Case File No.002-07

 熊吉は緊張で吐きそうだった。


 原因はもちろん観客席を埋め尽くす大観衆だ。

 一晩で集まったとは思えない暇人に見つめられ、熊吉の緊張は最高潮に達している。


 この凍京とうきょうビッグアリーナの収容人数は二万四千人。


 広い競技場の中心に立つ二人に、その視線が全て注がれている。


 こんなにも大勢の人に見られる経験のない熊吉はガチガチに緊張して軽くパニックに陥っていた。


「あのぅ、大丈夫ですか?」


 甲冑かっちゅうを着た騎士風の色男が話しかけてくる。


 男は熊吉の前方二メートルほどの位置に立っている。

 背が高く、体は程良く引き締まっているように見える。


 顔の造りは精悍かつ繊細。


 はっきり言って俳優レベルの男前だ。


 それが重そうな甲冑かっちゅうを着ているので騎士の役を演じているようにしか見えない。

 年齢は二十歳はたちぐらいだろう。


 何処どことなくまだ子供っぽさが脱けていない気がする。


 そんな奴が熊吉の試合相手だった。


「ああ、大丈夫、大丈夫。それより、君、すごいね。オッサンは観客の熱気に当てられてもうヘロヘロなのに、全然、落ち着いてるもんね」


「僕も日本にいた時は全然ダメで、家から出ることすら出来なかったんですけどね。向こうの世界に生まれ変わって、人に囲まれることが多かったので、もうすっかり慣れてしまいました」


 男は照れ臭そうに笑って見せる。その喋り方はとても爽やかで、家に引き籠もっていたとは思えないほど堂々としている。


「俺の名前は山田熊吉。すっごく弱いオッサンだから手加減よろしくね」


「僕は伊藤健太郎です。こちらこそ、元ニートなんで手加減よろしくお願いします」


 と、まずは挨拶を交わす二人。


 今回の試合は神事しんじである為、現場で派手な紹介アナウンスなどの演出は一切無い。


 また、ルール無用ということで審判すらいない。


 双方、試合開始までに競技場に入り、試合開始時刻を知らせる鐘のと共に戦い始めるシンプルな構成になっている。


 なお、神事しんじにつき試合開始前の野次や声援は一切許可されていない。


 収容人数は二万四千人の客席は埋め尽くされているというのに、異様な静寂がアリーナ全体を包み込んで、おごそかな雰囲気をかもし出していた。


「そろそろか……」


 ゴクリと唾を飲み込んだ次の瞬間、試合開始の鐘が高らかに鳴らされた。


 同時に客席から割れんばかりの声援が上がる。


 大気を揺るがすほどの大声援に押され、両者は動き出す。


 ちなみに、熊吉が着ているのはいつもの作業服である。


 時空保安庁の服装は、礼装、夏制服、略式夏制服、冬制服、作業服、整備用作業服(ツナギ)、陸上戦闘服、海上戦闘服、特殊戦闘服、潜水服の全十種類もあるが、基本的に何もない時は作業服を着ていることが多い。


 動きやすく、そこそこ丈夫で、洗濯できるからだ。


 一応、燃えにくい難燃繊維でできているが、防御力はない。


 明らかに戦闘向きでない作業服を着る熊吉の手には軍手がはめられているだけで武器は何も持っていなかった。


 対する健太郎は、腰に立派な剣を帯びている。手にはこれまた立派な籠手こてをつけている。


 首から下の体は全て鎧で覆われ、頭は兜の代わりに宝石をあしらったはちがねのようなものつけていた。



 頭を除けばかなり重そうな装備なのに、健太郎の初動は恐ろしく速かった。


 いや、速すぎた。


 弾丸のような速度で一瞬のうちに間合いが詰められる。


 幸いなことに、健太郎は剣を抜かなかった。

 籠手こてをつけたこぶしを熊吉の腹に繰り出すだけだ。


 それだけで、熊吉は派手に吹っ飛ばされていた。


「ぐぉえっ……」


 軽く一メートルほど後方に飛んだ熊吉は、昼食を吐き戻しそうになる。


「すみません、手加減したつもりなんですが、まだ足りなかったようですね」


「すごいな。腹をハンマーで殴られたかと思ったよ」


「山田さんの方こそすごいです。見たところ、村人Lvレベル10なみのステータスなのに、勇者Lvレベル30くらいの攻撃に耐えるなんて。魔法も使えないようですが、どんな手品を使ったんですか?」


「君はステータスってやつが見えるのか?」


「はい。僕に与えられた能力の一つです。相手の全てが丸わかりです。スキルも魔法も能力も僕に隠すことはできません。スキルは柔道がLvレベル1になっているので初段ということでよろしいですか?」


「ああ、合っているよ。他には何かありそうか?」


「すごいですね。機械整備のLvレベルが168もあります。山田さんって普段は何してる人なんですか?」


「警察官みたいな仕事だよ。でも、元は海軍機関科士官。勉強の為って言われて、兵や下士官達と一緒に機械いじりをさせられていたから、整備に関する知識と実技は一通り身につけているんだよ」


「それでこの数字なんですね。納得しました。まあ、他にもスキルをお持ちのようですが、どれも戦闘向きではないようですし、早く終わらせたいので攻撃を再開しますね」


 再び一瞬で間合いを詰められ、今度は顔を狙いこぶしを繰り出す健太郎。


 熊吉はそれを紙一重でかわして見せた。


 しかし、完全にはけきれず、かすった頬が切れ、血の赤い線が引かれる。


「驚いたな。ステータス上ではけきれない攻撃のはずなのに」


「数字だけが全てじゃないんだよ。君は能力に頼りすぎて動きが単調になっているんだ。一度受ければ、大体の予想はつく。あと動くタイミングさえ合えばけるのは難しくない」


「じゃあ、これはどうです?」


 速度が上がる。


 桁違いに早い動きで再び繰り出された健太郎のこぶしが熊吉の脇腹をかする。


 今度は先程よりも鋭く、そして、深い。


 脇腹がぱっくりと裂け、流れ出す血でネイビーブルーの作業服が赤く染まる。


「しゃれになってないな。そんなの、一撃でも喰らったら御陀仏おだぶつだ」


「まだ、三割ってとこなんですけど、遊ぶにはこれくらいが調度いみたいですね」


「遊ぶ?」


「生まれ変わった僕にとって、全ては遊びなんですよ。盗賊、ゴブリン、オーク、オーガ、ドラゴン……ファンタジー系の敵以外に、姫にお願いされて戦争にも参加しました。山田さんは昔の軍人さんみたいですが、きっとスコアは僕の方が上ですよ。一万人以上は殺しましたからね。あ、間違ミスって巻き込んじゃった村人とかは数えていないですよ。純粋に僕を殺そうとしてきた人達の数です。それに、そういうのを入れたら本当にかぞえられなくなっちゃいますからね。人口百万を超える都市を大魔法で消滅させたことだってあります。原爆みたいに綺麗なキノコ雲が上がってあっという間に片付きました」


 健太郎の口調は淡々としていた。それだけに狂気がにじみ出ていた。罪悪感はまるで感じられない。


「君が消滅した都市には、敵兵以外の民間人だって住んでいただろうに……。君はそれを殺したことに関して何も思わないのか?」


「だって、戦争ですよ。あなた達、旧日本軍だって民間人を平気で殺したりしたじゃないですか。僕、知ってますよ。南京なんきん大虐殺とかで民間人を何十万人も殺したんですよね。それも残虐な方法で。それに比べれば僕のは良心的です。一瞬で蒸発ですからね。原爆みたいに放射能も残りませんし、米軍のあれが人道的に許されるなら僕だって許されるはずです」


「確かにそのとおりだな。南京なんきん事件はともかく大陸で民間人が大勢殺されたことは否定しない。人道にもとる行為が行われたのも事実だ。米軍の無差別爆撃や原爆投下の犠牲者を虐殺だとののしる日本人がいないことも知っている。戦勝国主導で築かれた国際社会が秩序の名のもとに自ら犯した戦争犯罪を黙殺していることに関して俺は何も言えないし、言うつもりもない。それを受け入れてしまった日本人に対しても同様だ。その上に繁栄を築くことができたのだから、それも生きるすべだったのだと理解もできる。でも、少なくとも俺は、自分が人を殺したことを正当化したことは一度もない。敗戦国の軍人だからじゃない。非人道的行為を行ったからでもない。それが一人の人間である為に必要な最低限、守るべきルールであると知っているから、俺は敵を殺すことを正当化したりしないんだ。人殺しは、所詮しょせん、人殺し。どこまで行ってもそのつみは消えたりしないんだ」


 熊吉は激しい怒りと闘志をこめた視線を健太郎にぶつける。


「あー、山田さんってそういう系の人かぁ。めんどくさいなー。僕、そういう説教系の人って苦手なんですよね。合理的じゃないっていうか、胡散うさん臭いっていうか、とにかく自分が正しいと思って一方的に正論を押しつけてくる。僕、そういう人と会うと、引き籠もっていた頃の自分を思い出して、キレそうになちゃうんですよね」


 健太郎の顔が怒りと狂気にゆがむ。


 熊吉はそこに健太郎の正体を見た気がした。


「君には色々と教えることがありそうだ」


「説教なんてものは、所詮しょせん、自己満足ですよ。オナニーと一緒で、気持ちいいからやっているだけなんです。人の気持ちなんて考えずに自分の考えを押しつける精神的なレイプです」


屁理屈へりくつだけは一人前だな。言いたいことがあるならこぶしで語れ。これ以上、その屁理屈へりくつを聞くのはさすがに我慢ならん」


「ひょっとして怒ってるんですか? すぐにキレるオヤジ、最低ですよ!」


 健太郎が動く。次の瞬間、熊吉は何も出来ずに吹っ飛ばされていた。派手に吹っ飛んだ熊吉は受け身すらとれずに地面に転がった。


「あれぇ? こぶしで語るんじゃなかったんですかぁ? もう終わりですかぁ? つまんないなー」


 挑発する健太郎の言葉を受けて熊吉は起き上がる。


 右の肋骨が何本かれた。口の中が切れ、鉄錆てつさびの味が口にいっぱいに広がる。


 その原因である血を唾と共に吐き捨て、熊吉は初めてこぶしを構えた。


「さあ、来い。命のとうとさをその身に教えてやる!」


「それはこっちのセリフですよっ! 痛みで生きていることを実感してくださいっ!」


 一方的になぶれることを知った健太郎の顔は狂気じみた愉悦で満たされ、笑みを浮かべていた。




 始まった直後から一方的だった試合はすぐにただの私刑リンチに変わった。


 ボコボコに殴られ、地面に倒される熊吉が、諦めずに立ち上がり、また殴られる。

 この繰り返しに、ヴァルオーンだけが歓喜する。


 立ったまま試合を見る建御雷神タケミカヅチノカミも、咲の左隣に座る山本元帥も何も言わない。


 二人とも目を逸らすことなく、黙って試合を見続ける。


 だが、中央の席に座る咲はもう試合を見ていられなかった。


「もうダメです。これ以上は見ていられません」


 傷つき、倒れ、ボロボロになっていく熊吉の姿を直視することができず、思わず顔を背けてしまう。


「どうか最後まであいつのことを信じてやってください。目をらすことなく、信じて見続ければきっと面白いものが見られるはずです」


 山本元帥に声をかけられ、咲は恐る恐る目を見開く。試合を見るのではなく、隣にいる山本元帥にその視線が向けられる。視線に気付いた山本元帥が、ニコッと笑って小さくうなずいた。


「海軍機関術科じゅっかに秘中の秘あり。夢想なるがゆえに至高なる船匠術せんしょうじゅつ、これを修めし者は馬鹿の極みなり」


 建御雷神タケミカヅチノカミが独り言のように呟く。


 意味が分からないといった顔を咲を横目で見て、山本元帥が説明する。


「私のアブラムシはそんじょそこらのアブラムシとは違います。あれは極めつけの馬鹿で、存外にしぶとい男なんですよ」


 それを聞いたヴァルオーンが声を上げて笑う。


「確かに貴官の言うとおりだな。あれは馬鹿でしぶとすぎる。いや、実に愉快だ。殺されるまで立ち上がるなんてただの馬鹿としか言いようがない」


 ヴァルオーンはそう言うが、咲には熊吉が馬鹿だとは思えなかった。


 きっとゆずれない思いが熊吉を何度も立たせているのだと思った。


 そして、その思いの中には自分のことも含まれていることに気がついた。


 だから、咲は試合する熊吉に視線を戻した。


「中途半端な馬鹿は弱さです。しかし、馬鹿も極めれば強さになります」


「そうですね。私が愚かでした。彼の為にも、もっと強くならねばなりませんね」


「大丈夫、あのアブラムシは体内に猛毒を持っています。上手うまく毒が回れば、神すら敵ではありません」


 そこで初めて山本元帥は咲の方に顔を向けた。


「我が帝国海軍が生んだ徒花あだばなの猛毒。こいつはよく効きますよ」


「猛毒ですか?」


 咲も山本元帥の方に顔を向ける。


「海軍機関術科じゅっか、その最大術科力じゅっかりょくを示すあれは、世界で最も強く、そして、優しい武術と言えるでしょう」


 とだけ言って山本元帥は再び顔を正面に向けた。


「さあ、反撃の時だ、アブラムシ……」


 山本元帥の言葉を受け、咲も試合の続きを見る。


 一方的な試合を続けていた健太郎の動きが止まっていた。


 歓声に沸いていた客席が静まりかえる。


 それは試合の流れが変わった瞬間だった。

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