第36話 浄化
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昨日はラピスがいない夜が不安で早くから寝てしまったけど、今朝の目覚めは最高だった。大きな窓から射し込む光、見えるのはきらきらした泉。ああ、無事に帰れてもここにはまた来たいものだ。
即席ハウスの中を見回してみるが、ラピスはまだ戻っていないようだ。うーん、いいお天気だしこの清浄な場所なら大丈夫って言ってたから、泉の散策でもしようかな?
即席ハウスを出ると、泉のほとりでしばしのんびりする。ゆらめく水面を両手ですくい、ばしゃばしゃ顔を洗ってから、タオルがないのに気付いて服の裾で拭いた。お風呂もずいぶん入ってない・・ラピスが帰ってきたら、ちょっと寒いけど水浴びでもしようかな?
そんなことを考えながら歩いていると、ごくまばらに生えた木々の向こうに湖が見えた。オレの足でも5分あれば行けるくらいの距離だ。あっちも清浄な場所なのは変わらないようだし、少し足を伸ばしてみる。
「わぁ・・。」
森林に囲まれて、澄んだ湖面は静謐な雰囲気を漂わせていた。まるで、神の箱庭のようだと言葉を失う。泉の方は生命力に満ち溢れていたけれど、この湖は・・あまりに静かなせいだろうか、どこか・・・墓所を思わせた。
そんなことを考えていたから、湖のほとりで横たわった大きな獣を見つけて、どきりとした。
微かに感じる生命の灯にホッとしたけれど、その気配は明らかに揺らめき、今にも消えようとしている。・・美しい景色の中、息絶えようとする気高い獣は、あまりにも悲しくて・・それが、正しいことなのか分からなかったけど、つい・・オレは駆け寄った。
近くで見ると、本当に大きい。オレなんて前足のひと振りで細切れになってしまいそうだ。けれど、なぜだろう・・怖くはなかった。それよりも、早く助けなくては!そんな衝動に突き動かされて、オレは迷わず獣に触れた。
最初は、満身創痍の様子からあちこちの傷が原因かと思ったんだけど、傷自体はこの獣の命を奪うほどではなかった。けれど、魔力を流して調べてみたら、『何か嫌なもの』が全身を巡って獣を蝕んでいるのが分かった。
「うわぁ・・なんだろこれ?気持ち悪い・・。」
毒と似ているけど、少し違う、ねばつくアメーバのようなものが広がっていて・・・なんだか、『汚染されている』という印象だった。普通に回復したのではダメだ、毒みたいに特殊な方法が必要だ。感覚的にそう思った俺は、ない知恵を絞って考えた。
汚染されてるならキレイにすればいい。きれいにするには・・汚水の浄化みたいに濾過していくのはどうかな?でも、どうやって濾過しよう?そもそも濾過フィルターはどうしたらいい?・・うーん、浄化、浄化・・・血液の浄化・・あ、血液浄化って言ったら『透析』だなぁ。透析っていうのは腎臓の代わりに、血液を体外の人工腎臓に通すことで浄化して体に返すものだ。はす向かいのおじさんが透析していたから、ちょっと知ってるんだ。体外で浄化・・これならイメージできるかもしれない。
獣の魔力を取り出して、フィルターを通すことで浄化してから返す・・・・うん、回路を繋いだオレ自身が浄化装置兼、フィルターになればいい!・・もっとスマートな方法がないものかと思うけど、しっくりくるのがこれしかなかったんだ。ただ、魔力はこれで綺麗になるとして、血液や体内に残る分をどうしようか・・。けれど、一時しのぎでもなんでも、この嫌なものを少しでも薄めていかないと、今にも獣の命の灯が消えそうだ。
ともかく応急処置的に魔力を浄化し始めると、血液や体内の嫌なものがどんどんと魔力の方に移行してくる。どうやらこの嫌なものは、魔力の方から浸食する性質があるみたいだ・・これはオレにとって都合がいい。時間さえかければ全て浄化できるはず。この大きな獣の体内から嫌なものを全て取り除こうと、オレは全力全開で頑張った。獣の魔力を受け取る右手に集中し、ねばつく嫌なものだけを塞き止める。フィルターも浄化装置もオレだ・・気を抜くとオレ自身がこの嫌なものに浸食されてしまう。じんわりと額に汗が浮かぶ。
どのくらい集中していたのか、獣の全魔力は恐らくオレとの間をぐるぐると既に何周もしているだろう。もう汚れた感じはせず、雄々しく力強い獣本来の魔力が感じられる。
あとは、全身の回復を・・極度の集中と疲労でぐらりと傾きそうになったオレの体を立て直し、回復魔法を施す。その時、オレは治療できた安堵にすっかり忘れていた。これが巨大な獣であることを・・。
身じろぎした獣が、金色の瞳を開いてオレを見た。起きた・・・良かった!ホッとするオレの小さな姿が、金の瞳に映り込む。ぐっと不機嫌そうな顔をした獣に、オレは自分が危機的状況にあることを思い出した。
「わわっ!起きちゃった!?待って待って、食べないでね!!」
魔物に言葉が通じるとは思わなかったが、オレは思わず声をかけたのだった。
ーーーーーーー
俺は強い魔力を感じて目を覚ました。起こした体から、ずるりと何かが滑り落ちるのを感じて見やると、あのガキだ。あいつ、俺の上で寝てやがったな・・。
ち、置いていくわけにもいかん。強い魔力はどんどんと近付き、俺の目の前に飛び出してきた。
ガササッ
「きゅ?!」
「・・・天狐?」
なんとも珍しい・・こんなところで天狐に遭遇するとは。俺は警戒を解くが、天狐は何やら切羽詰まった様子できゅうきゅう言っている。
「・・?ああ、こいつか?連れていくがいい、俺は迷惑している。」
ホッとした様子の天狐が、心配げにガキに近づいた。天狐がなぜガキといるのかは知らんが、あいつらは気まぐれだ、俺の知ったことではない。ぽすぽすとガキの頭の上で飛び跳ねているが、一向に起きる様子がない。
・・・・ん?・・少し、嫌な気配を感じてガキに鼻先を寄せると、天狐が果敢に俺の前に回り込んできた。
「・・何もしねーよ。そいつ・・様子がおかしくないか?」
鼻先でガキを仰向けにすると、非常に顔色が悪く、ぐったりと荒い呼吸をしている。
「きゅーーっ!!!」
わなわなと震える天狐が縋るように俺を見た。
「俺に頼られてもな・・・だが・・これは。」
すっと目を細めると、ガキの中にあの忌まわしい
「・・んん・・ラピス?」
必死に体当たりをかましていた狐のおかげで、ガキが目覚めたようだ。しかし・・・この穢れは俺にはどうにもならん・・だが、それでも死なせるなどもっての外だ。俺がガキを身代わりにしたようで、不愉快きわまりないからな。
「あれ・・・なんか、しんどい。オレ、風邪ひいちゃったかも。」
「風邪なものか・・・・てめー、俺の穢れをその身に受けたな。その小さき体では幾ばくも持たんぞ。」
「きゅ・・・きゅー!!」
みるみる潤んだ青い瞳が、キッと俺を睨んで戦闘態勢をとった。
「わ、ちょっと、ラピス!大丈夫だよ、そうじゃなくてね、この・・・人?が倒れてたからオレが勝手に治療しちゃったんだよ。・・・そっか、これはアレかぁ。ちょっと待っててね。」
俺のせいかと憤る小さな狐を抑えると、ガキは少し考えるそぶりを見せてから、祈るように手のひらを合わせると瞳を伏せた。何を・・?じきに死ぬぞと言ったつもりだが、ガキには難しかったか?焦る様子は微塵もない。
と、ガキがふわりと淡く光を纏うと、清浄な魔力が溢れ出し、俺は息をのんだ。
組んだ手の中に穢れが滞っているのが分かる。ほどなく黒い瞳を開けたガキには先ほどまでの死相は見当たらず、バラ色の頬に煌めく瞳が戻っていた。
「ラピス、大丈夫だよ、オレこの嫌なヤツ集めたまんま寝ちゃったから、ちょっと漏れ出しただけだよ。」
「きゅ・・・・・」
ガキは泣きべそをかいてしがみついてくる狐をあやしながら、俺に向かって小さな手をぱっと開くと、嬉しそうに黒い結晶を見せてくる。なんだ・・・?
「ほら見て!あの嫌なやつ、かたまりにできちゃった!他のは浄化したからなくなっちゃったんだけど。」
・・・俺は永く生きてきたつもりだ。
最期を覚悟したその後に、これほどの衝撃が待っているとは。
「・・・・・・・な?・・・でき・・??」
目を見開いてぱくぱくと口を開閉する俺を不思議そうな目で見るガキ。こ・・この野郎・・・
「で・・・できちゃったじゃねーーーーー!!!!」
俺の魂の絶叫は大森林に響き渡った。
『神殺しの穢れ』連綿と続くその忌まわしき呪いが・・・浄化された。
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