Case File No.004-17

 蜂嬢島はちじょうじまに軽傷者と遺体を搬送し、半舷休息を終えて迎えた三月一七日日曜日の朝。


 本来なら〇六マル・ロク・〇〇マル・マルからの朝食を、特令で〇八マル・ハチ・〇〇マル・マルへと変更し、全員が三時間程度の仮眠をとることが出来たものの疲労の色は隠せない。


 誰もが眠たそうな目で黙々と食事をする士官室はさながらお通夜つやのようだ。


「皆さんお疲れのようですね。別命あるまで休息待機を継続しましょうか?」


 目の下にくまができている真雪ちゃんがポツリと呟く。


「ああ、そうだな」


 副長の竹林大尉も珍しく何も言わずに同意した。


 何だかんだでほとんど寝ていないのだろう。


 さすがに疲れの色は隠せていない。


「これからどうなるんですかね?」


 船務長の大谷大尉が誰にともなく訊いた。


「天使の他に少数ですが小型の火竜まで投入されていました。あれらを使い捨てるつもりで投入したとするならば敵の戦力はかなりのものと思われます。航空隊の支援があったとしても単艦で再度の襲撃を防ぐことは困難でしょう」


 冷静に分析するのは、魔法長のライラさんだ。


 ライラさんの専門は魔法全般だが、科学知識にも富み、艦内の誰よりも博識である。


 的確に助言をしてくれるので、ある意味、『いかづち』の参謀と言えなくもない。


「前進哨戒任務から帰投中の『あかつき』と『いなづま』も、会敵を警戒して大笠原おおがさらわ迂回うかいするようですね。場合によっては九嶺くれに退避させるとのことですから、上級司令部も事態を深刻に受け止めているようです」


 という真雪ちゃんの言葉で士官室の雰囲気は、益々ますます、暗くなる。


 誰もが次の言葉を出せないまま食事が進む。


 とそこへ普段は滅多に顔を出さない妖精ちゃんが現れた。


「通信士、入ります!」


 久しぶりに元気な声で言って妖精ちゃんが入ってくる。


「第三警備隊群司令部より電報が出ました。警備艦『いかづち』は直ちに出港し、中津横須賀へ帰投せよ、とのことです」


 妖精ちゃんの報告で士官室の雰囲気が一気に明るくなる。


 ただ、副長の竹林大尉は険しい表情を崩さない。


「帰投中の『あかつき』と『いなづま』はどうなったか分かるか?」


「はい。『あかつき』と『いなづま』は九嶺くれへの退避命令が下されました。なお、当地の護衛は空母『瑞鶴』を旗艦とする第五航空警備隊群が引き継ぐようです」


 他の士官は電報の内容に驚いていたが、熊吉はちゃんと仕事をしている妖精ちゃんのはきはきした喋り方に感動していた。


「はぁ……。とりあえず、一息ひといきつけそうですね……」


 真雪ちゃんが乾いた笑みを浮かべながら食後のお茶を啜る。


「真雪、暢気のんきにお茶を飲んでる場合じゃないぞ! すぐに出港準備を下令しろ!」


 竹林大尉が慌てて立ち上がると、他の士官もそれに続いた。


「ほら、早く立て!」


 腕を引っ張られ、強制的に立たされる真雪ちゃん。


「お茶くらいゆっくり飲ませて欲しいなぁ……」


 容赦のない竹林大尉に連れ去られる真雪ちゃんが恨めしそうな視線を投げかけてくる。


 熊吉は乗組員ではあっても配置表に名前はない。


 いわゆるお客さん待遇の為、昨日もゆっくり眠ることができたので非常に気まずい。


「クマッタはいいよねぇ……」


 嫌味たっぷりに言って妖精ちゃんも去っていく。


「あー、お茶うめぇー」


 一人だけ残された熊吉は開き直ってお茶を飲み続けた。




 〇九マル・キュウ・〇〇マル・マルに出港した『いかづち』は、伊庭兵曹長が一人乗り込む高速警邏艇を追いかけるかのように、燃費を考えない全速力で中津横須賀に向かい、約五時間後の一四ヒト・ヨン・二〇フタ・マル頃に凶倉わるくら岸壁に入港することが出来た。


 艦長の真雪ちゃんは、機関科の燃料搭載終了後、乗組員の上陸を許可したが、自らは眠たい目を擦りながら第三艦隊司令部庁舎の中にある第三警備隊群司令部へと入港報告に向かって行った。


 その疲れ切った背中を竹林大尉と一緒に舷門で見送った後、熊吉もパトラッシュと伯爵を連れて第三警備区警備本部庁舎へと向かった。


 中津横須賀内の各施設を巡回する部内のバスが運行しているのでそれを待っていたら、たまたま佐倉少尉の乗る警邏車パトカーが通りかかったので運んでもらう。


 二人を連れて行った理由は、もちろん、報告の証言をしてもらう為でもあるが、正式な役務えきむ調達契約を結ぶ為でもある。


 三特検さんとっけん司令の小松中佐を筆頭に、今回の事件は最重要案件と受け止められており、活発な情報収集がなされていたので役務えきむ調達契約の書類も全て用意されていた。


 小鴨刑事の言葉どおり共同捜査本部も設置され、佐倉少尉は専任連絡官として忙しく飛び回っていたらしい。


 熊吉が艦内で書いた報告書類と共に口頭での報告を終えると、小松中佐はその労をねぎらって定時で帰るように命令してくれた。


「情報の突き合わせや分析は、頭の悪いおまえがいない方がはかどる。おまえには引き続き、足で稼いでもらうから今は休んでおけ」


 小松中佐の優しくも厳しいお言葉に熊吉は苦笑いを浮かべざるを得ない。


「部下思いの素晴らしい上司に恵まれて熊吉君は幸せ者だな」


 という伯爵は思いっきりニヤニヤしていた。


「まあ、定時で上がっていって言われればそうしますけど……」


 ちょっと納得いかない熊吉だったが、正直、疲れていたこともあり、命令に従ってそのまま定時に上がらせてもらうことにした。


 パトラッシュは裏浦賀うらのうらがの波戸に置いてきた車を取りに行きたいということで、そこまで佐倉少尉が警邏車パトカーで送ることになったが、帰宅する熊吉と伯爵はさすがに乗ることはできないので歩いて帰るしかない。


「伯爵、うちで飯を食べていきませんか? 車を取りに行ったパトラッシュにうちまで迎えに来てもらえば裏田浦うらたうら町の奥地まで歩かずに済みますよ」


 衛門を出たところで熊吉は伯爵に提案する。


「食事はともかく待たしてもらえれば助かるな」


「だったらついでに飯も食べていってください。咲の作る料理は美味おいしいですよ」


「咲とな? お主、いつの間に結婚したのだ?」


「結婚はしてません。一応、恋人らしいんで一緒に暮らしてます」


「色事にはうとい奴と思おておったが、遅まきながらお主にもようやく春が来たということか。いや、めでたい話ではないか。よし、今宵は熊吉君の春到来を祝って豪勢にいこう。我が輩が金を出してやるから魚屋の魚を買い占めるぞ」


「伯爵、吸血鬼なのに意外と雑食ですよね。ってか、魚だけじゃなくて肉も欲しいんですけど」


「肉でも野菜でも好きなだけ買ってやる。ついでに酒も買ってやるから安心せい」


「さすが、伯爵、太っ腹です」


 何だかよくわからないノリで勢いがついてしまった熊吉達は、いつもの仲通り商店街で持ちきれないほどの食材と酒を買い込んだ。


 肉も魚も糸目を付けずに高級なものを全て買い占め、伯爵もたまにやってくるという酒屋では純米大吟醸と木天蓼酒またたびしゅを仕入れた。


 あとは少々の野菜を買って熊吉のアパートに向かう。


「ちょっと買いすぎたんじゃないですか?」


「パトラッシュも呼んでおるから大丈夫だろう」


「料理するのも大変そうなんで咲ちゃんに怒られそうです」


「心配するな。魚を捌いて刺身にすることくらいは我が輩にもできる」


「そういえば伯爵も料理できましたよね、猫のくせに」


「我が輩は猫ではないと言っておるだろう!」


 いきなり帰って驚かせようとするともりはなかったが、連絡のないまま家の扉の前に着いてしまう。


「電話、入れとけばよかったなぁ」


「今更じゃろ。ほら、重たいからはよう扉を開けんか」


「はいはい、ちょっと待ってくださいね」


 熊吉が呼び鈴を押そうとした瞬間、扉が開いた。


 開けてくれたのは咲ではない。


 恐らく以前のように妖精を使って動向を探っていたのだろうが、本人は物臭ものぐさな為に出て来なかった。


 では、一体誰が扉を開けてくれたのかというと、真雪ちゃんだった。


「真雪ちゃん? どうしてうちにいるの?」


「副長に妖精ちゃんと一緒に追い出されました。妖精ちゃんが今夜は御馳走ごちそうになる予感がするから一緒に行こうって言ってくれたのでついてきちゃいました」


 という真雪ちゃんは既にお酒を飲んでいるのか、少し顔が火照ほてっていた。


「お、艦長殿もおるではないか。エルフの娘も奥におるようだし、多めに買って正解だったな。しかし、扉の前でも感じたがすごい神気に満ちておるぞ。この家には神でも住んでおるのか?」


 伯爵の声を聞いて奥から咲が顔を覗かせる。


「はい。住んでますよ。今、手が離せないのでどうぞお上がりください」


 ニコッと微笑ほほえんで引っ込む咲を見て伯爵が肘でつついてくる。


「本物の女神ではないか。お主、いかなる術でかどわかしたのだ?」


「伯爵のむしと一種にしないでください」


「その顔で冗談は大概にせい。大方、何かの弱みにつけこんで手込めにしたのであろう。この助平め!」


「ちょっと人聞き悪いこと言わないでくださいよ。何か真雪ちゃんが白い目で見てるんですけど」


 真雪ちゃんは本当に白い目で見ているわけではなく冗談のつもりなのだろうが、伯爵はちょっと本気で誤解しているところがある。


 確かに、モテないことに自信はあるが、最低の行為に及んだことは一度もない。


 そもそも、咲とは口付けキス以上の行為に及んでいない。


 恋人宣言はしたものの実感がないので、何となく踏み切れないままここまで来てしまったくらいなのに酷い言われようだ。


 ただ色々と買ってもらったので文句は言えない。


 ここは冗談と言うことで押し通すしかない。


「まあ、冗談はこのくらいにしてとりあえず上がってください」


「そうだな。後でそこら辺の経緯いきさつを聞かせてもらうから覚悟しておけよ」


 家に入って買ってき物を出して、既に料理を始めていた咲を手伝う。


 客である真雪ちゃんや伯爵も積極的に手伝ってくれる。


 妖精ちゃんには期待しなかったが、伯爵が魚を捌く時に台所の上まで持ち上げるのを手伝っていた。


 そうこうしているうちにパトラッシュも合流し、料理も出来上がって小さな宴会が始まった。


 炬燵こたつ上座かみざに熊吉と咲、右に真雪ちゃん、左に妖精ちゃんに抱えられた伯爵、下座しもざにパトラッシュという配置で座る。


 ちょっと狭いが何とか全員が座ったところで伯爵が乾杯の音頭を取る。


「それでは熊吉君の遅咲きの春を祝して、乾杯!」


「乾杯!」「乾杯!」「乾杯!」「乾杯!」「乾杯!」


 五人の乾杯の声が続いて、熊吉とパトラッシュと伯爵が文字通りに杯を乾かす。


 因みに、熊吉は純米大吟醸、伯爵は木天蓼酒またたびしゅ、パトラッシュは運転するのでノンアルコールビールだ。


「ああ、美味うまい!」


 伯爵が買ってくれたのは、一本一万円以上もする来福酒造の純米大吟醸『超精米』だ。売り物ではなく店主が自分で飲む為に仕入れた一本を特別に譲ってもらった。


 米の九割二分を削り、残りの八分だけで作った超贅沢な日本酒だ。


 それだけに味の繊細さが半端じゃない。


「どうぞ」


 咲が伯爵に酌をする。


「すみません、奥さん。いや、熊吉君は幸せ者ですなぁ、こんな美人の細君をめとることができて」


 さすが五百年以上も生きる化け猫だけはある。


 人をおだてるすべを心得ている。


 ある程度なら人の心が読めるという咲が頬を赤らめるところを見ると、全くの嘘ではないのだろうが実に調子がい。


「でも、本当にい人を見つけましたよね。優しくて、美人で、その上こんなに料理がお上手なんですから」


 真雪ちゃんの言葉に妖精ちゃんがうなずく。


 うなずきながら伯爵の頭越しにもりもりと料理を食べている。


 時々、汁や醤油しょうゆが伯爵の頭にたれているが、妖精ちゃんに片手でがっちりホールドされいるので逃げ出せないようだ。


 あまりにも哀れなので隣に座る咲が定期的に拭いているが妖精ちゃんは全く気にしていない。


「伯爵の切った刺身も美味うまいですよ」


「そうだろう。エルフの娘も手伝ってくれたからな。今日は特別に上手く捌けた気がするな」


 伯爵は自慢げにひげを撫でる。


「ニャンコの刺身、美味おいしい……」


 妖精ちゃんが刺身を頬張るたびに醤油しょうゆがたれる。


 だが、何気ないその一言は伯爵を美味おいしくいただいているようにも聞こえる。


 それは醤油しょうゆがたれることさえ気にしない伯爵の顔を見事なまでに引き攣らせることに成功していた。


「娘よ、さっきから我が輩に醤油をたらしているのはまさか……」


 疑いの眼差しを向けられた妖精ちゃんは小首を傾げる。


「気のせいか……」


 伯爵が胸を撫で下ろした瞬間、妖精ちゃんが摘んでいた唐揚げが伯爵の頭の上に落下した。


「熱いニャー!!!」


 妖精ちゃんがすぐに拾って食べたが伯爵は目を閉じて頭を抱えている。


「あら、大変。治療しますのでこちらにいらしてください」


 咲が手を伸ばすと、さすがに悪いと思ったのか妖精ちゃんも解放してくれた。


「あ、待って、伯爵は不死者イモータルだから治癒効果のある魔法は使えないよ」


 妖精ちゃんの膝から咲の膝へと逃げてきた伯爵に魔法をかけようとする咲を慌てて止める。


 普通の人間には効果抜群の治癒魔法も伯爵にとっては逆効果でしかない。


 神である咲が施術したら、消えて無くなる恐れもある。


「私だって神様なんだからね。熊吉さんに言われなくてもちゃんとわかってますよ」


 咲は頬を膨らませながら伯爵の頭を撫でる。


「伯爵様は吸血鬼なんですよね?」


「左様。魔法によって吸血鬼となった、今で言う真祖しんそというやつだな」


 得意げに言っているが、熱々あつあつの唐揚げを脳天に喰らっただけであれだけ痛がるのだから、真祖しんそというのも大したことはないのかもしれない。


「私、吸血鬼ってよく知らないんですが、真祖しんそって血統書付きみたいなものなんでしょうか?」


 真雪ちゃんが面白いことを言うので、熊吉は思わず吹き出しそうになる。


真祖しんそというのは元祖という意味です。老舗しにせと言っても良いかもしれません。吸血鬼は吸血することでも増やせますが、そうした暖簾のれん分けされた者ではなく、自然発生的にしくは魔術的に生み出された者を最近では真祖しんそと言ったりしているそうです。まあ、要するに中二病的な言葉遊びですよ」


 パトラッシュが身もふたもない説明をするので思わず声を出して笑ってしまった。


 すると、かさず隣から鋭い爪が飛んできた。


「痛っ!」


 超高速ネコパンチを見舞った伯爵は、素知らぬ顔で咲に撫でられてる。


 咲はすっかりその愛らしさに魅了されているようで血が出ている熊吉の腕を見ようともしない。


「あー、血が出たよ。伯爵、ほら、血ですよ、血。これでもなめれば治るんじゃないんですか」


 熊吉は指に血を付けて伯爵の口許くちもとに持って行く。


「奥さん、旦那さんが汚い血を飲ませようとしますニャー」


 伯爵が咲の胸に顔をうずめてしがみつく。


「熊吉さん!」


 咲に怒られる熊吉。


「え、俺? 俺が悪いの?」


 納得できないが、可愛いは正義なのだ。


 真雪ちゃんは苦笑いを浮かべ、パトラッシュは肩をすくめるだけで誰も弁護してくれない。


 可愛いが正義なら不細工は悪ということだ。


 悔しいが認めなければならない不条理も世の中には存在する。


「妖精ちゃん、ニャンコ、今日泊まっていくらしいから一緒に寝てあげてね」


「うぇーい!」


 よくわからんが妖精ちゃんは喜んでいるようだ。


 しかし、伯爵は咲の胸で震えている。


 どうやら効果は抜群のようだった。




 熊吉達が小宴会を開いているまさにその頃、時空保安庁長官である山本元帥は地獄の一つである大叫喚地獄だいきょうかんじごくを訪れていた。


 この大叫喚地獄だいきょうかんじごくは四等級の罪に問われた者が堕ちる地獄である。


 地獄送致が決定した罪人は担当閻魔官えんまかんに熱いか寒いかの刑を選ばせられるが、ここは熱い方を選択した者のみが墜とされることになる。


 受ける苦役は、大釜で煮られ続けるというもの。


 同じ刑を受ける叫喚地獄きょうかんじごくというものがあるが、ここはそこよりも十倍以上の苦痛が伴うと言われている。


 そんな場所の片隅で、一人、温泉に浸かるかのような涼しい顔で本を読みふける者がいた。


 獄卒ごくそつから、黒亀仙人と呼ばれるその老人は、鉄をも溶かすほどの溶岩がぐつぐつと煮えたぎる釜の中で、だこのような顔をしながら絶対に燃えることのない特製の本に集中していた。


 山本元帥は、十三歳も老けてしまった九歳年下の知己ちきを見て、相変わらずだと苦笑いを浮かべる。


「先任参謀、お湯の加減もわからんくらいに何を熱心に読んでおるのか?」


 罪人ではない山本元帥に地獄の苦役は意味を成さない。


 獄卒ごくそつ達と大釜に近づいても熱さは全く感じられない。


「これはお珍しい。長官自らこんなところへ足をお運びになるとは」


 釜の横にある台の上に上がってきた山本元帥を見つけて老人はようやく本を閉じる。


 それを完全に禿げ上がった頭の上に載せて肩までかり直す。


「変わらないなぁ、君は。ここに送られてもう五十年以上だ。そろそろ飽きて来たのではないかね?」


「毎月、面白い本を送ってくださる方がおりますので、お陰様で飽きもせず毎日を過ごしておりますよ」


 と、老人は溶岩の釜の中で快活に笑う。


「それでは、さぞや研鑽けんさんを積んだことだろう。その智恵と知識、今一度、お国の為に役立ててみる気はないかね?」


「特攻させることしか能がなかったわたくしにでありましょうか? 宇垣さんの日記や軍令部の書類を勝手に処分した、この卑怯者にでありましょうか? お声がけは大変嬉しく存じますが、わたくしを用いられることで長官の名誉に傷がつくことは我慢なりません」


「宇垣君は実直な男であるが、同時に冷淡な男でもある。だが、君は偏屈なだけで情のない男ではなかった。妻の窮状きゅうじょうに手を差し伸べてくれた君が、ただいたずらに人の命をもてあそんだとは思わんし、保身の為だけに日記や書類を処分したとも思わんよ」


「長官はわたくしを買いかぶりすぎです。先の大戦、わたくしを重用されたことが長官の唯一にして最大の失策でありましょう」


「それは違う。僕の最大の失策は、君の才知を上手うまく用いることができなかったことに尽きる。何処どこまでも水臭い男だなぁ、君は。君と共に歩んだ僕に不名誉なことがなかったわけがなかろう。君へのそしりも本来ならば半分以上、僕が引き受けなければならなかったことだ。僕の不名誉を隠す為に、君は最後の策を巡らしてくれたのではないかな?」


 山本元帥は答えを待たずして台の上で土下座をする。


「君にばかり苦しい思いをさせてすまなかったな。これで許せとは言わないよ。ただもちっとばかぁおらぁに力さ貸してくんなせ」


 伏して頭を下げていた山本元帥は、老人の啜り泣く声を聞いて顔を上げた。


「……やりましょう……いえ…ぜひ…やらしてください……」


 泣くのを必死に堪え、絞り出す様に発せられた老人の声に山本元帥も思わず涙をこぼした。


「そうか、やってくれるかね、黒島君……」


 老人は大鍋の中で力強くうなずいてみせる。


「この黒島亀人かめと、今一度、お国の為に働かせていただきます」


 変人とも天才とも言われた元連合艦隊主席参謀、黒島亀人かめと


 この瞬間、彼の時空保安庁入庁が決定したのだった。

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