雨の日

Scene.34

 雨の日


 いつもより暖かい日。珍しく。この街に雨が降っている。

 屋根の縁から、氷柱が落ちて雪に突き刺さった。そうして、少しずつ氷の街が溶けていく。

 こんな日に外を歩く人間は少ない。トロイカ西区画キッチンストリートも人影は疎らだった。そんな灰色の街の中を白い兎が歩く。くるり、くるり、と真っ赤な傘を廻して。

 ふと、彼女が立ち止まった。

 路地の奥から雨の芳香に混ざって漂ってくる、噎せ返るような血の匂いに気がついて。

「なァにしてるのかな?」

 ひょい、とイルゼが覗き込んだ先、そこに天使がいた。雪の様に真っ白な天使が、巨大な鋸を片手に。

 雨に濡れるアリスブルーの髪の先から、ぽたりぽたり、と雫が落ちていた。

 その物騒な少女の周囲には、バラバラになった人間だったものが転がっている。白い雪を真っ赤に染めて、返り血にしっとりと濡れた天使は微笑んだ。雑に引き裂かれた皮膚が雨粒を受けて弾む。引き千切られた若い女の首が、少女の足元で笑っていた。赤煉瓦の壁にもたれた胴体は縦に裂かれ、そこから収まる場所を失った中身が這い出ている。雪と血は混ざり合い、雨によって赤く溶け出していた。

 惨劇の舞台に佇む、返り血に染まった純白の少女が振り返る。

「あ、ウリエルお姉様。こんにちはー。久しぶりー」

「リーゼ? どうしたの? ひとり?」

「んーと、んーと、姉様たちに会いに行くって言うから、ルシファル姉様に着いてきちゃいましたー。えへへ」

 イルゼの顔が強ばる。

「……それで、あいつは?」

 その殺気を物ともせず、純白の天使は無邪気に、あどけなく笑った。

「わかんなーい。どっか行っちゃった。そんなことより一緒に遊ぼうよ! ウリエル姉様」

「ごめんね。私は暇じゃないゾん」

「えー! リーゼは退屈なのー!」

 リーゼと呼ばれたアルビノの天使に、イルゼはイングラムの銃口を向けた。短い咆哮と共に吐き出された弾丸は白い天使の左半身に無数の穴を空ける。その虚空から真っ赤な鮮血が噴き出した。

 しかし、その傷痕は瞬く間に塞がる。血の跡だけを残して……。

 そして、少女はにこやかに微笑んで見せた。

 黒い目玉を丸くして。

「もっと遊ぼうよ、ウリエル姉様」

 ふわり、と赤い傘が舞った。

 純白の天使が巨大な鋸を振り上げる。刹那、天使の躯を幾つもの銃弾が撃ち抜いた。

 白兎が地面を蹴って、リーゼの顔を目掛けて拳を振り上げた。

「おしおき、してあげる」

 その腕を、白兎の背後から何者かが掴んだ。

 振り返る。

 黒い蝙蝠傘の下に、紅い瞳の少女がいた。

「御機嫌よう。ウリエル。元気そうね」

「離せよ」

「いいわよ」

 その金髪の少女はそのままイルゼを放り投げる。雨で濡れた雪の上に白兎が転がった。

「レミエル、帰るわよ」

「はい、ルシファル姉様」

「待ちなよ。今更、何で来たのさ」

「また逢いましょう、ウリエル。感動の再開の続きは次の雨の日に」


 氷の都トロイカ。

 この街を訪れる人間は何かと訳アリなことが多い。時にそれは、強大な災厄を招き入れ、徐々に街を狂わせていくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る