第12話 比叡ダンジョン
無事に送って貰った俺は、またしても一ノ瀬家で泊まる手筈になっていることを伊織から聞かされた。
それからは昨日と同じように夕食をとり、お風呂を済ませて就寝し、朝を迎えたのだが……。
「梓、起きて。朝だよ」
「……ん、もう少し…………」
優しく肩を揺すられて、布団を被ったまま小さく答えた。
それが気に入らなかったのか、凛華は掛け布団を剥ぎ取って、
「ほら、起きて。伊織ちゃんのご飯が待ってるよ」
それは大変だ。
伊織が作ってくれた朝食を無駄にする訳にはいかないとコンマ数秒で思考を纏めて、すぐさま布団の上に起き上がって伸びをしながら一度あくびをした。
相変わらず「ふぁぁ……」と可愛らしい声なのがなんとも言えないけれど、一先ず目が覚めた俺は軽く身支度を済ませてから食卓へと向かった。
伊織と奏さんが共同で作った朝食――一ノ瀬家では大抵が和食だ――を食べ終わり、伊織が淹れてくれた食後のお茶を飲んで一息ついていると、
「梓、今日は何か予定ある?」
「んや、ないけど……どうしたんだ?」
何かあったのだろうかと思い聞き返すと、凛華は「よかった」と言いたげな笑みを浮かべた。
「なら、私に付き合ってくれない?」
「……何をする気だ。内容にもよるぞ」
「大丈夫。特別なことじゃないから」
なんだ、それなら別にいいか。
何をすることになるのかとあれこれ考えていたが、凛華の口から告げられたのは――
「ダンジョンに行くよ」
という、非日常への案内状だった。
世界にダンジョンが生まれる前は、延暦寺が存在した比叡山。
滋賀県と京都府にまたがる山で、今は比叡ダンジョンとして知られるようになったその場所は、多くの探索者によって賑わいを見せていた。
山肌にポッカリと空いた空洞が比叡ダンジョンの入口で、今日の稼ぎを求めて探索者が次々と吸い込まれていく。
談笑している団体や、緊張感を漂わせた若い学生のような人もいて、その様子は千差万別だ。
そんな場所ですら俺と凛華の二人は酷く浮いて見えるだろうなぁ……なんて考えるも、ここでは実力が全てで、年齢や性別なんてものは瑣末な事だ。
「さ、着いたよ」
「……うん、そうだね」
時刻は昼過ぎで、真上から照りつける日差しが眩しく、一瞬目を細めた。
夏真っ盛りな気候にやる気が削がれてしまいそうになるが、それでもなるべく態度を崩さないように心がける。
というのも、既に周囲の視線が集まっているからである。
指をさしてヒソヒソと話す人や、粘つく嫌な視線すらも感じるが、それらを意識から振り払う。
見られるのは今更なのでしょうがないし、これからするのは命の駆け引きなのだ。
こんなことで集中力を散らしてしまっては危険だ。
まずは探索の準備をするべく、ダンジョンの入口付近に建てられている更衣室へと向かった。
男女で別れている更衣室で、当然のように女性側で着替えることになる俺はなるべく視線を他の人へと向けないようにしながら、キャリーバッグに入れてきた白いセーラー服タイプのバトルドレスへと着替える。
防刃・防水・防火その他諸々の性能を持っている極めて優秀な探索用の服装ではあるのだが、如何せんデザインが可愛らしすぎると思う。
……まあ、命が一番大切なので着るんですけど。
あとはいつも通り白い鞘に収まった刀を腰に吊るし、バックパックを背負う。
短時間の探索だろうから中身は軽めだが、帰りにどうなっているかは運次第だ。
所持品の過不足を今一度確認して、
「準備出来たよ」
「こっちもちょうど終わったよ」
隣で準備をしていた凛華から返事が返ってくる。
凛華の格好は俺が男であった時と変わらない、黒を基調とした袴のような服装だ。
長い黒髪はポニーテールに束ねられ、いつもとは雰囲気が違うように見える。
ダンジョンで袴というのはどうなのかと言いたくなるが、そこは個人の勝手なので俺は口を出さない。
というかセーラー服も大概だろうし。
凛華の袴も三葉重工が製造している戦闘服の一種で、性能も俺が着ているものには及ばないものの、十二分にいいものだ。
獲物は黒い柄を持つ長槍で、穂先が蛍光灯の明かりを照り返して妖しく輝いている。
そして目には見えないものの、投擲具の類もどこかに隠し持っているのだろう。
「なら早いうちに行こう。あまり遅くなると伊織が心配するから」
凛華は頷いたのを確認して、久しぶりのダンジョン探索が始まった。
整備が進んでいる入口付近は電気が通っている関係で出店なんかもあって、まるでお祭りのような騒がしさを感じるものの、少し奥へと進めばそれらは嘘のように消えていた。
本来は薄暗い洞窟のような場所だが、淡い光を放つルクスリーフがあちこちに自生しているため、視界に苦労はしない。
酸素の問題もダンジョンを研究している人達が言うには問題ないらしい。
そこはダンジョン特有の不思議構造といったところだろうか。
夏にも関わらず肌寒さすら感じる空気が肌を撫でて、思わずぶるりと身体が震えた。
「ちょっと寒いなぁ」
「これくらい我慢しないと」
凛華の言うことが真っ当なので、特に反論する気も起きない。
あまり着込むと動きにくくなってしまうので、今の服装くらいが関の山だ。
魔物から攻撃を受けてしまえば人間の身体ではひとたまりもないのが普通だ。
だからこそ装備を軽量にして回避率を上げるのが一般的なセオリーとなっている。
それでも全身鎧を着込んで盾を持つ、ゲームで言う壁役のようなことをしているドM……もとい、痛み知らずの勇者達もいるが、あれは特殊すぎるし集団戦でしか役に立たない。
それはおいといて……
「凛華、来たみたいだよ」
「うん、わかってる」
視線の先にソレが見えて、意識が切り替わり全身に緊張が走る。
俺の手は刀の柄へとかけられ、凛華も低く槍を構えた。
臨戦態勢へと移行し、心臓が煩いくらいに高鳴って手のひらにじわりと汗が滲む。
「あれは……小鬼?」
暗がりから現れたのは緑色の皮膚を持つ小柄な人型の魔物――小鬼だ。
口元を歪めて涎を垂らしながら迫る小鬼は、どうせ餌でも見つけたと思っているのだろう。
知能が低い魔物というのは上位の存在に統率されていなければその程度の行動しか出来ないのだ。
「みたいね。――いくよッ!」
先手必勝、まずは凛華が走り出して距離を詰めて、腹部へと槍を突き立てた。
ぐじゅりと嫌な音が弾けて、赤い液体がたらりと傷口から漏れだした。
「ギャイッ!?」
小鬼が耳障りな声を上げて凛華を睨みつけるも、視線が合うことはない。
同時に、両者の動きが止まった。
そのタイミングで、俺は動き出す。
走りながら、すぅ、と息を吐いて精神を研ぎ澄ませ、鯉口を切る。
凛華が槍を小鬼の身体から抜いて距離を取ったのを見て、その間に身を踊らせた。
キラリと刃が暗がりで煌めいて――横薙に銀の閃きが走った。
皮膚も肉も斬り裂き、首を繋ぐ骨さえも断ち切って空を斬った刀身に映るのは、宙を舞う小鬼の生首だ。
やがてぼとりと鈍い音を立てて地面へ転がったソレの目は見開かれ、断面は白と赤のコントラストが鮮やかだった。
――魔物の命を奪った。
幾度となく繰り返してきたはずなのに、針で刺されたようなチクリとした痛みが心のどこかに現れた。
「…………梓」
「……ん、ああ」
凛華から声をかけられて、放心状態になっていた意識を取り戻し、返事を返した。
調整で来た時は何も思わなかったのに、今日はなんだか変な感じがする。
「本当に大丈夫? 顔、青いよ」
「……なんでだろう、自分ではいつも通りのはずだったんだけど……ね。でも、大丈夫だよ」
出来るだけ凛華に心配をかけないように笑顔を意識すると、はぁ、とため息をついて、
「私が連れてきておいてなんだけど、変だと思ったら今日は帰るからね」
「それは過保護過ぎじゃないかな」
「それくらいが今の梓にはちょうどいいよ」
あからさまに子供扱いをされている気がするが、これ以上何を言っても無駄だと思い、一度刀を納刀して意識をリセットした。
毎回こんなことになっていては探索者なんてやってられない。
早く感覚を元に戻さないとと喝を入れて、地面へと沈む小鬼の死体を見下ろす。
ズブズブと音もなく消えていくのは未だに理解が及ばないものだが、それがダンジョンだと納得させて、残された小さな魔石を拾い袋へと入れた。
「じゃあ、次いくか」
次なる魔物を求めて踏み出したその瞬間、
「――いやぁ、素晴らしい太刀筋だね」
「「――ッ!?」」
背後から拍手と共にそんな声がかけられた俺と凛華は、瞬時に振り返りそれぞれの獲物へ手をかけた。
小さく舌を打ち、ここまでの接近に気が付かなかった自分の警戒の薄さに呆れつつも、その人物を見た。
金髪の青年で、一言で言えばイケメンの部類に入るであろう彼を見て、俺は僅かに警戒を緩めたものの、
「……うわ、なんでロリコンがここに」
あからさまに嫌悪感を示す声が隣から聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます