有翼竜の眼
Scene.51
有翼竜の眼
「メリッサが居なくなった?」
粉チーズの蓋が外れ、目の前のパスタが真っ白に染まる。
「あ……」
閑散とした昼時のオニオン・ジャック。
そのイタリアンレストランのオーナーシェフは、あの二人が寄り付くようになってから客が減ったと嘆いていた。蓋の緩んだ粉チーズも、彼の囁かな復讐だったのかもしれない。そんな恨めしげな視線が突き刺さる中、白兎と鹿撃ちは銀色のフォークにパスタを巻きつけていた。
窓の外では、今日も白い雪が舞っている。
「どうも最近、自分で情報屋雇って何か調べてたみたいだから。そっちで何かあったんじゃないかな?」
「そんなに大事なことなのかな。過去の清算ってやつが」
「さあ、ね。俺は全く拘らないけど、人によっては、それが生きる目的になるんじゃない?」
その時、彼女の向かいの窓ガラスが割れた。そこから黒い銃口が覗く。
咄嗟に二人はテーブルを盾にして隠れ、咄嗟にシェフがその窓に向かって包丁を投げた。一瞬、短い悲鳴が上がる。
そして、少しの間を置いて店内に銃声が響いた。
そんな鉛弾飛び交う中、二人はパスタをフォークに巻きつけている。
「それでメリッサと最後に会ったのは?」
「三日前。朝はいたんだけどさ。夕方、家に帰ったらご丁寧にピース・メイカーをテーブルの上に置いて消えてた」
「あの子らしいじゃん」
「まあね。ワガママって言うか。バカ正直って言うか、律儀って言うかさ。でも、何か放っとけないじゃん、あの子」
黒いコートの下から銀色のデザートイーグルを抜いて、男が適当に撃ち返す。
「解る。てゆーか、これの修理代、私たちに請求されるんだろうな」
「多分、ね。でも、君はお金持ってるでしょ?」
「ねえ、おっさん。かの大富豪ロスチャイルドが成功の秘訣を訊かれた時、何て答えたか知ってる?」
白兎は口を丁寧に拭きながら。「一に貯金。二に貯金。三も四も貯金だってさ」
「案外、堅実なのね、君……」
「刺激的な人生は撃ち合いの中だけで十分だろん。さて、ちょっとぶっ殺してくる」
「いってらっしゃい」
テーブルの陰から、真っ赤な瞳の白い兎が飛び出した。
ホールを駆け抜け、エントランスのドアを蹴破って。
雪空の下、ショッキングピンクの銃口が不気味に光る。騒然とする刺客たちへ、彼女は引き金を絞った。
キッチンストリートの一角が、血に染まる。
「こいつらどこの誰?」
「んー……、どれどれ」
死体のパーカーの袖を捲った。そこには、鉤爪を剥いた有翼竜のタトゥーが掘られている。この街である程度の年数を過ごしてきた彼女たちには、それがかつて地下街を拠点に活動していたギャングの証だとすぐにわかっただろう。トロイカを吹き抜ける風の音が、湿地帯に生息する多頭竜の、不気味な嘶き声にも聞こえる。
或いは、怨恨にまみれた悲壮な叫びにも……。
ポケットの中の携帯から、着信音が響いた。イルゼがそれを耳にあてる。
「――もしもし?」
「イルゼさん」
「……メリッサか? 今どこにいるんだ?」
「地下街のリキッド・ルージュに来てください。第三階層です」
「お前、変な奴らと関わってない?」
「……お願いします」
無音になった受話器を耳にあてたまま、白兎が笑う。
白い雪と灰色の雲が、空を覆っていた。
氷の都トロイカ。
雪に閉ざされたこの街では、一発の銃弾が火種になることがある。時にそれは、血生臭い抗争の引き金へと、人を駆り立てるのだった。
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