Case File No.004-21

 中津横須賀の時空保安総監部に覇王島はおうとう撤退の第一報が届いたのは早朝のことだった。


 赤ヶ島に続き、覇王島はおうとうが襲撃を受けたことで、時空保安総監部内には動揺が広がっている。


 鉄仮面の異名を取り、ポーカーフェイスを崩さないことで知られる警備艦隊司令部参謀長の宇垣中将も、統合作戦会議室の大画面モニター越しに男泣きする市丸いちまる中将を見て思うところはあったのだろう。


 いつもは全く動かない表情がわずかに曇ったが、その冷静な判断力は揺るがなかった。


「警備艦隊司令部参謀長として意見具申します。今般の事案に対し、救助を目的とした警備艦の派遣は推奨しかねます。敵の企図きとは不明ですが、今後、更なる北進が予想される以上、まずは親父島おやじじま御袋島おふくろじまの防備を固めるべきでしょう。今、いたずらに戦力をくのは得策とは言えません。前進哨戒に関しましても、すぐに中止し、御袋島おふくろじま北覇王島きたはおうとう間まで哨戒線を後退させ、警戒に当たらせるべきかと思います」


 救助は出さないという非情な判断を聞き、市丸いちまる中将の顔が青ざめる。


「警備艦隊司令長官はどうか?」


 時空保安庁長官である山本元帥が、警備艦隊司令長官である小沢治三郎じさぶろう大将に問いかける。


「私も参謀長と同じ意見です。今は敵の北進を阻止することに全力を傾けるべきです。敵戦力の規模もわからぬまま戦力を投入し、これを損耗させることは絶対にけなければなりません。取り急ぎ、航空偵察は必要でしょうが、艦艇の派遣に関しましては反対させていただきます」


「小沢君も同じ意見か……」


 山本元帥は何処どこかやりきれない思いを隠せず、深く長い息を吐いた。


「意見具申よろしいでしょうか?」


 と、手を上げたのは小沢大将の反対側に座る陸上警備総隊司令長官の今村ひとし大将だった。


「今村さんは何かお考えがおありですか?」


「いえ、考えという程のことではありませんが、航空偵察の結果、飛行場が健在であるなら航空機による救助はできないものかと思いまして……」


 高い人徳で知られる今村大将の意見に山本元帥はうなずく。


「なるほど。航空警備総隊司令長官、航空機による救助作戦は可能か?」


 航空警備総隊司令長官は、戦後、航空自衛隊で航空幕僚長までのぼり詰めた源田げんだみのる大将が務めている。


 三人しかいない司令長官の中では唯一の自衛隊経験者だ。


 海軍時代の階級は大佐に過ぎないし、一番若いが、航空作戦に対する見識はここにいる誰にも負けてはいない。


「助けたい気持ちはありますが、現実には厳しいでしょう。救助するには、まず生きている飛行場を早急に確保する必要がありますが、空挺による戦力投射はもちろんのこと、輸送機を使った戦力投射にも限界があります。短期間で集中的に戦力投射できなければ、投射した戦力を各個に撃破されるのが関の山です。敵の防空能力は未知数ですが、赤ヶ島に現れた天使のようなものが再び現れれば、たとえ飛行場が健在であっても空輸は困難になります。航空警備総隊司令長官として航空機による救助作戦は拒否させていただきます」


「空もダメ、海もダメ……完全に手詰まりだな……」


 山本元帥は目を固く閉じる。


「恐れながら意見させていただきます」


 と、陸上警備総隊参謀長の樋口ひぐち季一郎きいちろう中将が手を上げる。


「本官も概ね皆さんの意見に賛成です。しかし、熱田島あつたとうの将兵を見殺しにした苦い経験はいまだに忘れられません。たとえ見捨てることが理にかなったものであったとしても、万に一つの可能性があるのなら助けるべきではないでしょうか?」


 樋口ひぐち中将の言う熱田島あつたとうは、かつて日本軍がAL作戦で占領したアッツ島につけられた和名だ。


 樋口ひぐち中将は同じくAL作戦で占領したキスカ島と共に孤立したアッツ島の撤退を大本営に進言し、拒否されている。


 結果、アッツ島は全滅し、多くの将兵が命を落とした。


 陸上警備総隊参謀長の就任挨拶では、その苦い経験を語り、今後、二度と同じことを繰り返さぬよう全力を尽くすことを約束する、と発言して後悔と無念をにじませている。


 それだけに見捨てるという選択肢は最初からありえないのだろう。


「今村さんも同じ意見ですか?」


 と、山本元帥に訊かれた今村大将は躊躇ためらうことなく即答した。


「無論であります。皆を撤退させる為に挺身した将兵を見殺しにしたくはありません。ただ、海軍さんと空軍さんの意見も充分に理解しております。敵戦力が不明である以上、無駄な損耗をけるのは、兵法の常道でありましょう。また、撤退させた戦力を再び投入すれば、島に残る将兵の思いを踏みにじることにもなります。陸上警備総隊司令長官として救助作戦は断念せざるを得ませんが、本官個人としては見捨てがたく、断腸の思いであります」


 立場上認められないが、助けられるのなら助けたやりたい、というのは小沢大将も同じだった。


「宇垣君、単艦での偵察というのはどうだろう?」


「航空偵察で充分でしょう。ついでに大隊を拾うということをお考えなら、甘いと言わざるを得ません」


「そういうことではないよ。第十三艦隊は哨戒線の維持で手一杯だ。敵の北進を阻止する為に、覇王島はおうとう周辺に第三艦隊から偵察部隊を送る必要はあるのではないかね?」


「航空偵察だけでは不十分とおっしゃるのですか?」


「天候不順で航空偵察が難しい時もあるだろう。その点、艦艇ならば荒天でも任務を継続できる。常時監視を考えるなら派遣に意味がないとは思えないのだが?」


「そういうことでしたら反対はいたしません。しかし、かなり危険度の高い行動になります。高難度任務に関しては、艦長に命令拒否権が認められています。正直申し上げて、手を上げる者などいないでしょう」


「ということは、手を上げる者がいれば反対はしないのだね?」


 言質げんちを取るように小沢大将が念を押す。


「足の速い甲小こうしょうに限りますが、現在、第三艦隊の甲小こうしょうは海自出身の者が艦長を務めております。海軍出身ならいざ知らず、戦後の者に果たして挺身の勇気がありますでしょうか?」


 宇垣中将の言葉に対し、誰も否定する言葉を発しない。


 旧軍での教訓を生かし、時空保安法では、無茶な命令を拒否する権利が認められている。


 常に拒否できるわけではないが、必ず実施しなければならない命令以外はほぼ全てがその対象となる。


 命令拒否権が認められない至上命令を甲種命令、拒否を認めるが任務遂行が望ましいものを乙種命令、通常任務として拒否が適当でないものを丙種命令、安全任務であり拒否権が不用であるものを丁種命令と呼ぶが、今回の偵察任務は乙種に該当する。


 やって欲しいが、絶対にやらねばならぬことではないのだ。


 拒否したとしても怯懦きょうだそしりを受けることはない。


 それは、つまり、拒否する可能性が高いということでもある。


僭越せんえつながら宇垣さんは自衛隊というものを見縊みくびっておられる。戦後の者とて国を思う気持ちは同じ。呼びかければ応える者もいるでしょう」


 航空幕僚長だった源田げんだ大将の言葉に山本元帥が深くうなずく。


「決まりだな。乙種命令で第三艦隊に偵察任務を付与しよう。異論のある者はいるかな?」


 山本元帥の言葉に異を唱える者はいなかった。


「ということだ、市丸いちまる君。申し訳ないが、甲小こうしょうを一隻だけ現場に向かわせることしかできない。しかし、その一隻が余計なことをしてしまうこともあるだろう。まあ、飛び切りの馬鹿が引き受けてくれることを祈っていてくれ給え」


 モニターの向こうで絶望的な表情を浮かべる市丸いちまる中将が山本元帥の言葉を聞いて頭を下げる。


「ご厚情、感謝致します」


 頭を上げた市丸いちまる中将の顔は相変わらず暗いままだ。


市丸いちまる君、私は君を慰めるつもりはないよ。それだけは心得違いしないでくれ給え」


「充分に理解しております。敵を前にしておめおめと逃げ帰った卑怯者には慰めの言葉などもってのほか。いかなる処分をも受ける覚悟です」


 その悲愴ひそうな覚悟は、今すぐ死ねと言ったら死ぬ勢いがあった。


 山本元帥は深い溜息を吐き、モニターに映る市丸いちまる中将に言って聞かせるように優しく語りかける。


「君を処分するつもりはないよ。君は良くやってくれた。君の冷静な判断が多くの将兵の命を救ったんだ。かつての我々は撤退の時宜じぎを失い、無駄な犠牲を払うことが多かった。その教訓を生かし、早期の撤退を決断したことは褒められるべき英断だよ」


「長官……」


 感極まった市丸いちまる中将の目に再び涙が浮かぶ。


「大丈夫だ。あとは我々に任せておけ」


 それは本当に慰めの言葉などではない。


 山本元帥には密かに思うところがあったのだ。


 しかし、統合作戦会議室に集まる六人の意見一致がなければ、乙種命令以上を下すことはできない。


 そこで小沢大将と事前に話し合い、反対するであろう宇垣中将を説得する策を練っていた。


 他への根回しも既に終わっている。


 ただ慎重派の宇垣中将だけが唯一の障害だった。


「頼んだぞ…アブラムシ……」


 山本元帥は祈るように小さく独りごつ。


 送り込む算段がついた今、全ては一匹のアブラムシに託されようとしていた。




 時空保安総監部から第三艦隊に下された乙種命令は、そのまま隷下れいかの第三警備隊群司令部へとりていった。


 第三警備隊群司令の橋本信太郎しんたろう中将は隷下れいかの警備隊に所属し、かつ、現在、中津横須賀に停泊中の可動艦から艦長を招集して事情を説明した。


 決死の覚悟で挑む偵察任務に自ら手を上げる艦長はさすがにいないだろうということになり、橋本中将の提案でくじきが行われ、結果、工藤真雪が見事に当たりくじを引き当てた。


 しくも山本元帥の頼みとするアブラムシのふねが選ばれたわけであるが、これは全くの偶然であった。


 山本元帥もアブラムシを送ることは考えていたが、どのふねで行くかまでは考えていなかった。


 全ては真雪のくじ運のなさによるものである。


「悪いな、工藤君。これは乙種命令なので確認させてもらうが、命令受諾じゅだくの意思はあるかね?」


 橋本中将に訊かれた真雪は即答できなかった。


「君は女性だし、指揮官となって日も浅い。そんな君に大役を押しつけるほど私は愚かではないよ。無理ならば無理とはっきり言える勇気も時には必要だ」


 橋本中将はガダルカナル島からの撤退作戦で駆逐艦部隊を指揮し、駆逐艦一隻の亡失で、一万人以上の将兵を救出した名将である。


 猛攻に耐えきれず、撤退を余儀なくされた島に単艦で偵察任務に挑むのが、如何いかに無謀であるかは良く知っているし、また、時空保安総監部がそれ以上のことを期待していることも理解している。


 だからこそ、考えるまでもなく拒否して欲しいというのが本音だった。


「司令、時空保安総監部は本当に偵察任務をお望みなのでしょうか?」


 曾孫ひまご以上に年の離れた真雪の質問に橋本中将は穏やかな笑みを浮かべる。


 その視線は子供の成長を嬉しがる父親の眼差まなざしそのものだった。


「恐らく、時空保安総監部は残された将兵の救出を考えているはずだ。現場付近で内々に打電があるのではないかと私は見ている」


 真雪が明晰めいせきな頭脳を持っていることは、海軍大学校同期で、現在、時空保安大学学校長を務める小柳こやなぎ冨次とみじ中将から聞いている。


 経験は無いに等しいが磨けば必ず光る玉だと念を押されている。


 正直に打ち明ければきっとわかってくれるはずだと橋本中将は考えた。


「もし、私が救助命令を受諾じゅだくした場合、任務成功の公算はどのくらいあると思われますか?」


「万に一つもない、というのが私の公算だ。君以外の艦長が受諾じゅだくしても答えは変わらん」


「私が拒否した場合、再度の抽選ちゅうせんは行われないのですよね?」


「最初に言ったとおり、泣いても笑っても一度きりだ。そして、選ばれた者の判断をもって私自身の判断とする。つまり、君が拒否した時点で、この命令は破棄されることになる」


「それはつまり覇王島はおうとうの皆さんを見捨てるということでしょうか?」


 真雪は事前に配られた手元の資料に目を落とす。


 彼女の視線の先には、残留した一三五警連一大隊長の大花梅雄うめお少佐の名前があった。


「残念ながら覇王島はおうとうの残留部隊は玉砕するだろう。しかし、彼らも覚悟はしているはず。もし、そうなったとしても気にむことはない」


 橋本中将が拒否をうながしていることは真雪にもわかっていた。


 でも、真雪の答えは最初から決まっていた。


 配られた資料に大花という名前を見つけた時から、たとえくじに外れたとしても志願するつもりでいた。


「私は未熟です。万に一つどころか、億に一つすらあり得ないと思います」


 真雪の言葉を聞いて、橋本中将は拒否の決意と受け取った。


「そうか。わかってくれたか。土台無理な話なのだ。拒否するのは当然だろう」


「いえ、司令。拒否は致しません。つつしんでお受けします」


「受けると言うのかね?」


 目を丸くする橋本中将に向かって真雪は力強くうなずく。


「さすがに私のふねだけでは任務達成は不可能です。そこで、神に座乗していただき、そのお力を拝借したいと思います」


「特別座乗……御召艦おめしかんになるということだね。確かにそれならば任務達成の見込みがあるだろう。しかし、今から出雲いずも議会に請願しても間に合わないぞ」


「その点はご心配に及びません。今回、座乗を頼むのは出雲いずもの神々ではなく、在野の神です。力の行使に一定の制限がかかる在野の神ならば議会を通さず役務えきむ調達で処理することができます」


「そんな抜け道があったのか……」


 橋本中将すら知らない制度の抜け道は、長い司令部勤務の経験から得た知識の一つだ。


 事務方上がりで実務に不安のある真雪であるが、頭を使う仕事の速さは副長の竹林大尉ですら認めてくれている。


 その秘められた力が、今、存分に発揮されようとしていた。


「他に人員の増強と、特別補給の許可もお願いします」


 真雪の目の輝きに橋本中将は希望を見出みいだした。


「人であれ物であれ必要なものは私がすぐに手配しよう。よし、そうと決まれば善は急げだ。私はこのまま上の第三艦隊司令部に報告に向かう。君は出港に向けた準備にとりかかってくれ給え」


 全ては複雑に絡み合いながら混沌の海へと帰る。


 羅針盤はいまだ針路を示さず、その先に真実は見えない。


 敵は何者か。


 何が起きているのか。


 全てが不明のまま、ここに時空保安庁史上かつてない救出作戦が決行されようとしていた。


 新たないくさは静かに幕を開け、その行方ゆくえは誰も知らない。

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