天使たちのいた瞬間

Scene.43

 天使たちのいた瞬間


「生きてるのはこの子たちだけみたいね」

「そう」

「どうかしたの?」

「別に。変わらないって思っただけよ」

「故郷よね。あなたにとっては」

「その言葉、気に喰わないのだけど。相変わらず、クソッタレな場所だわ」

 瓦礫の散乱する、破壊された街の廃墟の中で、私は彼女たちを見つけた。

 それは私と同じ、天使の名を与えられた子どもたち。

 人間の都合で造られた子どもたち……。

 荒廃した街の、その至る所で上がる煙は、青かった空を黒く染めていた。世界は変わり果てて仕舞った。こんな結末は、きっと、運命だったのだと思う。人間はパンドラの箱を開けて仕舞った。その代償は余りにも巨大な犠牲だった。

 しかし、パンドラの箱の中身を知ってしまった以上、人は代償を払い続けなくてはならない。それが歴史だった。虐殺と報復。戦争と平和。弾圧と解放。破壊と再生。その永遠と繰り返されていくであろう行為を、愚かだと気が付く者は、世界の真理を探す哲学者くらいだろう。

 真理とは、そういうものであってほしい。

 この黒い空の下、切に、そう願う。

「この子たちに名前をあげなきゃね」

「金髪の子はウリエル、黒髪の子はアゼル。そっちのアルビノの子はレミエル。そう呼ばれていたらしいわ」

「それじゃあなたと同じじゃない」

「いいのよ。それが私たちだもの」

「そうかもしれないけどさ……。かわいそうじゃないかなって」

「この子たちは世界を導くわ。私たちの救った世界を。貴女の生きた世界を。この世界の中で、天使は最期まで天使であるべきなのよ」

「それがあなたの希望なの?」

「いいえ。意思よ。希望なんて、持つだけ無駄よ。貴女たちの造った天使が、貴女たちの未来を創る。最高にクソッタレな皮肉だわ」

「あなたらしいね。そういうところ。ほんっと自分勝手で」

「そうね。でもこの世界も理不尽なくらい自分勝手じゃない? それが神の意思だとしたら、この子たちは人の意思。この子たちが世界と向き合った時どうするのかなんて、私たちには想像できないでしょ? それでいいのよ」

「ルシファル、あなた……」

「何かしら?」

「ううん。何でもない。ねえ、この子。ちょっと目つきの悪い子。この子はイルゼって名前にしようよ」

「何勝手なこと……」

「人の意思なんでしょ? だったら、ちゃんと名前をあげなきゃ、人の名前ををね。で、この髪が黒い子はクロエね? こっちの真っ白な子はリーゼ。ね? 覚えた?」

「相変わらずね。貴女も私と同じくらい自分勝手よ。でも、ありがとうって言うべきかしら。私じゃ考えつかなかった」

「あなたがお礼なんて、気持ち悪いんだけど」

「悪かったわね」

「ごめん。じゃあ、あなたは……。そうね。ルーシーなんてどう?」

「ルーシー、ね……。センスないわね、貴女」

「ごめん……」

 意思とは、何と残酷な運命だろうか。確かに、名前まで神に定められたままなんて、可哀想だった。それは皮肉でもあるけれど……。それでも、今日以前の彼女たちの運命に比べれば、随分と“人間らしい”選択肢だろう。

 選択とは、同時に何かを失うことだ。

 たとえ、非生産的な選択肢しか存在しなかったとしても、他の選択肢があったとしても、結局、私たちは何かを選ぶことで何かを失い続けている。何もかも運命や宿命という流れに身を委ねていられれば、随分と楽な人生であることだろう。しかし、私たちは常に選択することを迫られている。

 パンドラの箱を開けた、あの日から。

 ずっと。永遠に。

 しかし、この選択は正しかったと信じよう。きっと、歴史の中の英雄たちがそうしたように。彼らは選択を間違ったのかもしれない。けれど、その結果を直向きに信じた。だからこそ、彼らは英雄なのだ。彼らも、この不完全な世界の中で、必死に足掻いていたと思う。そして、死んでいった。

 それが人間なのだから。

 瓦礫の散乱する暗鬱とした世界の中で、黒い天使は振り返って、海を眺めた。

「貴女は、パンドラの箱には何が入っていたと思う?」

「そうね。希望かな」

「在り来たりね、それ」

「じゃあ、あなたは?」

「自由よ。箱の中身は自由。人がそれを手にした瞬間、神は死んだわ。そして、その代償を貴女たちは支払い続けているの」

「あなたらしいね」

 この先の未来も、世界は選択を迫られるだろう。そして、代償を払い続ける。神話に於いて、その箱の中身には、悲嘆、欠乏、犯罪などの災厄が詰まっていたと謂う。そして、最後に残ったものがある。

 きっと、それこそが自由なのだろう。

 人が手にした最後の禍い。自らが創造主となり、神を殺す為の、唯一の選択肢。それを掴んだからこそ、人は争い、人は絶望し、人は誰かを恨み、人は何かを失う。本能と理性が激しく対立しているように。しかし、その混沌の中でも、私たちは必ず、答えを選んでゆけるだろう。

 希望は消えない。私たち自身が選択を続ける限り。

 そう、このあどけない笑顔に誓う。

 こんなにも小さなてのひらで、貴女たちは何を掴むのでしょうね。

「ねえ、ルーシー。スカボロー・フェアって歌、知ってる?」

「パセリとセージとローズマリーと……、そんな歌でしょ。相変わらず、貴女は歌が好きね」

「タイムよ」

「だから?」

「だから、あなたもパセリ、セージ、ローズマリー、それにタイムね」

「は?」

「そういうことよ」

「意味わかんないわよ」

「覚えておけば願いが叶うおまじないなんだ」

「貴女、……それ、本当に信じてるの?」

「信じてるよ。ずっと。だからね、ルーシー。約束して」

「何かしら?」

「この世界が変わるまで、あなたに世界を託す」

「自分で見たらいいじゃない。貴女の望むクソッタレな未来ってやつ」

「生きてると思う?」

「人間って不便ね」

「それでいいんだよ。私は人間だもん」

「……いいわ。その約束、必ず果たしましょう。たとえ、神に成り下がってでも」

「頼んだよ、救世主様」


 ――ねえ、見ているかしら。

 今、この世界は、笑えるくらい、光に溢れているわ。


「海……、か」

 この世界を覆う生気のない暗黒を引き裂いた、その黒い天使は、安らかに翼を畳んだ。空の雲間から覗く太陽に照らされて、安らかにその赤い瞳を閉じる。ゆっくりと、天使は頽れた。

 白い翼が、宙を舞う。白い雪の間をすり抜けるように。

 最後に映した、限り無く自由で無惨な蒼空に抱かれながら。

 たった一人。目の醒めるような、コバルトブルーの海面へ。

 泡沫と共に融けてゆく。

 堕ちてゆく――

 最期に、もうひとりの救世主は微笑んだ。


 氷の都トロイカ。

 空から落ちる雪は何の慰めにもならない。雲の上にも、その更に上にも神は存在しないから。そうならば、この壊れた世界を、進歩的で平和な世界に戻したいのならば、今の我々には何が必要なのだろうか。

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