黒い四月

BLACK APRIL

Scene.30

 BLACK APRIL


 正午過ぎのキッチンストリートは混沌としていた。通り沿いのあちらこちらの店々で、エスニックなスパイスや、鉄板の上で跳ねるハンバーグ、そして、焦げたチーズの美味しそうな匂いが空腹を誘っている。カフェ・トムキャロットのカウンターでコーラを片手にホットドッグを頬張る冴えない警官の後ろで、不健康そうな牧師と退屈そうな女医の二人組が食後のコーヒーを嗜み、その前の通りを栗色の髪の女が紙タバコを蒸かしながら今日のランチを物色している。善人も悪人も、みんなお腹は空くものだ。

 それは束の間の平和な時間。

 窓の外の白い世界を、ゆっくりと。白い雪は流れてゆく。

 そんな稼ぎ時のオニオン・ジャックのドアに、黒いコートの殺し屋が手を掛けた。彼の背後に黒いハンチング帽を被ったローティーンの少女が立つ。奇妙な組み合わせだ。そんな彼らに、白いコートの少女と銀髪で長身の女という、また妙な組み合わせの二人組が親しげに声をかける。

「あ、おっさん。それにメリッサちゃんも。ハロー」

「あ、こんにちは、マッド・バニーさん」

「イルゼでいーよ。おっさん達これからご飯?」

「まあね」

 押し開けたドアの隙間から、濃厚なトマトソースの匂いと暖炉の熱が、波の様に襲いかかってくる。殺し屋と少女の後に続いて、狂った白兎と銀髪の暗殺者がドアをくぐった。まずまずの賑わいを見せる店内。窓際のテーブルでは赤い髪の男が執拗にボンゴレをフォークに巻きつけている。彼の横を摺り抜けて、彼女たちはホールの奥のテーブルに座ると一様にメニューを広げた。

 メニューを眺めながらの、楽しげな品定めが続いている中、銀髪の女が遠慮がちにイルゼの肩をつつく。ひょいと、白兎が顔を向けると、彼女はメニューの中の、ひとつのイラストを指した。

 赤い瞳を動かして、イルゼが覗き込む。

「オニオンスープの玉ねぎ抜き……。ああ、それただのコンソメスープだよ? しかも、具が入ってないの」

 その説明を聞いたオリガは、残念そうな視線を再びメニューに向ける。

 ちらちらと緑色の瞳を泳がせて三人の様子を窺っていた、茶髪の少女がメニューを閉じた。意を決して切り出す。

「あ、あの。皆さんはブラック・エイプリル事件のこと、何か知ってますか?」

「ブラック・エイプリル……、確か三年前の?」

「こんな時に変な話をしてすみません。でも、犯人についての情報はどこにも無いし、ジャンも教えてくれなかったし……」

「復讐のこと、まだ考えてたの?」

「私は、ただ知りたいんです。何で、私の両親が死んだのか」

 黒い殺し屋が口を挟んだ。

「あの事件は無かったことにされてる。そういうことは、詮索しない方がこの街では賢い生き方ってものさ」

 彼は右手を挙げてウエイトレスを呼んで、「ジャーナリスト気取りで死んでいった奴も大勢いるよ」

「おっさんの言う通りだなン」

「……どうしてですか? 皆さん、知ってるんですよね?」

 メリッサがそう問いかけた瞬間、彼女たちのテーブルの前で、ウエイトレスの黒いローファーが止まった。にこやかに微笑む。イルゼが注文を始めた。

「ペペロン、あとオニオンスープ」

「はい」

「俺も」

「ペペロンチーノとオニオンスープを二つですね」

「えーと、私は……、ジェノベーゼをニョッキで。あとオニオンスープ」

「ニョッキ・ジェノベーゼですね、それとオニオンスープが三つ……と」

「オリガ姉さん何にする?」

 そう聞かれたオリガがメニューを指差す。

「牛肉のカルパッチョ、羊の串焼き、タルタルステーキ……。肉ばっかだね。よく食べるね。あとオニオンスープ」

「畏まりました」

 オーダーを聞き終えたウエイトレスが去ってゆく。

「知ってても、多分、君の知ってることと変わらないと思うね。あの事件の実行犯は全員死んだ。そんな噂だってある」

「そんなはず……。どういうことですか?」

 その問い掛けに三人は何も答えなかった。暫くの沈黙。そうして黙々と運ばれてきた料理を食べ進めるだけの静かな昼食会が始まる。エメラルドグリーンの瞳が、悲しげに俯いた。

 ブラック・エイプリル事件。

 雪の日だった。

 三年前のトロイカ中央区のファッション街エイプリル・ランでそれは起きた。休日で賑わう白昼のブティック街に突如として現れた黒い殺戮者たちは、次々と買い物客を射殺していった。まるで、ウィンドウショッピングを楽しむ様に。悲鳴が消え、血のカーペットが敷かれた頃、殺戮者たちは通りの店々に火を放った。死者は五十六人を数え、その中には現場に急行した警官も多数含まれていた。

 甚大な被害を出した独創的で悲劇的な事件にも拘わらず、軍警察、及び軍部は事件について沈黙し、またマスコミにも圧力が掛かったため犯人や事件の詳細は未だ発表されていない。憶測が憶測を呼び、事件の真相については様々な説が出回った。鷲鼻ご立腹説、実はマッド・バニー単独説などなど……。それが表向きの概要だった。そうして何の真相も判らないまま、このブラック・エイプリル事件は闇に葬られて仕舞う。誰が何のために起こしたのか。その答えも、炎と共に消えた。惨劇の跡には焼け焦げたブランドのバッグや靴と、焼け焦げた死体しか残っていなかった。何もかも黒に染まって――

「……皆さん、知ってて隠してませんよね?」

 銀色のフォークを皿の上に置く。

 椅子を鳴らして、イルゼが立ち上がった。

「おっさん。ちょっとメリッサ貸して」

「ああ、かまわないけど?」

「ありがと。メリッサ、サシで話そう」

 誰も踏み入れていない新雪の絨毯に黒いショートブーツで足跡を刻む。二人の間に会話はなく、少女は白い兎の跡をなぞった。白い空がすぐそこにある。ふわり、と雪の舞う中で、メリッサはコートのポケットから抜き出した銃を構えた。両手でしっかりと握りしめて、その翡翠色の瞳は真っ直ぐに銃身の向こうの白兎を睨む。

 エンフィールド・リボルバーの撃鉄を起こした。シリンダーが、ゆっくりと回転する。その音を聞いて、イルゼは足を止めた。

 ハートを象った銀色のピアスが彼女の右耳で小さく揺れる。

「イルゼさん。教えてください」

「何を?」

「ブラック・エイプリルについて。何があったのか。どうして誰も知らないのか。誰がやったのか。そして、あなた方が何を隠しているのか」

「別に隠してないよ。よく知らないって言っても信じない?」

「この街の調停者である貴女が知らないはずない。何でもいいんです。教えてください。お金が必要なら、何とかします」

「……知ってどうすんの? 犯人見つけて殺す? それとも両親の墓の前で祈る? どっちも無駄だと思うけど」

「教えて」

「あのさ。犯人探し出して、復讐して、それでどうなるって言うのさ。過去は変わらないぞン」

「変わらなくたっていいんです。私の生きる目的だから」

「誰もそれを望んでなくても?」

「私は自由です。誰かの所有物じゃない。誰かの望む形の私になんかならなくていい。復讐のために生きようが、そのために死のうが、私の自由です」

「ふーん。……じゃあさ。今、撃ちなよ。それ、撃てる?」

「え?」

「能書きは要らねェーからさ。そのトリガーを引けるかって聞いてんの」

 ショッキングピンクのイングラムを右手に、白兎は振り返った。

 その瞬間、獰猛な銃口が砲火を上げる。その毒々しいピンク色の銃身から吐き出された弾丸は、メリッサの頬を掠めていった。パラパラ、と少女の茶色の髪が白い雪の上に広がる。

 エメラルドグリーンの瞳を見開いて、少女は立ち尽くしていた。ゆっくりと、イルゼがメリッサの元へ歩み寄る。そして、彼女の額にイングラムの銃口を突き立てた。降りしきる雪の中で、真っ赤な目玉の白い兎が、可愛らしく、そして、残虐に笑う。

「ねェ、そんなんで人殺そうなんてサ。お嬢ちゃん、死にたいの?」

 一気に蹴り上げた。

 エンフィールド・リボルバーが少女の手を離れる。イルゼの膝が少女の腹部にめり込む。ゆっくりと少女は崩れ落ちた。白い雪の上に横たわるメリッサの腹部を再び白兎が蹴る。少女の顔が苦痛に歪んだ。激しく咳き込みながら嘔吐するメリッサの髪をイルゼが掴んだ。彼女の頭を持ち上げ、恐怖と痛みに歪んだ顔を覗き込む。涙を溢れさせる翡翠色の瞳を愛おしそうに彼女は見つめて、少女の頬にショッキングピンクの銃口を突き付けた。

「ひとつ良いこと教えてあげる。何されても自分の武器は手放すんじゃねェーぞ」

 少女の顔から銃口を下げ、イルゼが続ける。

「人は自由だよ。だから、わがままで、傷つけ合う。クソッタレな世の中だろン? いっそ、人の幸せになんかに口出ししないで、自分勝手に生きてりゃいいのにさ」

「じゃあ、何で……」

「自分勝手で、わがままだからね。いーい? この街じゃ欲しいものは何でも奪うしかねェーんだよ」

「そんなの解ってる。でも……」

 少女は俯いて、「その力がなかったら、もう諦めるしかないのかな」

 その天使は、血だらけの少女に微笑んだ。

「女だろうが、ガキだろうが、撃った弾の飛んでく速さは一緒だよ」


 氷の都トロイカ。

 様々な思惑の渦巻くこの街では触れてはならない闇が存在する。もし、そこを覗こうとしたなら、その先には死が待ち受けているのだった。

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