Public garden
Scene.10
Public garden
礼拝堂の扉を開けて、最初に目に入る花壇の花々を彼女は眺めていた。
この街で、こんな場所で、こんなにも鮮やかな花が咲いているなんて。グレーのコートを纏った女は瞳を輝かせた。最初は、噂通りの、物騒な街だと思っていた。否、今もその印象は変わっていない。けれど、この花たちを眺めていると、救われたような心境になった。凍り付かない花もあるのね、と。
今では死者に供える花も造花ばかりだ。凍らない様に。或いは、元から凍りついているかの様に。
ひとつ、靴音が聞こえた。
女は顔を上げた。
懺悔室から出てきた、猫背で不健康そうな牧師と目が合う。長く、黒い髪の女は青い葉脈の透ける白い顔に笑顔を浮かべた。
「礼拝堂の中に花壇なんて素敵ですね、牧師さん」
「こんにちは。本日はどうなさいました?」
「ああ、大した用では……。最近、この街に引っ越してきて。家の近くに教会があったものですから」
「そうなんですか。僕の趣味なんですよ、ガーデニング。この通り、あまり人は来ないもので」
「確かに、もう流行らないでしょうね……」
「神も、花も。いつの間にか、人の目には留まらなくなって仕舞いました」
神への信仰心を、この街の住人は持たない。
何度祈っても、結局、救われることはないのだ。人々はそれを理解していた。死という不幸は、唐突に誰かを鷲掴みにする。それは隣人かもしれないし、自分かもしれない、もしかしたら、自分の愛する誰かかもしれない。それは明日かもしれないし、何十年も先かもしれないし、今かもしれない。信仰する神が違っても、或いは、神を信仰していなくとも、その結果は誰しもに公平に訪れた。だから、神に祈る暇があるのなら、愛する家族と少しでも長い時間を過ごしたい。それが、この街の住人の囁かな願いだった。
あの戦争は、何もかもを変えたのだ。
そして、凍り付かせた。
気候も、世界も、人の心も……。
「すみません。お名前を伺ってもよろしいですか? 僕はロンメルと言います。ファーストネームはエルンスト」
「私はダールベルグ。また来ても?」
「ええ。金曜日の夜以外なら開放しています。いつでもお越しください、ダールベルグさん」
「それでは、また」
「ご機嫌よう、あなたに神の御加護を」
礼拝堂を出た女は、振り返って、教会を眺めた。
あの場所で嗅いだ、昔の職場の懐かしい匂いを彼女は敏感に感じ取っていた。そう、あの手術室の、噎せ返る様な、血の匂いを。
白く、雪が降っている。
氷の都トロイカ。
荒んだ街の中でも、花は咲く。人が、自身の短い一生を狂気で染め上げる様に、その花たちも狂った様に、次々と花を開くのだった。
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