Case File No.005 『霧の彼方に』

Case File No.005-01

 残酷な、しかし、朗報とも言える事実が咲に伝えられたのは、覇王島はおうとう襲撃から六時間後のことだった。


 兄が生きているということを知った咲は、深く輝く青の瞳に一杯の涙を浮かべて感謝の言葉を述べたが、続く真雪ちゃんの言葉に強い衝撃を受けていた。


「お兄さんがいる覇王島はおうとうは、現在、孤立しています。このままでは遠からず玉砕ぎょくさいすることになるでしょう」


 場所は第三警備隊群司令室。


 時刻は三月十九日火曜日午前九時。


 出勤直後、小松司令に呼び出された熊吉は、伯爵、パトラッシュと共に、警備艦『いかづち』への乗艦命令を受け取った。


 同時に、民間協力予定者一名を連れて第三警備隊群司令室への出頭を命じられる。


 民間協力予定者の名は大花咲。


 とにかく咲を連れて第三警備隊群司令室へ向かえ、とのことだったので、パトラッシュの車で一度アパートに戻り、咲を連れてここまでやってきた。


 橋本中将と共に待ち構えていた真雪ちゃんが手際よく事情を説明を終えたところで、用意されていた役務えきむ調達契約書が差し出された。


「神をも恐れぬ一線級の英霊達が退しりぞいたという事実が全てを物語っています。たとえ、咲さんが神様であっても油断はできないでしょう。ただし、現状、お兄さんを救う手段はあなたのお力に頼るほかありません。よくよく考えて決断してください」


 真雪ちゃんの真剣な表情に対し、咲は無言でうなずいた。


「一つ聞かせてください」


「はい、何でしょうか?」


「私が断っても、山田大尉や皆さんは兄のもとへと向かわれるのですよね?」


「無論です。私のふねの乗組員はもとより、補強人員に関しましても命令拒否権は有しておりません。私に選ばれた者は、私のふねと運命を共にしていただきます」


「なら、考えるまでもありません」


「お引き受けいただけるのですね?」


「はい。兄はもちろん大切な家族ですが、今は山田大尉が私の一番大切な人です。彼を護る為ならば喜んで協力させていただきます」


 咲は隣に座る熊吉の手を握り、はにかむような笑顔を見せる。


「ふぅ、暑い、暑い。なんだか、急に部屋が暑くなった気がするぞ」


 橋本中将が手で扇ぐような仕草をする。


「あー、何だか、私も暑くなってきました」


 真雪ちゃんも橋本中将にならって自分を扇いでみせる。


「我が輩達はもう慣れてしまったな。のう、パトラッシュ?」


 熊吉の右に座る伯爵が、背後に立つパトラッシュに同意を求める。


むつまじきことは良いことであります」


 と、パトラッシュは何度もうなずいてみせる。


「みんなからかわないでくださいよ」


 熊吉が抗議の声を上げると皆が一斉に声を出して笑い出した。


 一頻ひとしきり笑ったところで、仕切り直しとなり、細かな説明を受けた咲が役務えきむ調達契約書に署名、押印して正式な役務調達が結ばれる。


「これで契約完了です。ご不明、ご不安な点はまだ多いと思いますが、今は時間がありません。咲さんにはこのまま家に戻っていただいて、出港に対する準備を整えていただきます。伯爵さん、パトラッシュさんについても同様です。どのようなものが必要かは山田大尉が御存知ですので私からの説明は省略させていただきます。なお、出港は本日夕刻一六〇〇を予定しています。夕食は裏浦賀うらのうらが水道通峡後に配食されますので、乗艦までに済ませておく必要はありません」


 真雪ちゃんの説明に、咲、伯爵、パトラッシュの三人がうなずく。


「艦長殿、食客しょっかく分際ぶんざいはなはだ僭越だが、一つ意見してもよろしいか?」


 伯爵が可愛らしく手を上げる。


「はい、何でしょう?」


「咲様の座乗で作戦成功への道筋ができたのは間違いないが、依然として脅威は大きく、作戦失敗の公算は極めて大と言わざるを得ない。成功をより確実なものとする為、もう一人だけ人員の補強をお願いしたいのだが?」


「どなたでしょうか?」


三特検さんとっけん司令づきの黒島亀人かめと大尉に乗艦の要請をお願いしたい」


 という伯爵の言葉に橋本中将が反応する。


「それは変人参謀と言われた黒島君でしょうか?」


「おや、群司令は御存知なのですか?」


「帝国海軍の者で彼を知らない者などおりません。先の大戦、山本元帥の懐刀ふところがたなとして重用された男です。地獄から戻っているとは聞いておりましたが、大尉に降格させられ、三特検さんとっけん司令づきになっていたのですね」


「今の黒島大尉に昔日せきじつの面影はありません。身形みなりも整えていますし、何よりうつわが大きくなりました。元より傑物であった彼は地獄で知識を蓄え、さらにその智略にみがきをかけております。此度こたびの作戦、その智略を生かす格好の場と心得ますが、群司令はいかがお考えでしょうか?」


 伯爵に問われた橋本中将は腕を組んで沈思黙考する。


「群司令、私はまだ未熟者です。お力を借りられるのならぜひお願いしたいのですが?」


 真雪ちゃんの一言が橋本中将に決断を促した。


「艦長からの要請であれば応えなければなりませんな。よろしい、今すぐ三特検さんとっけん司令に要請しましょう」


 これで役者は揃った。


 あとは作戦決行を待つのみだ。


 希望が見え始めたことを確認するように不安げに見つめる咲の視線に熊吉は深くしっかりとうなずいた。




 横浜の山上手やまかみて


 地上では山手やまてと呼ばれるこの地は黒横浜でも有数の閑静な住宅街である。


 古くは外国人居留地としての歴史を持つ山手やまてのように、山上手やまかみても多くの異世界人が住む異世界人居留地として栄え、現在に至る。


 その為か、ここには貿易関係の人間も多く住み、異世界人との交流も盛んである。


 そんな異世界情緒溢れる高級住宅街の一角を、中津横須賀署の刑事、小鴨重徳しげのり警部は訪れていた。


 白髪が目立つその頭をポリポリとかく、その前ではシュールなオブジェとなった遺体が転がっている。


 例の白石由美子に紹介してもらった貿易商だったが一足違いで口封じをされてしまったようだ。


「……はい、了解しました。こちらはこちらで捜査を進めておくんで、どうかくれぐれもお気を付けて。……はい、そうですね。……はい、失礼します」


 山田熊吉という大尉の警務官からの電話を切った直後、小鴨警部は溜息をいた。


「やれやれ、刑事の真似事まねごとというのも面倒なものだな……」


 と言いつつ、小鴨警部は遺体に近づく。


 二階の寝室、ベッドの上でパズルのようにバラバラにされた遺体の年齢は、五十代半ばくらいだ。


 バラバラにはされているが、首から上はそっくり残っているので年齢や面相は判別できる。


 いかにも口が達者そうな男で、面相も整っているから生前はそれなりにモテたことだろう。


うらやましい限りだ……」


 遺体の切断面を見るが、かなり鋭利な刃物で切られたことをうかがわせるものだった。


 あまりに見事な切断面なので、胡瓜きゅうりや大根のように思わずくっつけてしまいたくなるほどだった。


「驚いたままの表情を見ると、一瞬でやられたってとこか……」


 遺体の顔は驚いたまま時を止めている。


 苦しんでった様子は見られない。


「かなりの手練れだな……。いや、かなりの能力持ちというべきか……」


 言い直したその口許くちもとに自然と笑みがこぼれる。


「なあ、そこで気配を隠しているそこのおまえさん、もうちょっと頑張らないと退屈しのぎにもなんないんだがなぁ」


 小鴨警部が部屋の隅に視線向けた次の瞬間、部屋の扉が開いて何者かが外へと飛び出していった。


「気配もろくに消せない若造が……」


 小鴨警部は吐き捨てるように言って、扉の向こうに消えた気配が完全に消えたのを確認する。


「まあ、いいさ。残ってたってことは、ここに探さなきゃいけないものがあるってことだ。精々、時間をかけて見つけさせてもらうとするよ」


 中津横須賀署の刑事、小鴨重徳しげのり警部。


 彼が今、緊急入院中であることに気付く同僚はまだ一人もいなかった。




 三月十九日火曜日一五〇〇。


 特別座乗に伴い用意された黒塗りセダンに乗って凶倉わるくらの岸壁に現れた咲は、最初に出合った時と同じ神の衣装を身に纏っていた。


 舷梯げんていの下には、中津横須賀基地音楽隊と同儀仗隊ぎじょうたいが整列し、赤絨毯あかじゅうたんの上を歩く咲を出迎えた。


 咲は臆することなく堂々とした振る舞いでこれに応じると、礼装の艦長に先導されて舷梯げんていを上り艦に入る。


 この時、舷梯げんていの上に置かれる舷門に立直りっちょくする当番は全て礼装となる。また、当直士官のほかに副長の竹林大尉が立つなど、通常は見られない態勢で出迎えられる。


 咲が艦内に入ったところで、舷門送迎指揮官である副長が当直士官に指示して艦内放送が入る。


“神が座乗された。総員、出迎えの位置に整列”


 という放送が入った時には既に準備万端、礼装で整列を終えた乗組員達が通路に並んでいる。


 ここで外の音楽隊が演奏を再開し、マイクを通じて艦内に音楽が流れる。


 この演奏は座乗した神が整列した全員の前を通り過ぎるまで続けられる。


 通り過ぎた後、咲はそのまま艦橋に入るが、その時、連絡役が一人、艦橋のウイングに出てきて、外の音楽隊に、演奏め、の合図を送る。


“神が艦橋に上がられた。元の配置に付け”


 既に出港準備は下令されているので、それぞれが礼装のまま元いた場所へと散っていく。


 全ての配置が完了したのは一五五〇頃。


 少し早いが艦長の真雪ちゃんは出港を命じた。


“準備出来次第しだい出港する。航海当番配置に付け”


 艦内に放送マイクが入った直後、各部から、航海当番配置良し、が返ってくる。


「航海当番、配置良し!」


 竹林大尉の言葉に続き、曳船タグが近づいて、引き出す為の曳策えいさくを渡す。


「出港準備良し!」


 国際信号旗とも呼ばれる旗旒きりゅうの一つ、ユニフォーム天辺てっぺんから半分の位置まで揚がった。


 順番にもやいが解かれ、最後の一本となったところで真雪ちゃんが命令する。


「出港用意!」


 真雪ちゃんの可愛い声に続き、艦内マイクと喇叭らっぱが流れ、最後のもやいが解かれる。


 ユニフォームが旗竿の天辺てっぺんまで揚がる。


 曳船タグふねの引き出しを始める。


 陸上の儀仗隊ぎじょうたいふねに向かって並び、音楽隊が軍艦マーチを演奏する。


 引き出し終了と共に、曳船タグが離れ、ユニフォームが降ろされる。


 甲板要員が整列し、儀仗隊ぎじょうたいに答礼しつつふねはゆっくりと進み始める。


 これで終わりではない。


 神を座乗させた警備艦『いかづち』には、神の座乗を証明する神座証明旗、通称、御召旗おめしばたが掲げられる。


 これが掲げられたふねは自動的に最上位となるので、陸上の時空保安庁長官は元より、港内にいる全てのふねからの敬礼を受けなければならない。


 これが一々、面倒くさい。


 艦橋の喇叭らっぱ員はほぼ全力で吹き続けなければいけないので気が休まる時がない。


 で、ようやく裏浦賀うらのうらが水道に入った頃には、次の航海保安部署が待ち構えているので、出港して本当に一息がつけるのは裏浦賀うらのうらが水道を出てからとなる。


「これでもう後戻りはできませんね……」


 中津横須賀港外に出たところで真雪ちゃんがポツリとつぶやいた。


「皆さん、兄のこと、よろしくお願いいたします」


 咲が司令席を下りて深々と頭を下げる。


「お任せ下さい。お兄さんを含め、守備隊は必ず本艦と共に中津横須賀に帰投します。我々も全力を尽くしますので、お力添えの程よろしくお願い致します」


 竹林大尉の言葉に咲が目尻に浮かんだ涙を払った。


 ふねはいよいよ大海原へ。


 時空保安庁史上まれに見る救助作戦は今ここにその第一歩を刻もうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます