。ユータく…ユータ様のネズミだと言うのですっかり信用したのですが…。」
あの野郎…!俺は思わずへたりこみそうになる。知らずギリギリと握っていた拳を開いて、しどろもどろ説明しようとするタクトの父親を制した。
「ああ…!大丈夫、分かった。大丈夫だ……そのねずみは知っている。…大丈夫だ。あの野郎…一体どこで何をしてやがる…!」
「ユータちゃん…ねえ、心配ないのよね?!」
「ああ、大丈夫だ。ラピスは俺達と同じくらい心配症だ。危ないときに絶対にユータの側を離れたりしない。」
忠助がそう言うなら大丈夫なんだろう…少なくとも、ラピスが忠介と共にユータの側を離れられるくらいは安全な場所にいるってことだ。
恐縮する父親を帰すと、取り急ぎ館へ戻ってアリスに伝言を頼もう。
もし、アリスがいなくなっていたら……逸る気持ちを抑えて俺達は執務室へなだれ込んだ。
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