ライオンハート

Take a five.

Scene.32

 Take a five.


 キッチンストリートの一角に店を構えるパン工房ライスから、黒いショートブーツで雪を踏みつけて、少女がフランスパンの入った紙袋を抱えて現れた。白いコートの裾を揺らしながら、少女はオリガから渡されたメモを眺める。その背中でウサ耳が揺れていた。パーティーの誘いに乗ったのはいいけれど、御遣いなんてやってられない。メモをポケットに仕舞うと溜め息をつく。空を見上げると、白い空から白い雪が落ちて来る。温かい紅茶と甘いお菓子で一休みしようか、とイルゼは前を向く。

 そんな彼女の左隣、一台の白いドイツ車が停まった。

 後部座席の黒いウィンドウが降りる。

「やあ、マッド・バニー」

「あんたと話すことなんてねェーよ、鷲鼻」

「相変わらず、色気のない奴だな」

「うるせェーよ。ヤりたいんならそこらで買えば? で、何の用?」

「最近、地下で出回る薬の量が大幅に増えていてな。どうやら、誰かが大儲けを企んでいるらしい。何か知らないか?」

「あのさ、私が地下に行かないって知ってて聞いてんの?」

「そうだったな。すまない。ただ、お前ならそういうのにも敏感だろうと思ってな」

「……他には?」

「シャムロックの乱射事件の犯人の銃を調べたんだが、これも供給ルートを外れた物だった」

「だから? 鷲鼻、あんたがこの街に流れる武器や薬のこと、全部把握してる訳じゃねェーだろ」

「勿論。だが、ここんとこ物騒になっているのは確かだ。条件が重なって来てるんだよ、ブラック・エイプリルの時と」

「そんな昔のこと誰も知らねェーよ」

 イルゼがセシルを睨む。

「てか、それで私を犯人扱い? いい加減、警察面しないでよ」

「俺はこの街が気に入っている。それだけさ」

「随分と卑怯な言い方するんだな」

「そうか? お前の中立主義も随分と卑怯なやり方だろう? 東か西か、お前がどちらかを選べば、それだけでこの街に平和が訪れる」

 ゆっくり、と。沈黙が広がっていく。

「生憎、私は博愛主義でね」

 混沌とした世界の中でも、空から堕ちる雪だけは白かった。その純真さに、人々は救われるのかもしれない。まるで、天使の羽根の様。サファイアの瞳は雪を眺めている。白い兎の、真っ赤な両眸の前で。

 その蒼さに、人は吸い寄せられるのかもしれない。

 残酷なほど深い。深い、蒼に……。

「なあ、マッド・バニー。ひとつ尋ねたい」

「何?」

「銃を突き付けて造り出した沈黙は平和と呼べるのか?」

 一瞬、沈黙があった。

「……あんたは?」

「俺はそれ以外の平和を知らない」

 キッチンストリートは普段通りに流れている。そんな日常の隅で、僅かに世界が軋んだ。


 氷の都トロイカ。

 年間を通して氷に閉ざされたこの街では、独自の統治体制が敷かれている。そんなこの街ではその一端を担うマフィアが最も平和的だ、という人間もいるのだった。

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