Case File No.002-05

 旧軍出身の人間達がこぞって言うことがある。


 平和な時間が長く続くと妙に落ち着かない、と熊吉たち旧軍出身はよく口にする。


 最近になってようやくそれが当たり前に思えてきたが、それでも何処どこかでそれが途切れるのを覚悟し、常に身構えている。


 ここは地上の日本ではない。


 異世界との緩衝地帯であり、紛争の最前線だ。


 中津日本なかつひのもとにいるとそのことを忘れそうになるが、そのたびにそれを思い出させる何かが起きる。


 それはいつも突然に何の前触れもなくやってくるものなのだ。


 たとえば、今この瞬間にもそれは起こるかもしれない。


 だが、起こらない可能性もある。


 なんてことをひたすら考えながらも、その実、ただ部屋でゴロゴロしているだけの熊吉だった。


 中央で買い物をした翌日、熊吉達は狭い部屋で思い思いに過ごしていた。咲は長い空白を取り戻すかのように雑誌を読み、妖精ちゃんは新しく買ったゲームに熱中している。


 熊吉はそんな二人の様子を眺めながら横になって物思いにふけっていたというわけだ。


「平和だねぇ」


 あまりの穏やかさに、熊吉は思わず欠伸あくびをする。


「お眠りになるなら膝枕でもいたしますか?」


 咲が冗談とも本気ともつかない調子で訊く。


「じゃあ、お願いしようかな」


 熊吉は冗談のつもりだったが、咲は読んでいた雑誌を閉じると、熊吉のところまでやってきてその頭を膝の上に載せた。


 枕としては少し高めだが、そんなことなど軽く吹き飛ぶほどの感触と温もりがある。しかも、咲は超美人。


 その膝枕の価値は何物にも代えがたい。


「ゴメン、冗談だと思って……」


 申し訳なく思って起き上がろうとする熊吉を、咲は優しく手で制した。


「これくらいのことならいくらでもしてさしあげます。本当はもっと色々なことをしてさしあげたいのですが妖精ちゃんがいますし、望まれていないご様子なので……」


 最後の咲の言葉は少し寂しげに聞こえるものだった。


「心を読んだんだね?」


「はい。ほんの少しだけ見させていただきました。私の力は妖精ちゃんほど強くありませんが、今、何を考えておられるのかぐらいはわかります」


「スケベなことを考えて無くてよかったよ」


「山田大尉が紳士な方であることは、昨夜の内に確認しています。本当に私を求めるのなら、隣に誰が寝ていようが事に及ぶはずですから……」


 咲の瞳が濃い寂しさを映し出す。


「まるでそういう男達を見てきたような言い方だね?」


「見てきましたよ。私はあちらの世界で普通の町娘として生まれ変わりました。ですが、十四歳の時にたまた街を訪れた貴族に見初みそめられ、執拗に求愛されました。日本での記憶を持っていた私は重度の男性不信に陥っていた為、どうしてもその方の愛に応えることができず、逃げるように神に奇跡を授かって聖女となりました。その後、人々を癒す道に進んだのですが、結局、何処どこへ行っても男の方の好奇の眼差まなざしからは逃れられず、信じていた教皇猊下げいかにも裏切られ、純潔を奪われそうになった為、自害したのです。ところが、それを見ていた神の一人が、私を哀れみ、その魂を天へと召し上げ、女神の座につけたのです。その時はこれでようやく穏やかに暮らしていけると思いました」


「でも、違った?」


「はい。私はまもなく天に召し上げられた本当の理由を知りました。あの世界の天界には、私のように神に召されて神のくらに着いた者が他にもいたのですが、私に与えられた仕事は、そうした英雄神達を慰めることでしかなかったのです。そればかりか、神の候補となる英雄の手助けをする為、地上に遣わされ、聖女に扮して誠心誠意、全身全霊を以て尽くすことを強要されました。そんなことを私は五十年以上も続けてきたのです。私を抱いた男の人の数は数えきれません。私はけがれた女神なんです」


 熊吉を膝の上に乗せたまま咲は大粒の涙を零す。


 降り注ぐその一粒一粒が、咲の歩んできた過酷な運命の重さを教えてくれていていた。


 咲のように、異世界で慰安婦紛いのことをさせられる転生者は少なくない。それどころか、初めから転生者を釣る撒き餌のように利用される魂魄すらある。


 よくある異世界冒険譚ぼうけんたんでは、町娘や姫が一度助けられた程度で恋に落ちるが、あれのほとんどが用意されたサクラか、もしくは洗脳によるものだと言われている。


 中には本当に恋に落ちるケースもあるが、時空保安庁による長年の調査の結果、実に九割を超えるケースでヒロインが意図的に用意されていた。


 それを本物の恋だと勘違いする異世界転生者もある意味、騙されていると言え無くないが、元の世界でモテなかった自分が急にモテるようになったことに何ら疑念を抱かない時点で、未必みひつの故意が成立しているとして閻魔えんま王庁では厳しく取り締まられている。


 サラリーマン、ニート、学生など、数々の元異世界転生者達が、その罪を猶予ゆうよされて地上に戻されている実態がある。


 その犠牲者は女性だけにとどまらず、最近では男性にまで及んでいる。もし、不幸にして異世界転生に至った場合は、努々ゆめゆめ、この事実を忘れてはならない。


けがれているのは君を抱いた男達だ。それに、大切なのは、今、誰の腕の中にあるか、ってことだよ。誰の腕にあったかなんて、大した問題じゃないって俺は思うね」


「二度とも、山田大尉のような方に初めてをさしあげられたらよかったのに……」


 悔しげに言葉を吐き出しながら、顔は健気けなげに笑ってみせる咲に熊吉の胸は締め付けられる。


「何も知らずに朧気おぼろげな記憶と自信を持って日本に戻っていく地上帰還者達に君達の苦しみを思い知らせてやりたいって何時いつも思うよ。でも、彼らも被害者であり、救助対象者なんだよね。たとえ、地上で君達にしたことを夢物語の如く赤裸々せきららに語ったとしても、俺達に彼らを裁く権利はないんだ。ごめんね……」


 最近ではその手の小説が世に溢れかえっているらしい。


 その全てがそうだとは言わないが、かなりの割合で地上帰還者達の手による作品が存在する。


 本人達はフィクションのつもりで書いているのだろうが、異世界での生活が半年以内の短期転生者の場合、時間遡行そこう帰還が許される。


 これにより短期転生者は、出発直後の時間に戻される為、脳内で記憶の整合性が図られ、事実を夢や空想として誤認すると言われている。


「私との情事を夢のように語るのは悔しく思います。ですが、それは完全になかったことにされている山田大尉達のご活躍と比べれば大した事ではありません。隠れた英雄である山田大尉達こそ悔しい思いをしていらっしゃるのではないのでしょうか?」


「まあ、そう思うやつもいるかもしれないね。でも、俺自身はそう思ったことは一度もないよ。地獄で出会った俺の師匠はこうおっしゃったんだ。本物の勲章とは、自らが自らの行いを誇ることによって得られる、目には見えない誇りという名の勲章だけなのだ、と。だから、何を言われようが、忘れ去られようがどうでもいいんだ」


「本物の英雄がおっしゃられることは重みがありますね」


「師匠の言葉は確かにそうだね。でも、ただのアブラムシに過ぎない俺の言葉は薄っぺらいだけだ。だから、最近の帰還者に馬鹿にされるんだろうね」


「そんなことはありませんよ。少なくとも私の心には響きましたから」


「ただのアブラムシにはもったいない言葉だね」


 と、熊吉は咲の膝の上から起き上がる。


「もうよろしいんですか?」


「眠っている場合じゃなさそうだからね」


「どういうことです?」


「ただ、やるべきことを思い出しただけだよ」


 意味が分からず、小首を傾げる咲。


 熊吉は何も説明することなく、近くにあった携帯を取って小松中佐に電話をかける。


「どうした? 問題発生か?」


「司令、お仕事中、申し訳ありません。今、お時間よろしいでしょうか?」


「ああ、大丈夫だ。先程、先日の会議の続きが終わったので、おまえに結果を伝えようとしていたところだ」


「でしたら、先にそちらをうかがってもよろしいですか?」


「わかった。まず、決闘の日時が明日みょうにち一五ヒト・ゴー・〇〇マル・マルに決まった。場所は有闇ありやみ闘技場、凍京とうきょうビッグアリーナの通称で知られるあそこだ」


 凍京とうきょうビッグアリーナは、凍京とうきょう湾の埋め立て地に造られた巨大競技施設だ。


 単純に物理的な強度も高いが、魔法的に補強されているので、神々の使用にも耐えうる設計になっている。


 ただし、神々が全力で競い合うとさすがに耐えられないので、天照大神アマテラスオオミカミのお力で訪れる神の力を抑制する結界が張られている。


 今回のような決闘に使われることもあるが、普段は純粋に競技場として様々な競技に利用される他、多くのイベントも開催され、常に多くの人で賑わっている。


「ビッグアリーナをよく抑えられましたね?」


読捨よみすて新聞が主催するイベントに割り込ませてもらった。読捨よみすてテレビによる全国ネット放映と、読捨よみすて新聞による独占取材を受け入れることを条件に、サプライズイベントとして本来のプログラムに組み込んでくれるとのことだ」


「テレビ中継と新聞取材ですか。また、ずいぶんと大事になりましたね」


「ちなみに、特命全権大使である向こう神は伝令神だということで、映像は魔法で向こうにも中継されるようだ。試合は一対一による決闘方式で、双方、代表を人間の中から一名ずつ指名する。相手が指名した選手は、特命全権大使の護衛として随伴する男で、近々、神への昇格が約束されている英雄だ」


「ちょっと待ってください。人どうしの戦いってことは建御雷神タケミカヅチノカミ様は参加されないってことですよね?」


 相手が誰であるか、ということ以前にまずそのことが問題だと熊吉は思った。無敵の軍神の参加で一気に決着すると思っていたのに、人間どうしと言われると雲行きが怪しくなってくる。


「向こうの軍神は、人から選ばれた英雄神ばかりだ。そのほとんどは転生者で、当然、建御雷神タケミカヅチノカミ様のことを知っている者も多い。さすがに勝負にならないと、出場を打診されても辞退者が続出した為、こういう結果になった」


「つまり、神どうしの戦いだと不利なんで、人間どうしにしてくれっていう泣きを受け入れたってことですか?」


「まあ、そういうことになるな」


「それで、こちら側の代表はもう決まったんですか?」


「誰だと思う?」


「訊くってことは俺の知ってる人間ってことですよね?」


「知ってる人間どころか、おまえ自身だよ、アブラムシ」


「はい?」


 あまりにも衝撃的すぎる小松中佐の発言に熊吉は思わず頭が真っ白になる。


「こちら側の軍神が協議していたのだが、なかなか決まらなかったので、長官に意見を求められたのだ。そしたら、長官がおまえの名前を口にされて、あっという間に決まってしまった。私も同席していたが、異論を挟む隙すらなかったよ。軍神達もおまえのことを知っていたようだが、俺はおまえがそんなに強かったなんて知らなかったぞ」


「いやいやいや、ちょっと待ってください。私はただのアブラムシ。機関科上がりのただの警務官ですよ。本格的な戦闘訓練なんて受けたこともないんですが……」


「そうなのか? 長官がされるから俺はてっきり……いや、俺を騙そうとしてもそうはいかんぞ。とにかく、もう、決まったことだ。明日みょうにち一三ヒト・サン・〇〇マル・マルにそちらに迎えの車が行く。それまで精々せいぜい、英気を養っておけ」


「なんでこんなことに……」


 熊吉は溜息しか出て来ない。


「ところで、俺に用件があったんだろ? 何の用件だったんだ?」


「いえ、ただ、状況を確認して咲ちゃんを安心させたかっただけですから、俺の方の用件はもう済みました」


「そうか。それじゃあ、明日の件、くれぐれも頼むぞ。おまえを推薦された長官の顔に泥を塗るような無様は決してさらすんじゃないぞ」


「善処します……。それでは、また明日……」


「おう、がんばれよ」


「はい……。失礼します……」


 予想外の天界に熊吉は困惑を隠せない。


 その表情を見た先が不安そうに声をかけてくる。


「お顔の色が優れないようですが? 何かありましたか?」


「君を賭けた決闘の相手に俺が選ばれたらしい」


「え? 山田大尉がですか? 大尉はそんなにお強かったのですか?」


 咲の質問に熊吉は黙ってかぶりを振る。


「警務官、全然、弱いよ……。酔っ払いに負けるレベル……」


 妖精ちゃんがゲームをしながらポツリと呟く。


「嘘ですよね?」


 咲が確認する。


「事実だよ。同じ保安官じゃなくて、民間人の酔っ払いに喧嘩を売られて負けたこともある」


「でしたら、今すぐ辞退すべきです! 相手はきっと英雄神候補を連れて来るはずです! 彼らは主神から様々な加護や恩恵を受け、人間離れした能力を保持していますよ!」


「今風に言うならチート転生者ってやつだね。まあ、能力的に言えば俺の勝てる相手じゃないね」


「勝てないどころか、面白半分に殺されかねませんよ。最近の転生者はゲームと現実の区別がつきませんから簡単に人の命を奪ってしまうんです」


「知ってるよ。でも、逃げるってわけにもいかないからね」


「私を相手に差し出してください! そうすれば、それで全てが解決します!」


 咲の言葉に、熊吉は覚悟を決めた。


「よしっ、ちょっとがんばちゃおうかな」


 熊吉は気合いを入れるために自分の頬を両手で叩く。


「どうして……どうしてそこまでするんですか? 死ぬかもしれないんですよ?」


「愛する祖国にあるべき御魂みたまを返す。それが俺達の仕事だからさ」


 熊吉がかっこよく決めると、妖精ちゃんがプッと吹き出して台無しにしてくれた。


 熊吉は無言でプレステのコントローラーを引き抜いてやった。


「うあああっっっ!!!!!」


 いいところだったらしい妖精ちゃんの悲痛の叫びが部屋に大きく木霊こだました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます