Case File No.002-08

 動きを止めた健太郎の顔は真っ青になっている。


 それは熊吉がしかけた罠にはまったことを示していた。


 全ては賭だった。


 健太郎が下手に手加減せずに一撃で方を付けに来ていたらあっと言う間にやられていただろう。


 だが、彼は油断し、手加減をしてしまった。


 それが圧倒的不利を覆す時間を与えてくれたのだ。


「ようやく効いてきたみたいだね」


 熊吉は血の混じった唾を吐き捨て、腫れ上がった顔で不敵に笑う。


「体がしびれて…痛い……。僕に毒を使ったんですか……?」


「ちょっとした手品だよ。今の君は君を強化した加護や恩恵を徐々にを失いつつある。なのに、君はいつもどおり体に無茶させてしまった。君が本当の英雄として何物にも頼ることなく地道な努力の末にその力を手にしていたのなら良かったんだ。でも、君はただの非力なニートのまま神様からもらった力に頼り切ってしまった。それが失われつつある君はただの非力なニートに逆戻りしているってわけだ。そんな体で一流の運動選手並の動きをすれば筋断裂にいたるのは当然のことだ」


 熊吉は何も知らない健太郎に全てを説明してやる。


「筋断…裂……? そんな…こと…一度も……」


「人間の魂には、人間の身体に関する全ての記録が情報として蓄積されている。加護や恩恵は、これを書き換えて、現実を浸食させるという方法で、現実世界に様々な奇跡を起こす。君の体に起きていた異常なまでの身体機能の強化もその一つだ。でも、本来、人間の魂はそんなものを詰め込めるようにはできていない。長い修行や経験を積んだ特殊な人間でさえ、ほんのわずかな加護や恩恵を受けるのがやっとなんだ。そんなことを常時やっていれば必ず何処どこかにほころびがしょうじる。俺はそのほころをほんの少しついてやったのさ」


「いつ…そんな…ことを……?」


「君が俺をボコり始める直前、俺は一度だけこぶしを構えただろ? あの時さ」


「でも…あれは…外れて……」


「そう見えただけだよ。というより、実際、体には当たっていない。当てたのは君の魂だ」


「たましい……?」


「正確には、それを護るように展開される魂のからに当たる部分だ。魂殻こんかくと呼ばれるそれは魂の持つ情報の書き換えを防ぐ防壁でもある。確かに魂に書き込める情報は無限だ。だから、君のように加護や恩恵を詰め込むことは不可能じゃない。けれど、魂殻こんかくくことできるリソースは、簡単には変えられない。加護や恩恵を詰め込めば詰め込むほどそのリソースは減り、結果、魂殻こんかく幾何級数的きかきゅうすうてきに弱くなっていく。特に君みたいに元々、精神的にもろい人間の魂殻こんかくは脆弱だ。加護や恩恵でそれを隠すことはできても補うことはできないんだ」


「だと…しても…どうやって……?」


「地獄で、ある人にやり方を教わったのさ。その人は生涯をかけて究極の格闘術を作り上げた。それが海軍村岡式特種船匠術せんしょうじゅつだ」


「かいぐん…むらおか…しき……」


 ついに我慢しきれなくなった健太郎が膝をつく。


 そのひたいには玉のような汗が噴き出していた。




 膝をつく健太郎の姿がオーロラビジョンに映し出された瞬間、ヴァルオーンは立ち上がった。


「さっき、毒を使ったと言ったな! 卑怯だぞ! こんな試合は無効だ!」


 ヴァルオーンは咲の向こうに座る山本元帥に抗議する。


「待たれよ。長官が申したのはものの例えだ。本当に一服盛ったというわけではない」


 建御雷神タケミカヅチノカミ布都御魂ふつのみたまをヴァルオーンに向ける。さやに納められていると言っても、その脅威は少しも変わらない。


 ヴァルオーンは不服そうに顔をゆがめながら再び席に座った。


「毒でないというのならば、それを証明する為にも、何が起きたのかをお教え願いたい」


 ヴァルオーンに説明を求められ、建御雷神タケミカヅチノカミが視線を山本元帥に向ける。

 その視線に気付いた山本元帥が小さくうなずいて説明を始めた。


「それでは、私が説明しましょう。私のアブラムシが使ったのは海軍村岡式特種船匠術せんしょうじゅつです」


「海軍村岡式特種船匠術せんしょうじゅつ? 何だそれは?」


「船匠術とは軍艦の建造や修理に用いられる技術や知識の総称です。かつて我が祖国に存在した帝国海軍。その軍人であった村岡聖慧まさとし機関中佐は、己が極めた船匠術せんしょうじゅつを元に、武器を迅速に破壊する技術の開発を命じられました。今から七十四年も前のことです」


「直す技術を元に壊す技術を開発したのか? どうしてそんな無駄なことをしたんだ?」


「当時、我が国はある大国と戦争状態にありました。日に日に悪化する戦況の中で、敵に武器や資材を鹵獲ろかくされることが次第に多くなり、これを未然に防ぐべく迅速な破壊術が求められたのです。とりわけ、沈み行く軍艦にあっては、砲の一つに至るまで敵の手に渡すことなく破壊してから逃げることを求められました。それを主導的に実践していたのが、ふねの心臓部分であるエンジンを担当する機関科だったのです。その中でも優秀な技術者であった村岡聖慧まさとし機関中佐に白羽の矢が立ったのは必然でした。彼は苦悩の末に、この馬鹿げた計画にその持てる技術を託す決断をしました。そして、終戦の直前、それは静かに産声うぶごえをあげたのです。あらゆる武器を、その知識と肉体とわずかな手工具てこうぐもって完全に破壊する武器破壊術として、それは完成に至りました。でも、一度も使われることなく戦争は終わりを迎え、村岡機関中佐は開発時の心労と無理がたたって病に倒れ、その半年後にこの世を去りました。アブラムシはその村岡機関中佐から特種船匠術せんしょうじゅつの教えを授かった者の一人なのです」


「あらゆる武器を、その知識と肉体とわずかな手工具てこうぐもって完全に破壊する武器破壊術だと? そんなものがあってたまるか! たとえ、あったとして、だ! それでどうやってこの状況を作り出したというのだ!」


 激高するヴァルオーンに対して、建御雷神タケミカヅチノカミが手を上げ、説明を引き継ぐ。


「それについてはそれがしの方から説明しよう。あれなるアブラムシが使ったのは、ついの技の一つ、【魂割たましいわり】だ。村岡式船匠術せんしょうじゅつにおけるついの技は本来、金槌かなづちもって武器を打ち砕くもの。だが、例外として【赤手槌あかてづち】という無手むての打撃による武器破壊の技が存在する。魂割たましいわり赤手槌あかてづちを極めし者のみが使える村岡式の奥義おうぎの一つ。おのこぶしに魂を込めて相手の魂を打ち砕く究極の打撃技。あれを受けた者は、おのが魂のゆがみを正される。生来せいらいの力持つ者なれば全く効果ないはず。だが、其処許そこもとの用意された英雄殿にはよく効いたようでござるな」


 嘲笑する様子もなく、淡々と説明した建御雷神タケミカヅチノカミは、これで充分だと言わんばかりに背を向けてしまう。


「そんな…馬鹿な……。こんなこと……。こんなこと、認められるわけがないだろがっ!」


 ヴァルオーンが背向けた建御雷神タケミカヅチノカミに襲いかかる。虚空こくうから剣を出して斬りかかる。


 それに対し、建御雷神タケミカヅチノカミはただ布都御魂ふつのみたまつばを指で弾いて音を鳴らした。


 それを聞いたヴァルオーンが剣を構えたまま動かなくなる。


布都御魂ふつのみたま布都ふつとは物を斬る時に生じる音のこと。布都御魂ふつのみたまはその音にてあらゆる物を断つのだ。下賤げせんにして野卑やひなる異界の神よ、我が刀の鍔鳴つばなりにてちりと消えるがいい」


 動きを止めたヴァルオーンが建御雷神タケミカヅチノカミの言葉どおり、ちりとなってその場に消えていく。


 日本最強の武神と、日本最強の剣をあなどった異世界の伝令神は、己の愚かさを後悔することなく死んでいった。


「あのヴァルオーンがこんなあっさりと……」


 怨敵おんてき呆気あっけない最後を見届けた咲が驚きの声を漏らす。


「咲よ、それがしはこう見えてもそなたの国の神ぞ。かかる出来損ないの神に遅れを取ることなど決してありえぬ。えて信心しんじんは求めぬが、もそっと信頼があっても良いのではなかろうか?」


 建御雷神タケミカヅチノカミは振り向きながらもう一度、鍔鳴つばなりの音を響かせ、目配せウインクして見せる。


 咲を拘束していた手錠と鎖がヴァルオーンの時のようにちりとなって消える。


 と、同時に咲の目から涙がこぼれ落ちた。




 健太郎が完全に倒れた瞬間、試合終了の鐘が鳴らされた。


 苦しげに息をもらす健太郎に近づいた熊吉は、仰向けになった健太郎めがけて最後のこぶしを放つ。


ついの技の一つ、【気付槌きつけづち】だ。君の魂を叩き、気の巡りを調整した。完全に回復させるのは無理だがこれで少しは楽になっただろう」


「すみません……。本当は強かったんですね……」


 と、健太郎は涙を流す。


 根は素直な青年だったのだろう。

 でも、何処どこかで道を間違えてしまった。


 異世界に転生することなく良き師に巡り会っていたならここまで腐ることもなかったに違いない。


「許されぬ者などいない。もし、俺のこぶしが心に届いたのなら、地獄で反省し、やり直す機会を探すといい」


「こんな僕でも大丈夫ですか……? いっぱい殺しちゃいましたよ……?」


「時間はかかるかもしれない。でも、君ならきっと大丈夫だ」


「あーあ、せっかくいじめられっ子から卒業したのに、今度は地獄で鬼にいじめらるのかぁ……。なんだか、いじめらてばかりの一生だったなぁ……」


「地獄にもほとけはいる。心からつぐない続ければいつかは救いの手が差し伸べられるさ」


「なんだか、見てきたような言い方ですね」


「見てきたよ。俺は十五年間、あそこでおつとめを果たしたんだ」


「じゃあ、きっと僕にもできますね。さあ、もう充分です。一思ひとおもいに殺してください」


 覚悟を決めた健太郎が目を閉じる。


 でも、熊吉は止めを刺さなかった。最初から刺すつもりはなかった。

 だから、気付槌きつけづちを放ったのだ。


われ、必勝と不殺の一念をもって、なんじが戦意を打ち砕かん……。海軍村岡式は武器を破壊することで敵の戦意を奪う不殺の技だ。いかなる状況においても人の命を奪うことは決して許されない。だから、アメリカの時空保安庁に当たる沿界警備隊ボーダー・ガードではこう呼ばれている。非殺傷性対機甲近接格闘術ノン・リーサル・アンチ・アーマード・クロース・クォーターズ・コンバットまたは【アームズ・ブレイク・アーツ】と」


「アームズ・ブレイク・アーツ……」


「正式な愛称はそうなんだけど、もっと短くアームズ・ブレイクって呼ばれることの方が多いかな。口さがない連中だとバカ・アーツなんて言ったりするけど、真似まねしないでね」


「僕もそれを覚えればやり直せるのでしょうか?」


「こんなものを使わなくても、その気になればやり直せるさ。君はもう一度、生まれ変わった世界で、今まで殺してきた人達の数だけ人を救うんだ。君ならきっと生きているうちに百万人以上の人間を救うことができるはずだ」


「だと…いいですね……いえ…そうなるようにがんばります……。そして…今度こそ…本物の…英雄に……」


 健太郎が意識を失う。


 気付槌きつけづちに本格的な回復効果はない。

 気休め程度に痛みをとり、命をつなぎ止めるのが限界だ。


 あとの処置は医師の領分となる。


「はっ、参ったな。派手にやられすぎて俺も限界だわ」


 熊吉の体がグラッと後ろに倒れ込む。

 もう、受け身を取る力も残っていない。


 そのままだとさらに怪我しかねない危険があるがどうしようもない。


「お疲れ様でした」


 地面に着く直前、誰かが体を支えるように抱き留めてくれた。


「咲ちゃん……?」


 腕の中で熊吉が質問する。


「はい。私です。あなたの咲です」


 抱き留めた体をゆっくりと地面に下ろしながら咲は答える。


「え? それってどういうこと?」


 朦朧もうろうとする意識の中、熊吉は混乱する。


「こういうことです」


 女神が口付けキスで勝利を祝福する。


 隠れた英雄は、その感触を味わうことなく、その意識を失った。


 こうして、熊吉はまた一人の彷徨さまよえる魂を救ったのだった。

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