Case File No.002-06

 地上の日本と違い、中津日本なかつひのもとには週三日の休みがある。


 土曜日、日曜日、そして、月曜日が休日とされているが、地上と同じで絶対この日に休む必要はない。


 だが、公務員以外の週休三日は罰則を伴う法律によって定められているので、中津日本なかつひのもとに住む者は基本的に週四日しか働かない。


 どうしても働く必要がある時は、来週に休日を繰り越すこともできるが、そんなことは滅多に起こらない。



 それでも何とかなるのは、大量の供物くもつが毎日のように届けられるからである。


 地上の日本における圧倒的なまでの大量消費は、中津日本なかつひのもとを潤し続けているが、それをさばく労働力も足りなければ、消費する消費者の数も足りない。


 そこで最近は、中津日本なかつひのもとを含む霊海のような境界世界を持つ国や世界との貿易も始めている。


 供物くもつは地上のように腐敗することがないので備蓄することも可能だが、その量が膨大すぎて色々な問題が発生しているのだ。


 その最も大きなものが、境界世界を支える霊子イーセロンの容量問題だ。


 境界世界は供物くもつも人も全て霊子イーセロンによって作られているが、その総量は常に一定で変化することはない。


 それは日本の排他的経済水域の約二倍くらいの海と、日本国が領土として保有する島々を再現するには充分すぎるものだが、そこに人とその他の生物を住まわせるには決して充分とは言えない。


 本来は時空保安官と、それを支援する者の居住のみを想定していたのに、いつの間にか人と物が増えすぎて、霊子イーセロンの容量を圧迫し始めたといわけだ。


 これが霊子イーセロンの容量問題と言われるものである。


 それを解消する為に、過剰に重複する供物くもつの情報を他の境界世界や異世界とやりとりしている。


 これらは紛争解決時の賠償としても利用されるが、今回はその備蓄を全部吐き出しても足りないくらいの賠償を要求されたらしい。


 そもそも、相手は咲を手放す気はなく、今後も慰安婦ならぬ慰安女神として利用する気だったようだ。


 そんな生き地獄から逃れたい一心で、咲は主神の息子を殺したのだ。


 騒ぎを大きくして、別件で内偵捜査中だった保安官の目に留まったまではよかったが、咲をこよなく愛していた主神は、謝罪に赴いた木花開耶姫コノハナサクヤヒメに対し、先の要求を突きつけてきた。


 咲からの事情聴取によってその意図を知った木花開耶姫コノハナサクヤヒメは激怒され、会議場に火を放ったというのが事の真相ということだった。


 以上のことを控え室で説明された。


 説明してくれたのは、隊司令の小松中佐だ。


 ルールとかそっちのけでまず今回の経緯いきさつを聞かされたというわけだ。


 確かにそれも大事だが、熊吉が、今、一番、気になっているのはテレビ画面に映る大観衆である。


「で、事情は分かったんですが、この観客の数はどういうことなんですか?」


「ネットとテレビで今回の件を宣伝したら、一晩であっという間に広がり、正規の対決を一目見ようと集まったらしい。勝負の結果を対象とした賭博も、大黒天様が胴元となって公式に行われている。ちなみに、現時点での倍率は相手側1.1倍でおまえが998.9倍だそうだ。よかったな。自分に賭ければ一財産ひとざいさん築けるぞ」


 小松中佐がニヤニヤしながら肩を叩いてくる。


「司令はどちらに賭けたんですか?」


「もちろん、相手側に決まっているだろう。俺は今でもおまえがここにいることは何かの間違いだと思ってる」


「俺もそう思います。ちなみに、賭はまだ受け付けてるんですか?」


「あ、悪い。説明している間に締め切られていたみたいだ」


「まあ、金には困ってないんで別にいいんですけど。何だかなぁ……」


 一言ひとことでは言い尽くせないが、敢えて一言ひとことで言うなら今の熊吉の心境はただただ悲しいになるだろう。


「まあ、なんだ。たとえおまえが負けたとしても相手が彼女を殺すことはないだろう。いずれ取り戻す算段もつくはずだから今回は派手にやられて来い」


「これから戦いに赴く部下にかける言葉じゃないですよ……。ってか、ルールってどうなってるんですか?」


「アリーナ内は厳重な結界が幾重にも施されているのでルールは無用とのことだ。一方が戦闘不能、もしくは敗北を宣言した時点で決着する」


「戦闘不能って死亡も含まれるんですよね?」


「今回の試合は神事しんじの一つと考え、敗者はにえとして扱われるとのことだ。天照大神アマテラスオオミカミ様を筆頭に反対する意見が大勢を占めたが、交渉の結果、相手に押し切られたらしい。まあ、要するに相手側は見せしめとなる生けにえをご所望であらせられるというわけだな」


他人事ひとごとみたいに言わないでくださいよ」


「これを戦場の一騎打ちとすれば敗者が死ぬのは至極しごく当然だ。それとも、おまえは単なるスポーツとでも考えていたのか? 大日本帝国海軍軍人としての矜持きょうじ、よもや忘れたとは言わせんぞ」


 小松中佐が一瞬だけ憲兵時代のそれに戻った。鋭い眼光で射貫かれ、熊吉は身が引き締まる思いで一杯になる。こぶしこそ飛んでこなかったが、いつの間にかくすんでいた精神に光をともすにはそれで充分だった。


「それで、相手はどんなやつなんです? USネイビーよりも歯ごたえのあるやつなんでしょうね?」


「安心しろ。見た目はひ弱そうなガキだったぞ。まあ、見た目どおりってわけじゃない、とは思うが、な」


「それを聞いて安心しました。海兵隊マリンコみたいな肉だるまだったらちょっとやばかったんですがね。そういうのだったら何とかなります」


「そういや、おまえ、去年の忘年会で、研修に来てた沿界警備隊ボーダー・ガードとやらかしてコテンパにされてたもんな」


 と、小松中佐は鹿爪しかつめらしい顔をほころばせ、愉快そうに笑ってみせる。


 熊吉も釣られて笑うと緊張が少しだけほぐれた気がした。


「あの時は酷い目にいました。でも、最後には隣の座敷で飲んでいた菅野かんの中佐達が加勢してくれて、俺がやられた分の仇を取ってくれたんで胸がすっとしました」


「一緒に飲んでおられた加藤中佐も参戦されておられたな。ここで行かねば陸軍出身パイロットの名折れだとおっしゃって、沿界警備隊ボーダー・ガードの肉だるまに飛びかかっておられた。いや、あれは痛快だったなぁ」


 笑う小松中佐の目にいつの間にか涙が浮んでいた。


「死ぬなよ、アブラムシ。死んだら許さんぞ」


 小松中佐は涙を隠すことなく、こぶしで熊吉の胸を軽く叩いた。


「死にませんよ。こんなに部下思いで泣き上戸じょうごの上官がいるんですからね。葬式でひつぎを涙でぬらされないように必ず帰ってきます」


「馬鹿者、おまえの葬式程度で泣くわけがなかろう」


「じゃあ、今、流されているもの何でありましょうか?」


「うるさい。とっと行って終わらせてこい」


 小松中佐が追っ払うように手を振って涙を拭う。


 時計を見ると、試合開始の時刻はもうすぐそこに迫っていた。




 特別観覧席は豪華な造りの個室に用意されていた。闘技場アリーナ全体を見渡す最上階に置かれた硝子張りの部屋には、三柱さんはしらの神と一人の人間がいる。


 神の一人は見目麗みめうるわしい女神だった。


 主神ゼーガよりシェルファという名を与えられているが、元は戦後日本から流出した魂魄を使って生み出された転生者である。


 日本人だった時の名は大花おおはなさき


 転生時に新たな親から授けられた名はヨルネア。


 三つの名と記憶を持つ彼女は、今、手錠と鎖で座席に拘束されている。


 その彼女の右隣に座るのは、彼女を天界へと召し上げ、二度目の純潔を奪った伝令神ヴァルオーンだ。


 狡猾で残忍なヴァルオーンの甘言にだまされ、咲は全ての希望を失った。執拗に体を求められるだけでなく、主神に取り入る道具として差し出したヴァルオーンは天界でも蛇蝎だかつごとく嫌われていた。


 それは人の形をした毒蛇であると、ある英雄神はその腕の中で咲に語った。


 見た目は紳士然として男前だが、中身の下劣さはその英雄神の言葉どおりである。


 今回は主神ゼーガの命により、特命全権大使として咲を取り戻しに来たというこの神こそ、咲に主神の息子であるゼントの殺害をそそのかし、その準備を助けた張本人である。


「それにしても、これほど話がこじれるとは思いませんでした。千を越える我が英雄神の力、その身にしかと刻まれているはずですが、お里に戻った途端とたんに忘れてしまったのでしょうか?」


 ヴァルオーンの指が拘束された咲の太ももを撫でる。


 もう一柱ひとはしら、席に座らず立っていた神が、持っている軍刀のさやでそれを制した。


「おたわむれはご寛恕かんじょいただきたい」


 大日本帝国陸軍の元帥の礼装を着るこの神こそ、日本が誇る最強の武神、建御雷神タケミカヅチノカミである。


 手にする軍刀の名は『布都御魂ふつのみたま』。

 そのこしらえは軍刀に変わっているが、紛れもなく本物の神剣である。


「おっと危ない。抜き放つことなく、全てを断つと言われる神剣『布都御魂ふつのみたま』を向けられたら、さすがの私も肝が冷えてしまいますよ」


其処許そこもとも神のはしくれであろう。此度こたびの一件、神事しんじにせよと申すのならば、場をわきまえていただきたい」


 建御雷神タケミカヅチノカミの物言いは鋭いが、その声音は至って穏やかだった。その顔も優しい笑みをたたえている。その姿やたたずまいの何処どこにも厳しさはない。


 着ている軍服が似合わぬ程に人の良さそうな顔立ちを持つ青年がそんなことを言っても迫力に欠けるように思える。


 しかし、ヴァルオーンもまた神と呼ばれる存在もの一柱ひとはしらである。


 見た目が実力でないことはよく心得ているし、実際、彼の世界の英雄神にも通じるところがあるからだまされることはない。


「これは失敬。さて、そろそろ、試合でございますな。このたび、当方が用意したいたしましたのは、我が世界にて最強を自負する者にございます。数多あまたの神々より加護と恩恵を賜りし者なれば、その力は見た目でははかれません。そちらの用意された方も、御同類と考えてよろしいのですかな?」


 オーロラビジョンに映し出された熊吉の貧相な姿を見て、ヴァルオーンが小馬鹿にするように質問する。


「いや、それがしの方は見た目どおりの者にござる。多少の加護は与えておるが、能力的に見れば全くの人間。其処許そこもとが手配された者と比較すれば見劣りするのは当然至極しごくと言えましょう」


むごい事をなさいますな。それでは骨すら残りませんぞ」


いずれの勝負も最後は気力と時の運。風が吹けばあれでも化けるやもしれません」


「そうであればよろしいですな」


 完全に勝利を確信し、ヴァルオーンが笑みを浮かべる。


 それを見て何か一言ひとこと、言い返してやりたいと思ったのは咲だけではなかったようだ。


「我が国で良く知られることわざに『窮鼠きゅうそ、猫を噛む』という言葉がございます。追い詰められたねずみが猫に噛みつくように、弱い者であっても追い詰められれば強い者に反撃することさえあるというたとえにございます。まあ、あれなるはねずみなどではなく、ただのアブラムシに過ぎませんが」


 冗談めかしてそう言ったのは、咲の左隣に座る一人の初老の紳士だった。


 昔の海軍とよく似た制服を着たその人は膝の上に手を置いていたが、左手の人差指と中指が欠けていた。


 顔はふっくらと穏やかで、髪は白髪。制服さえ着ていなければ、何処どこにでもいる優しいおじいちゃんにしか見えないが、その名前は咲でも良く知っていた。


 元連合艦隊司令長官、山本五十六いそろく元帥。


 現在の時空保安庁長官が特別観覧席に座る唯一の人間だった。


「貴官の言うとおりなら、さしずめ『ゴキブリ、獅子ししを噛む』ではないだろうか?」


 ヴァルオーンの挑発に対し、山本元帥はただ笑って受け流す。


「確かにそのとおりでございますな。しかし、果たしてあれなるを獅子ししと呼ぶべきかどうか。小官にはとても獅子ししには見えません」


「なるほど、獅子ししでは言葉が足りぬと申されるか。これは少しばかり謙遜が過ぎましたかな」


 ヴァルオーンも負けじとやり返す。


「きっと左様さようでございましょうな」


 山本元帥はやや呆れ気味に言って、中央に座る咲に微笑ほほえみかける。


「しかし、万が一ということもございます。小官は博打ばくち打ちですので、今月の小遣いせんを全てあれにつぎ込みました。勝負事は大きく勝ってこそ面白みがあるというもの。たとえ、負けても一時の夢を見られるのならばそれで満足できましょう」


 山本元帥の言葉は、熊吉を信頼しているように咲には聞こえた。


「では、私もその賭けに乗らせていただきます。山田大尉が勝利されたあかつきには私の全てを彼に捧げたいと思います」


 咲はオーロラビジョンの中の熊吉に祈りにも似た熱い視線を送る。


「何を馬鹿なことを……」


 ヴァルオーンが吐き捨てるように言って嘲笑あざわらう。


 咲も山田大尉が勝利する可能性は万に一つもないと思っている。


 でも……。


 それでも……。


 わずかな希望をそこに見出みいだしてしまう。

 ひょっとしたらと考えてしまう。


「頑張ってください……」


 咲は奇跡が起こることを祈り、熊吉の小さな背に希望を託した。

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