Case File No.005-11

 覇王島要塞中央指揮所で大花少佐は一人浮かれていた。


「処女が食える♪ 処女が食える♪ 処女が食えるぞー♪」


 妙な歌詞の歌を歌う大花少佐以外は、皆、沈痛な面持ちだ。


 せっかく助かるチャンスを大隊長がふいにしてくれたことで、すっかり諦めムードに支配されつつある。


 副大隊長の宮前大尉も苦笑いを浮かべるしかない。


「脱出路が伝わっていればよいのですが、伝わっていなければ二分の一の確率で外れを引きますよ。まあ、仮に当たったところで回収地点を聞くこともできないんですが……」


 一人だけ残っていた通信魔法官に無茶をさせすぎてしまい、魔力切れになってしまった。


 頼みの綱だった通信魔法官は重度の低魔力症により昏倒し、回復の目処めどは立っていない。


 はっきり言って最悪の状況だ。


 だが、大花少佐にはどうにかなるという確信があった。


「俺はまだ妹の咲に会っていない。これがどういうことか、分かるか?」


「大隊長の未来予知が外れたということですよね?」


「マクスウェルの電磁方程式から導き出される先進波は、時間を遡る波と解釈することができる」


「いきなり何ですか?」


「まあ、聞け。ホイーラーやファイマンなどの物理学者は、仮に先進波が存在したとしても相互作用により消滅すると言っている。だが、もし、それが消滅せずに過去に送られるとしたら、どんなことが起こると思う?」


「さあ? 何が起こるんですか?」


「人間の脳の活動は基本的に電気活動だ。そこには当然、電磁波が生まれるわけだ。その電磁波は波の一種。先進波が存在するのなら波の一種である電磁波にも存在することになる。そして、人間の脳が生み出す電磁波の先進波が、相殺されることなく過去に送られた場合、それを受け取ることさえ出来れば未来を予知することも不可能ではなくなる」


「何だか、仮定ばっかりの話ですね」


「霊子技術研究所が俺の能力について調べた結果のレポートだ。学者先生が大まじめに言っていたから、あながち嘘という訳ではないと思う」


「つまり、大隊長の未来予知には信憑性があるってことですか?」


「かもしれないって話だ。少なくとも占卜せんぼくたぐいとは違うらしい」


「その話を信じろ、と?」


「信じる信じないはおまえの勝手だが、俺が咲と出会う未来がないと考えたとしても、この要塞の陥落は既に時間の問題だぞ。通信設備を含め、その大半の機能を失い、辛うじて稼働している通風機もいつ止まるか不明だ。敵が充填封鎖を突破するのが先か、酸欠で死ぬのが先か、何れにしても未来へとつながる道はここにはない」


「だから、一かばちかで大勝負に出ろ、と?」


「まあ、そういうことだ」


 大花少佐はこの状況で余裕の笑みを浮かべる。


 その余裕は自らの能力から来るものばかりではない。


 生来の図太さがその余裕を生み出している側面もある。


 それは長い付き合いの宮前大尉も知っていた。


「楽しい人ですね、あなたは。何だかんだで長い付き合いになりますが、全然、飽きさせてくれません」


「それは褒めてるのか?」


「呆れてるだけですよ。全く水臭いんですから。そんなこと言わなくてもみんなちゃんと理解してますから安心してください。どうせ美人艦長の処女をいただくって話も冗談なんでしょ?」


「いや、それは本気だ。会ったことはないが、かなり可愛いと評判になっていたからな。抱けるチャンスがあるなら抱くしかないだろう」


「最低だわ、この人……」


 宮前大尉は冗談っぽく言って、最後の食事になるかもしれない携行食の栄養ビスケットを囓る。


 その姿は既に完全装備だ。


 他の部下達も同様だ。


 昏倒した魔法官を運ぶ背負子しょいこも用意された。


 号令さえかかればいつでも撤退できるように準備は完了していた。


「それじゃあ、名残惜しいがぼちぼち行くとするか」


 大花少佐が司令官席を立つと、休んでいた部下が一人また一人と何も言わずに立ち上がった。


 昏倒した魔法官を除く全員が立ち上がったところで大花少佐が号令を発する。


「現時刻を以て当要塞における全ての行動を終了する。ってことで、今からちょっとした保健行軍ハイキングだ。最終目的地は警備艦『いかづち』になる。警備艦『いかづち』は時空保安庁の中でも屈指の美人が揃っていることで有名なふねだ。このチャンスを活かすも殺すもおまえら次第しだい。人の温もりが恋しいやつは絶対に生き延びて口説くどいてみせろ。まあ、それが成功するかどうかはわからんがな。以上、示達事項したつじこう終わり」


 冗談交じりに示達事項したつじこう示達したつを終えると、部下達の表情が険しさを増した。


 リラックスモードから戦闘モードへと切り換えが行われ、各中隊長指示の元、整然と隊列が形成される。


「なんだ、おまえら。結構やる気じゃねぇか」


 面構えと動きを見て大花少佐は安心する。


「大隊長だけにい思いはさせませんよ」


「俺、まだ童貞なんで筆を下ろすまでは死ねないっす」


「自分、こう見えても結構モテる方なんで絶対に負けませんからね」


 等の言葉も聞こえてくる。


 困難な状況に抗おうとする彼らに必死さは何処どこにもない。


 誰もが生き残ることを信じ、前へ進もうとしている。


 それが頼もしく、誇らしい大花少佐だった。


「みんな馬鹿ばっかりだ」


 大花少佐が褒め言葉のように言う。


「あなたの部下ですからね」


 宮前大尉が間髪かんはつを入れず突っ込む。


「そりゃ、そうだ」


 愉快そうに笑う大花少佐につられて一斉に笑い声が上がる。


 二十三万の敵を相手にした前代未聞の撤退作戦。


 前人未踏の偉業を達成すれば恐らく勲章は間違いない。


 だが、彼らの興味はそこにはない。


 噂の美人達を一目見る為、彼らは静かに前進を開始した。




 大花少佐との通信が途切れた後、何故なぜか不機嫌になった副長は、大谷大尉に代わってCICの指揮を執る為に艦橋を後にした。


 直前までCICは砲雷長に任せて艦橋に留まると言っていたのに見事に裏切られてしまったかたちになる。


 ちょっとは仲良くなれたと思っていたらこれである。


 今後のことも相談したかったのに、一体何がいけなかったのだろうか。


「副長は、何故なぜ、機嫌を悪くしたのでしょうか?」


 ちょっと頬を膨らませながら真雪が言った言葉を、近くにいた早見大尉が聞いて驚いた顔をする。


「え、真雪はそれ本当に言ってるの?」


 早見大尉が珍しく砕けた口調で訊いて来る。


 年上の早見大尉は仕事は仕事ときっちり割り切るタイプだ。


 艦橋に立直りっちょくしている時は艦長としか呼ばない。


 名前で呼ばれたのもそれが初めてだった。


「航海長は原因に心当たりでも?」


「あー、本気で言ってるのかぁー。そりゃ、副長も怒るわけだー」


 実に嘆かわしいとでも言いたげに早見大尉はかぶりを振ってみせる。


「ごめんなさい……。本当にごめんなさい……。全部、兄のせいです……」


 司令席の咲が真っ赤な顔を手で覆い隠し、何度も首を横に振る。


「通信士……妖精ちゃんもわからないよね?」


 困惑する真雪は妖精ちゃんに助けを求める。


「うん、真雪は処女だもんね」


「それ関係あるの? って、妖精ちゃんもそうでしょ」


「残念、経験済みでした」


「うそ…でしょ……」


 覇王島の敵が二十三万もいることより、よっぽど衝撃的なカミングアウトに動揺が走る。


「え、通信士、それ本当ですか……?」


 辻村兵長は真雪以上に衝撃を受けたようだ。


「なになに? ひょっとして妖精ちゃんのこと狙ってたの?」


 早見大尉がヘッドセットの電話をかぶる辻村兵長を肘でつつく。


「そういうわけじゃ……ただ……ものすごいショックです……」


「辻村は純粋だねぇ。アイドルとかにも幻想抱いちゃったりするの?」


「そんなことは……ある…かも…です……」


 落ち込む辻村兵長の肩を早見大尉がバンバン叩く。


「妖精ちゃん、辻村が落ち込んでるからあとで慰めてあげて」


「ダメ。真雪みたいに安売りしない」


「だってさ、辻村、フラれちゃったねー」


 早見大尉は笑いながら抱きつき、辻村兵長の頭を撫でてやる。


「ちょっと詩織さん、仕事中ですよ。過度なスキンシップはやめてください。それと妖精ちゃん、私は安売りなんてしませんからね」


 真雪は妖精ちゃんを睨み付ける。


「処女はこれだから……」


 プッと失笑する妖精ちゃんはその表情でも小馬鹿にしていた。


「処女だから何なんですか? さっきみたいな冗談だってちゃんとわかっちゃう私は充分に大人ですよ!」


「冗談って、大花少佐が言ってたやつ?」


「そうですよ。ああいうセクハラ紛いの冗談もさらりとかわせるんです。経験済みかどうかなんて関係ないんです」


 真雪が無い胸を張って発言すると、それを聞いた妖精ちゃんと早見大尉が顔を見合わせた。


「艦長、それはたぶん誤解です……」


 野口中尉が苦笑いを浮かべながら指摘する。


 三人の女性士官が見せる微妙な反応にさすがの真雪も不安になる。


「咲さんはどう思います? お兄さんの発言は冗談ですよね?」


 助けを求めるように見つめる視線の先で、咲が無慈悲にかぶりを振った。


「兄は本気です。本気であなたを抱くつもりです」


「いやいやいや、それはダメ。ダメですよ。だって、お会いしたこともないんですよ。付き合ってもいないのにいきなりそれは絶対にダメでしょ」


「こんなことを身内の私が打ち明けるのも何ですが、兄は女性に対してだらしないところがありまして……」


 口籠もる咲に代わって妖精ちゃんが真雪にとどめを刺す。


「大花少佐はヤリチンで間違いなし。真雪は完全にカモられている」


「はい……。妖精ちゃんの言うとおりです……」


 ついに認める咲。


 ショックを受ける真雪は一瞬で顔面蒼白になる。


「うそ……。そんなの、いや……。だって、そういうのは好きな人じゃないと……」


 真雪は囁くように言って頭を抱える。


「あー、いるよね、こういうって。天然で誘っといて、いざとなったら誤解ですぅって言って逃げちゃう。ちょーうざっ……」


 苛立たしげに発言したのは野口中尉だ。


 彼女は時々、こんな風に黒い部分を出す。


 最初は普段とのギャップに驚くことも多かったが、出会って一月以上も経つとさすがに慣れた。


 人によっては腹黒いと言う人がいるが、それは誤解だと思う。


 ただ黙っていた方がいことを思わず言ってしまうだけだ。


美桜みおっちはちょっと言い過ぎだけどさ。真雪が誤解させたのは本当だからね」


「処女の真雪は男がわかってない」


 早見大尉と妖精ちゃんも野口中尉の味方のようだ。


「咲さぁん、助けてくださぁい……」


 咲に助けを求める真雪。


「大丈夫です。兄はイケメンですし、女性の扱いには慣れていますから」


 真雪にとっては気休めにもならない言葉だが、全く無関係の野口中尉がピクリと反応する。


「イケメンって、どれくらいイケメンなんですか?」


「背は低いんですが、顔は確実に俳優なみです」


「で、セックスも上手うまいと?」


「皆さん、兄に夢中でしたので間違いないでしょう」


 野口中尉はゴクリと唾を飲み込み、真雪に深々と頭を下げた。


「先程の無礼をお許し下さい。あと、万が一の時は私に全てお任せ下さい。この身に変えても艦長の貞操を守って見せます」


「いいんですか?」


い男とはとりあえずやっとけ。それが私のポリシーですから」


「野口中尉は御自身の欲望に忠実なんですね……」


 ちょっとドン引きの真雪であったが、我が身の安全を守れるのならこれに越したことはない。


 本人も望んでいることだし、ここはその厚意に甘えておくことにしよう、と素直に思った。


「ところで、副長は何故なぜ、あんなに怒っていたのでしょうか?」


 真雪が最初の質問に戻ると、艦橋立直りっちょく者が一斉に溜息をいた。


「だめだ、こりゃ……」


 妖精ちゃんの言葉で一斉に笑いが起きる。


 真雪は意味が分からず、ただただ困惑するばかりだった。

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