スカボロー・フェア

天使たちのいる理由

Scene.41

 天使たちのいる理由


「久しぶりね、ウリエル」

 黒いドレスが翻った。

 血で赤く染まった雪の上へと、その天使は舞い降りる。その手に巨大な黒い鎌を携えて。この雪の上に散らばる、人間だったものの残骸も、恐らく、それの仕業だろう。イルゼとそう変わらない年齢に見えるその容姿は、あまりにも無邪気だった。赤煉瓦の街並みから雪を削り取るように風が吹いている。

 白兎の真っ赤な瞳がその黒衣の天使と向かい合った。

 ニヤリ、とイルゼが笑う。挨拶なんて、必要なかった。黒いショートブーツを、一歩、踏み出した。銃のセーフティーを外して、棹桿を引く。

 彼女はショッキングピンクのイングラムとシュマイザーを構えると、天使に向けて銃爪を絞った。赤い煉瓦の壁に弾痕が散る。

 しかし、銃口の先に黒い天使はいない。

 咄嗟に彼女が見上げた先、真っ白な空に、一振りの黒い鎌が舞う。それは徐々に大きくなり、黒い天使と共に、地上を引き裂いた。衝撃で巻き上がった雪の中から、白い兎と黒い天使が飛び出す。

 紅い双眸を突き合わせて、少女たちは静止する。

「ウリエルって呼ぶんじゃねェーよ」

「相変わらず反抗的ね」

「何しに来たの?」

「そうね、――私の唯一の愛が、私の唯一の憎しみから生まれた。忌み嫌われる者を愛さねばならないとは、何て奇妙な愛の誕生なのでしょう――ってところかしら」

「ロミオとジュリエットかよ。それで自慢の悪趣味な鎌担いでやってきましたって? ジョークも悪趣味だな」

「あら、生き別れた姉と妹。感動的な再開じゃない。最後に会ったのは何年前かしら?」

「忘れたよ。つーか、神様ごっこの続きなら他でやんな」

「冷たいのね」

 イルゼがフードを目深に被る。

 雨が強くなった。殺戮の後が白い雪に滲んでいた。

「自分勝手なのも変わんないな」

 雪と氷の舞台の上で、その黒ずくめの少女は、切なげにロミオとジュリエットを演じている。

「女神の魂が、私たちの頭上を漂っている。貴女の魂を道連れにしようと求めて。貴女か、私か、或いは双方が、彼女と共に行かねばならない」

「良いこと教えてあげる。そいつは死神って言うんだよ」

 二つの銃口を向ける。鎌の柄を握る。降りしきる雨の中、白と黒が衝突した。

 真一文字、黒い刃がイルゼの眼前の大気を引き裂く。彼女はその刃の側面を蹴り上げた。ふわり、と体勢を崩した黒い天使が宙を舞う。その一瞬に、銃弾が降り注いだ。ルシファルの身体を弾丸が貫く。黒ずんだ血液が飛び散る。しかし、それでもルシファルは膝をつくことなく、着地した。

 その黒い天使は笑いながら、その白い躯を真っ赤な血で染めながら、尚も大鎌を振り上げる。

 雨粒をすり抜けた鋭利な刃は、それを避けたイルゼの胸元を浅く斬りつける。白いコートに血が滲んだ。

 二人は笑う。

「痛いわね」

「そうだね」

「でも死ぬことは赦されない」

「天罰かもね」

「そうかしら。運命だとは思わなかった?」

「くだらない」

 運命なんて受け入れたくなかった。義務だとか、使命だとか、そんなものはヒロイズムに酔った人間の、退屈で醜い自己弁護だと思っていた。私は、ただただ自由な居場所が欲しかった。誰かが勝手に造ったアガスティアの葉なんて、すべて燃え落ちて仕舞えばいいと思った。

 ――僕は船乗りじゃないけれども、たとえ其処が海の彼方の最果ての岸辺であろうとも、これほどの宝物を手に入れるためならば、危険を冒してでも海へと漕ぎ出すだろう。

 だから、私はここにいる。


 氷の都トロイカ。

 年間を通して氷に閉ざされているこの街にも、昔は季節があった。しかし、現在、その真実を知る者は、極僅かとなっている。時間は、確かに、世界を変えた。

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