Case File No.004-18

 霊海の仕組みについて少し説明しておこう。


 霊海は宇宙と宇宙の間に存在する霊子イーセロンで作られた疑似世界だ。


 ある意味、ここは小さな宇宙とも言える。


 本来の宇宙を大陸とするならば、その周辺に築かれたここは小さな島に相当する。


 構築の目的は異世界からの侵攻や脅威を防ぐ為である。


 つまり、霊海はそれ自体が一つの要塞として機能していると言える。


 この霊海のような世界がないと、霊的循環を有する空間、即ち地球のように生命を持つ惑星は、別宇宙からの侵攻や脅威に直接さらされることになる。


 それは盾を持たずして敵に対するのと同じ意味を持つ。


 一つの宇宙は広大であるが、生命が生まれ、循環する時間と場所は限られている。


 また、限られた場所で上手うまく循環するシステムが構築できる可能性も限りなく低い。


 多くの場合、それらは泡沫うたかたの如く消えてしまうのだ。


 しかし、中には不完全ながら生き残ってしまうものがある。


 そして、それらの中で、決定的に破綻し、システムの修正が不可能となったものが、他のものを取り込むことで修正しようとする時がある。


 同じ世界内で運良く相手を見つけられればいいが、先述のように生命が生まれ、循環する時間と場所は限られているので相手を探すことは容易ではない。


 そこで、時空を超えてこれを解決する方法が生み出された。


 それが、魂魄の密輸及びそれに付随する異世界転生事案である。


 つまり、異世界転生とは、会社経営が上手く行かなくなって倒産しかけた会社の経営者が別の会社から運転資金を盗み出すことによって起きた結果の産物なのだ。


 こうした理不尽を放置すれば、上手く経営していた会社が潰れかねない。


 そこで上手く経営している会社は、運転資金を盗み出されないように対策をとる必要がある。


 その一つが霊海であるということになる。


 日本の神々が防衛目的で構築した疑似世界である霊海は、高さが高度約一万キロ、広さは日本の領土と同じ広さを持つ中津日本なかつひのもとの広さである約三十八万平方キロに、領海を含む排他的経済水域の約二倍に当たる約九六二万平方キロを足して約一千万平方キロとなっている。


 ただし、これらは飽くまでも日本の神々が霊的に管理する範囲であって、そこから先に何もないというわけではない。


 実は、そこから先も海や空は続いており、異世界の海や空につながっている。


 日本の神々が構築した霊海は、一種の結界のようなものであり、中津日本なかつひのもとを中心に広がって、緩やかに別宇宙との霊的境界を成しているのである。


 その最遠端部は、日本の境界世界でも異世界でもない、言わば両者の混ざり合った世界が自然に形成されてしまっている。


 それが俗に外洋とも言われる接続時空である。


 時空保安庁の最新の調査によれば、その広さは太平洋の半分に相当する約八千万平方キロと推定されている。


 だが、いまだにその全容をつかめてはおらず実態は謎に包まれている。


 この広大な海を時空保安庁が全て管理することは事実上、不可能である。


 そこで、時空保安庁は中津日本なかつひのもと側の接続時空の境界線、つまり、霊海の最遠端部に前進哨戒線を設定して恒常的こうじょうてきな警備を続けている。


 ここの警備には、機動展開が可能で、かつ、広域の哨戒に適する航空戦力が投入される。


 中津日本なかつひのもとの本土及び島嶼とうしょに配備された航空機による哨戒の他に、航空母艦に配備された航空機も前進哨戒に投入されている。


 通常はこれらの航空戦力を主体とし、艦艇による哨戒は行われないが、警備強化を目的に派遣されることもなくはない。


 今回の『あかつき』と『いなづま』の派遣もそれに沿った措置である。


 境界世界を滅ぼし、いては地上の日本を滅ぼしかねない脅威の進出を迅速に阻止すべく、時空外航路上、つまり、接続時空に存在する異世界への航路に進出して、怪しい動きがないかを見張っていたというわけである。


 しかしながら、艦艇のみによる哨戒はカバーできる範囲が航空機と比べると圧倒的に狭い為、通常、艦艇はもっと狭い中間哨戒線上に配置され、恒常的こうじょうてきな警備を行っている。


 中間哨戒線は地上日本の排他的経済水域の最遠端部の位置に設定されている。


 つまり、日本の排他的経済水域の外周と等しい。


 この付近から、地上の日本とのつながりが強くなっていく。


 そのつながりが決定的な意味を成し、地上との移動を可能とする領海内への進入を防ぐべく、多くの艦艇がこの中間哨戒線で目を光らせている。


 ここに投入される艦艇は一定の機動力を求められる。


 この為、極端に足の遅い重武装艦艇は一部の例外を除き、配置されていない。


 その中間哨戒線もすり抜けてくる脅威を排除する為に、地上日本における領海の最遠端部の位置にも哨戒線は設定されている。


 それが最終哨戒線である。


 最終哨戒線は地上日本における領海の外周に等しい。


 ここを警備する艦艇は、機動力より火力が重視される。


 旧海軍の戦艦や重巡洋艦などで編制された警備戦隊は、通常、この最終哨戒線上に配置され、目前に迫った危機をその火力で強制的に排除する。


 前進哨戒線、中間哨戒線の警備が脅威の発見を主たる目的としていたのに対し、この最終哨戒線の警備は脅威の排除を主たる目的としている。


 交易や旅客の許可を得て通航している異世界の船舶等に対しては極めて紳士的に対応するが、無断でこの最終哨戒線を越える存在ものには容赦のない砲弾の雨が降り注ぐことになる。


 これらをまとめると以下のようになる。


 霊海は地上世界を護る為の盾として存在する。


 主たる構築の目的は、空間的距離を設定し、これに従わせることで別宇宙からの侵入者を排除する時間を稼ぐことである。


 高さは高度約一万キロ、広さは約一千万平方キロである。


 その外縁部より外にも同種の空間が存在し、さらにその先で異世界の海と接続している。


 このどちらの世界でもない空間を、接続時空または外洋という。


 時空保安庁の警備は主として霊海内で実施され、外洋より先は警備の対象としない。


 ただし、常時監視は行っており、霊海の最遠端部には監視の為の前進哨戒線が設定されている。


 前進哨戒線を警備する主な部隊は、陸上の航空戦力、及び、海上の航空戦力である。


 航空機による監視網を潜り抜けてきた脅威に対してはさらに内側、地上における排他的経済水域の外縁部上に設定された中間哨戒線で対応する。


 中間哨戒線を警備する主な部隊は洋上の艦艇部隊である。


 数ある艦艇の中でも特に高い速力を有する部隊が機動的に警戒監視を行っている。


 高速艦艇の警戒監視さえも突破された場合に備え、中間哨戒線のさらに内側に最終哨戒線が存在する。


 最終哨戒線は地上における領海の外縁部上に設定されている。


 ここまで来た脅威に対しては、果断に強制的な排除を実施をすることになる。


 警備の目的が警戒監視から積極的排除へと変わることに伴い、配置される艦艇も火力が重視される。


 以上が霊海及びその警備体制の概要である。


 概要を聞いただけでお腹いっぱいという人もいるだろうが、実際はこの百倍はややこしい話になっている。


 しかし、これらを完璧に覚え、十全に理解する者達がいる。


 それが参謀である。


 司令官に意見具申し、その判断や決済の根拠を提示する参謀は、実質的に部隊を動かしているといえなくもない。


 間違った知識や情報に基づき作戦や行動計画を立案していたら、現場の部隊はすぐに混乱をきたし、機能不全に陥ってしまうだろう。


 その結果、作戦や警備行動に失敗し、甚大な被害をこうむることになりかねない。


 よって参謀は、常に最新の知識と情報を求め続けなければならないのだ。


 というのは建前たてまえで、旧帝国海軍の参謀も、海上自衛隊の幕僚も、実際には何となくその地位に就いているだけの人が多い。


 知識も情報も部下である参謀づき兵曹や、幕僚づき海曹に任せ、上がってきた報告書類にまともに目を通さない者も少なくない。


 上から怒られたら部下に当たり、常に上から目線で意見具申に傾ける耳を持たない。


 そんな最低の人間でも階級が上がれば参謀になってしまう時がある。


 熊吉は悪名高き黒島亀人かめとも、当然、そういう者の一人だと思っていた。


 狂信的なまでに特攻の効果を信じてやまなかった狂人だと思い込んでいた。


 さぞや、頭が固く、偏屈なのだろうと思っていた。


 でも、実際に会った彼は、ただの気さくな禿げ親父だった。


 正式な部隊配属は四月の部隊改編後らしいが、部隊の空気にいち早く馴染みたいという本人の希望で、本日、三月一八日づけ三特検さんとっけん司令づきとなった。


 四月一日の部隊改編後は、特別広域捜査遊撃分隊の指揮班に配置され、分隊参謀となることが決定している。


 分隊参謀は、分隊長に意見具申し、補佐をする目的で新たに生まれた役職だ。


 陸上と艦上の各捜査分隊にも一名ずつ配置され、合計三名の参謀が三特検さんとっけんに配置される。


 この三名の中で最上位序列者が、第三警備区特別検査隊の先任参謀と呼ばれることになる。


 配置される参謀の階級は全て大尉で統一されるので、旧帝国海軍時代から降格したとはいえ大尉名簿上の序列一位であることは間違いない黒島亀人かめとが自動的に先任参謀を拝命することになるそうだ。


 そのことを自覚していた本人は、笑いながら、また仙人に戻ってしまうが一つよろしく、と自己紹介の時に言っていた。


 この第三警備区警備本部庁舎だけでなく、隣にある警備艦隊司令部庁舎にも知り合いのいる黒島大尉は、挨拶回りがしたいので基地を案内して欲しいと熊吉を指名してきた。


 正直、あまり良い印象を持っていなかった熊吉は嫌々ながらも指名に従うしかなかったが、嫌がらせついでにパトラッシュと伯爵も連れて行っていいかと訊いてみる。


 すると黒島大尉は、散歩みたいなものだから別に構わんぞ、と上機嫌で返してくれた。


 一緒に散歩していて気付いたが、旧海軍出身者でも黒島大尉を良く知っている人はそんなに彼を嫌っていなかった。


 あからさまに嫌な顔をして見せたのは、警備艦隊司令部の参謀長である宇垣うがきまとめ中将くらいで、宇垣中将以外の人達はそれほど酷い嫌悪感を示さず、人によってはまた変な奴が戻ってきたものだと笑っていたくらいだった。


 しかし、彼と直接の面識のない旧軍出身や戦後世代は、宇垣中将ほどではないにしろ嫌っている人が多く、時間が取れないと面会を拒否する者もいた。


 降格により階級が下となっても、彼が先輩であることは間違いない。


 なのに、最初から会わないのは失礼だと思ったが、本人は気にする素振りも見せず、一つ一つ司令部を回っては挨拶を繰り返した。


 あまり良い印象を持っていなかった熊吉も、さすがに施設を一巡りする頃にはちょっと哀れに思えてくるほど黒島大尉への風当たりは強かった。


「ふぅ、少し疲れたな。喉も渇いたことだし、ちょっとここで休んでいくか」


 と、黒島大尉は最後にやってきた厚生棟で喫茶店に入っていく。


「ほら、君達も来なさい。おごってやるぞ」


 店の入り口で熊吉達に手招きする。


「面白い御仁でありますな。およそ参謀とは思えぬ自由闊達かったつな人柄をお持ちのようです」


 パトラッシュが横でつぶやく。


「単に空気が読めないだけだろ?」


 熊吉は苦笑いを浮かべる。


「果たしてそうだろうか?」


 伯爵は首をかしげる。


「またまたぁ。あの人はただの変人ですよ。ちょっと気の毒には思いますけど」


「そうかもしれんが、私見を言わせてもらえれば、我が輩は宇垣中将の方が気に食わんな」


「どうしてですか?」


「我が輩とパトラッシュを見る目だよ。あの御仁の我が輩達を見る目は完全に家畜に向けるそれだったな。生真面目そうな見た目どおり仕事は出来るのだろうが、正直、インテリ特有のナルシシズムが感じられる」


「ずばり言うと?」


「自分以外は馬鹿と思ってそうで、いけすかないニャー。ということで、我が輩は黒島参謀とお茶するニャー」


 可愛く言ってごまかしながら店の中へと伯爵が消えていく。


「パトラッシュも同じ意見?」


 熊吉の問いかけに、パトラッシュは大きくうなずく。


「面白い馬鹿と、生真面目きまじめな阿呆だったら、自分は間違いなく面白い馬鹿を選びます。黒島参謀は何かありそうなところがありますが、宇垣中将は計ったしゃくのとおりの人でしかありません。敵にとって脅威なのがどちらかは明白だと思いますよ」


 パトラッシュも店に入ってしまう。


「ただの変な禿げ親父なんだけどなぁ……」


 よくわからない熊吉だったが、ここで帰るわけにもいかないので店に入る。


 店に入ると窓際の席に三人が座っていた。


 確かに黒島大尉は犬と猫が近くにいても気にする様子はなかった。


 隣に座っている伯爵にも普通に話しかけ、変な色眼鏡で見ることもない。


 それは今後同僚となる熊吉に対しても同じだ。


 旧海軍出身者特有の先輩風みたいなものはあまりなかった。


「山田君、遅いぞ。注文を取るから早く決めなさい」


 黒島大尉はパトラッシュの隣に座った熊吉にメニュー表を渡そうとする。


 基地内の小さな喫茶店なのでメニューの数は少ない。


 カツ丼などの丼物もあったりする以外は、どこにでもある喫茶店のメニューしかない。


 何度も来ているから、今更、見なくても全部覚えている。


「ああ、大丈夫です。ちゃんと覚えてますから」


 受け取らない熊吉を見て黒島大尉は、小さく溜息をいた。


「山田君、新しいメニューがあるかもしれないぞ。それでも必要ないというのかね?」


「そんなものはありませんよ。ここは開店以来何度も通っていますが、メニューが変わったことなんんて一度もありませんからね」


「たとえ、そうだとしてもだよ。今日は変わっているかもしれんだろ?」


「司令づきは地獄にいたので御存知ないかと思いますが、ここのメニューはもう十年以上も変わっていないんです。そんなものが急に変わるとは思えません」


「もし変わっていたらどうするかね?」


「それを頼んでみせますよ」


「そうか。では、君は冷やし中華に決定だ」


 黒島大尉が、してやったり、と満面の笑みを浮かべる。


「そんなものあるわけが……」


 と言いいながらメニュー表を確認すると、ちょっと早いですが何となく作りたくなったのでこっそり始めてみました、という文言と共に冷やし中華が追加されていた。


「かつての私は物を考え始めると無頓着になることがあった。部下が持ってきた書類を、後で読むと言って忘れることも多かった。それがどういう結果をもたらすのか、今、君は身を以て知ったというわけだ」


 熊吉はそこで初めて黒島大尉をよく見る。


 新品の制服を着る黒島大尉に服装の乱れが全くないことに気付く。


 大尉風情ふぜい従兵おつきなどいないから直してもらったということもないし、たとえいたとしても素直に直されることもないだろう。


 かてつの彼はとにかく不精者で不潔であったと聞く。


 それが清潔さに気を配っている姿に熊吉はようやく気付いたのだった。


 熊吉自身、黒島大尉の昔を知っているわけではないが、五十年以上の地獄生活は彼に大きな変化をもたらしているような気がした。


「山田君、我々の仕事はともすれば正則作業ルーチンワークになりがちだ。平時の訓練も、戦時の実戦もその本質は変わらない。宇垣さんのように、自分を殺してまでその完遂につとめる姿勢はある意味、軍人のかがみであろう。空気を読み、空気になりきる。共感性や協調性というものを重視する日本人にとってそれは美徳ですらある。しかし、先程の君のように、連綿と続く道を歩き続けることで、ぽっかり空いた穴に落ちる場合もあるのだ。ある戦史家は私を評し、奇策をろうするがゆえに、一つ失敗し、道を踏み外せば途端に狼狽ろうばいするだけ、と嘲笑したが、それは正攻法でも容易に起こりうる事態だ。誰だって想定外のことが起こればあたふたするものなのだよ。それは変人だろうが、常人だろうが何も変わらない。まあ、少し意地の悪い言い方をすれば、常人の方が上手うまく隠し通せるような気はするがね」


 黒島大尉は自己を弁護する為に言ったのではないだろう。


 自分のようになるな、と忠告したというわけでもなさそうだ。


 それは単なる世間話のようにさらりとした調子で熊吉の耳に届いてきた。


「さて、飯までは少し時間があるが、今から帰ってもろくに仕事はできないだろう。だったらここで珈琲コーヒーを飲みながら皆で作戦会議と洒落しゃれ込もうじゃないか」


 これでこの話は終わりだと言わんばかりに黒島大尉が言った。


「私だけ昼飯の前に冷やし中華ですか……」


 嫌いではないが、今ではないし、納得もいかない熊吉が少し不満げな表情を浮かべる。


 それを見て伯爵と黒島大尉が声を出して笑う。


「安心せい、参謀殿はちゃんと四人分の珈琲コーヒーを注文しておられる」


 伯爵に言われて熊吉はようやく本当に騙されていたことに気がついた。


「山田君、これが参謀の仕事というものだよ」


 どうやら食えないところは今も全く変わっていないようだった。

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