Case File No.002-02

 結論から言おう。


 勝手に捜査の引き継ぎをしたら、隊司令である小松秀次ひでつぐ中佐に怒られた。


 憲兵出身の小松中佐は決して頭が硬いわけではない。頑固なところはあるものの、ちゃんと筋を通せば話の通じる人だ。


 でも、いつも甘い顔を見せるわけではない。熊吉にはいつも煮え湯を飲まされているので、条件反射的に怒ることも多いが、今日のそれはいつも以上に激しいかみなりだった。


 おまえには任せられん、と取調を買って出た小松中佐が取調室に入ってから二時間が経過。


 押しつけられた雑務をこなして待っていると、涙ぐんだ小松中佐が鼻水をすすりながら戻ってきた。


 つるっぱげの四十くらいのオッサンが啜り泣く光景はちょっと異様で、司令部事務室にいた全員が好奇の眼差まなざしを向けていた。


「おい、アブラムシ。俺が悪かった。何も言わず、このを護ってやってくれ」


 書類を作っていた熊吉の前で小松中佐が頭を下げる。


 滅多に見られない低姿勢より、その涙の訳が気になった。


「何があったんです?」


「何も訊くな。彼女にもだ」


「俺は別に構いませんが、捜査はどうするんです?」


「捜査は必要ない。今からおまえに休暇をやる。必要なものは全部経費で落としてやるから二十四時間態勢で護衛任務につけ」


「命令ですか?」


「良心に従った要請だ。書類上は留置にしておく。勘の良いおまえならこれでわかるだろう」


「そういうことなら引き受けます」


「お互い裏表彰されるかもしれんがいいんだな?」


 裏表彰とは懲戒処分の隠語である。


「上等ですよ。俺は嫌われ者のアブラムシですからね。どんな汚れ仕事もお手の物です」


「よく言った。それでこそ俺の部下だ」


 憲兵と聞くと、とかく嫌な奴というイメージを抱きがちだが、小松中佐みたいな人間味のある人も確かに存在した。


 かなり少ないが本当にいたのだろう。というより、殆どの憲兵は本心を隠して虚勢を張っていたのかもしれない。涙もろく、義理人情に厚い元憲兵を見ていると、ふとそんな風に思ってしまう熊吉だった。


「じゃ、よくやったってことで、もう上がっていいですよね?」


 熊吉は調子に乗って訊いてみる。


「ダメだ。まだ課業時間内だ。あと、帰るまでに班長から休暇簿を借りて俺のところに持って来いよ」


 咲の手錠を外して、小松中佐は去っていく。


 終業時間までは一時間切っているのに融通の利かないところがいかにも憲兵らしい。


「あの、私はどうすれば……?」


 残された咲が困り顔で訊いてくる。


「あ、もうすぐ仕事終わるから、空いている椅子に適当に座って待ってて」


「わかりました」


 隣の席の椅子が空いていたので、咲はそこに座ると、頼まれた書類を作成する熊吉の姿をじっと見つめていた。


「そんなに見つめられるとやりづらいなぁ。何か気になることでもあるの?」


「いえ、何をされているのかがわからなくて……」


「ああ、なるほどそういうことか」


 七十三年もいた世界には、ノートパソコンなんて存在しなかったのだろう。


 咲の知る日本は荒廃した戦後でしかない。当然、その時代にはノートパソコンなんてなかったから、それで書類を作っているとは思わなかったのだ。


「これはノート型のコンピューターだよ。色んなことが出来る機械なんだけど、今は書類を書いているんだ。ほら、こっちに来て、この画面を見てごらん。文字が一杯ならんでいるからさ」


 熊吉が手招きすると咲は立ち上がって画面を覗きに来た。


「本当ですね。文字が一杯です。でも、知らない漢字があります」


「新しくなったからね。画数が減って書きやすくなったんだけど、今はこれで書くのが主流になったから書くこと自体がなくなって、時々、忘れちゃうんだよね」


「色々変わったんですね」


「七十三年も経てば変わるさ。俺はずっとこの中津日本なかつひのもとにいたから取り残されなかったけど、ずっと異世界にいた君はちょっとした浦島太郎状態なんだろうね」


「なら、最後は玉手箱をあけてお婆ちゃんになっちゃいますね。まあ、私の場合はお婆ちゃんになる前に地獄行きでしょうけど」


 咲は自嘲気味に笑ってみせる。


 神殺しが本当なら重罪だ。


 地獄で受ける罰も相当厳しいものになるだろう。下手すれば百年以上の苦役にさらされた上で、因果を背負ったまま地上への転生となる。


 ただ、それはあくまでも、こちらで刑を執行する場合だ。


 最終的に向こうが納得せず、魂魄の引き渡しを要求された場合、どうなるかはわからない。


 被害者が向こうの主神の息子であれば、魂魄を消滅させるという暴挙に出る可能性もある。


 それは事実上の存在消滅に他ならない。


「上がどんな話し合いで今回の件をおさめるつもりなのかよくわからないけどさ。俺は小松中佐の要請に従って君を護るだけだから」


「私に護られる価値なんてありませんよ」


 それは謙遜ではなく、あきらめの境地なのだろうと熊吉は思った。


「価値を決めるのは自分じゃなくて他人だよ。少なくとも俺は君に価値がないとは思わないね」


「それはあなたが本当の私をご存じないからです。本当の私、けがれきった私の姿を知ったら、きっと軽蔑けいべつされると思います」


「今、ここで違うって言っても信じてもらえそうにないね。だから、この話はもうおしまいにしよう。いいね?」


「わかりました」


 咲は再び隣の席に座って静かに待ち続ける。


 相変わらず、視線を熊吉に向けているので、熊吉は少し仕事がやりづらかった。


 でも、なんとか書類を作り終え、直属上官である第三十六班長の中村和博かずひろ少佐に書類を提出し、代わりに休暇簿をもらって小松中佐に押印してもらいに行く。


「とりあえず三日出しておくが、呼び出すまでは登庁を許可しない。三日を過ぎても連絡がない場合は引き続き休暇と思え。処理はこちらで行うから、おまえは何も考えず護衛に徹しろ。なお、場所の移動は、二時間以内に速やかに帰還できる範囲までとする。その他の制限は特にない。あと、これは今回の経費だ。無駄遣いはせず、領収書はしっかりもらっておけよ」


 と、小松中佐から厚みのある封筒を渡される。


「実弾じゃないですか? 何発入っているんですか?」


「三十発だ。追加補給はないから節約しろ」


「了解。節制に努めます」


 熊吉はお辞儀の敬礼をして、三十万円の入った封筒を懐にしまった。


「あと十五分で終業なんで掃除したら上がっていいですか?」


「十五分しっかり掃除しろよ」


「言われなくてもやりますよ」


 自分の席に戻って掃除を始めると、座っていた咲が手伝ってくれた。


 熊吉が机を片付けている間、リノリウムの床をT字型の自在箒じざいほうきで掃いてもらった。


 咲は何処か懐かしそうに、一生懸命、掃除していく。本当は自分の机のある列だけでよかったのだが、事務所の半分くらいを掃き終わったところで、終業のチャイムが鳴ったので塵取ちりとりでゴミを集めて捨てる。


 咲にはそのまま待ってもらい、中村少佐に一声かけてから、ロッカールームで私服に着替えて咲と一緒に帰った。


 庁舎を出て、門のところまで進み、ふと咲が通常の出門ではないことを思い出す。


 慌てて携帯電話を取りだし、小松中佐に確認する。


“衛門には話を通してある。三特検さんとっけん司令、小松の知人だと言えば問題なく通れるはずだ。もめるようだったら、門番に確認の電話をよこすように言ってやれ”


 手回しというか、そもそも面倒見が良い人なのだ。ガミガミうるさいところもあるけれど悪い人じゃない。


 言われたとおり門番に説明するとあっさり通してくれた。


「今日はもう遅いからこのまま帰るけど、君はどうする? 中央に行けば旅館やホテルもあるからそっちの方がよければ、そっちにするけどお金のこともあるし、何より二十四時間警護って言われているから、できればこのままうちに泊まってもらいたいんだけど、いいかな?」


 船越基地を出て商店街の方に向かって歩きながら熊吉は質問する。


「私は構いませんよ。お邪魔じゃなければよろしくお願いします」


「俺は独り身だから邪魔に思うような人間はいないよ。友人連中がよく泊まりにくるんで布団ふとんはあるんだけど狭いのは我慢してね」


「それは平気です。日本にいた時は、長屋暮らしでしたから」


「なら、決まりだね。夕飯はどうする? 何処どこかで食べていく?」


「買い物が出来る場所はありますか?」


「この先に商店街があるよ」


「でしたら、材料を買って作りましょう。その方が節約になると思いますし」


「君が作るの?」


「はい。私が十三の時に母が亡くなったので、それ以来ずっと家事をこなしてきました。向こうの世界で生まれ変わってからはほとんどしなくなりましたが、料理の仕方はちゃんと覚えていますので御心配には及びません」


 とは言うものの、たぶんその知識は七十三年前で止まっている。ガス焜炉こんろも、電子レンジも、冷蔵庫もない時代だ。包丁とまな板は同じでも、色々と教えることはありそうだった。


「じゃあ、一緒に作ろうか」


 熊吉が提案すると、咲は体の前で両手を振って拒否した。


「男の方を台所にたたせるなんてとんでもない。そんなのは女の恥です」


「今は男が料理するのも珍しくないんだよ。俺も最近はすっかり慣れちまって、今じゃ自炊の方が多いくらいなんだ」


「時代が変わったんですね」


「時代が変わったんだよ」


 時空保安庁の関係者以外で自分と同年代の人間と話す機会は滅多にない。何処どこか懐かしく、しかし、新鮮な気持ちで、熊吉は咲と二人、商店街に向かってゆっくりと歩いて行った。

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