Case File No.002 『穢れた女神と隠れた英雄』

Case File No.002-01

 二〇一九年二月一日、金曜日。


 乗艦中の『いかづち』が臨時修理に入ったことで、警務官である山田熊吉は一端、ふねを降りて原隊である第三警備区特別検査隊に復帰していた。


 第三警備区特別検査隊の司令部は中津横須賀なかつよこすかにある。


 中津日本なかつひのもとには、時空保安庁の関係者の他に、何らかの事情で本来の寿命を全うできなかった人間が、未練を断ち切る為に暮らしている。彼らは生前と同じように暮らし、同じように年を取っていく。


 結婚し、子供をもうけることもできるが、地上のように自然に妊娠することはできず、神へ申請することが義務づけられている。と言っても、二人目までは申請が確実に通る。


 問題は人口が増える三人目だ。これは霊子イーセロンの循環に悪影響を与えるので認められない。


 こんな状態だから、中津日本なかつひのもとの人口はほぼ横ばいの状態が続いている。


 旧軍港や政令指定都市レベルの街は、ほぼそのまま存在するが、それ以外の場所に町並みはおろか集落さえ存在しない。


 中津日本なかつひのもとと地上の日本は大きさこそほぼ同じだが、そこに住む人の多さも街の数も違う。


 ここ中津横須賀なかつよこすかでさえ人口は十万人で地上の四分の一。街並みは昭和五十年代で、現在、中央駅に隣接するモアーズシティは存在しない。その代わりに、さいか屋や丸井がまだ営業を続けている。


 当然、ショパーズプラザ横須賀も米海軍基地もなく、横須賀鎮守府と横須賀海軍工廠こうしょうがそのまま名を変えて、時空保安庁の本庁舎が置かれる中津横須賀なかつよこすか基地と中津横須賀なかつよこすか造修所として利用されている。


 第三警備区特別検査隊司令部は、時空保安庁の本庁舎ではなく、そこから京浜急行の駅で三つほど離れた裏田浦うらたうら宵船越よいのふなこし地区にある第三警備区警備本部の庁舎に置かれている。


 都会的な雰囲気を残す中津横須賀なかつよこすか中央と違ってこの辺は本当に田舎だ。


 地上では東芝ライテックのある場所に、横須賀海軍工廠こうしょう造兵部を引き継いだ中津横須賀なかつよこすか武器製造所があるくらいで、裏田浦うらたうらの駅前にはほとんど何もない。


 中津横須賀なかつよこすか武器製造所近くにはちょっとした商店街があるが、皮肉なことに地上よりもこちらの方が活気を帯びている。


 ちょうど昼になったので、熊吉は宵船越よいのふなこし基地の食堂に行ったが、当然のように金曜カレーのにおいしてきたので、たまには違うものを食べようと思い立ち、門を出て、商店街に向かった。


 目指すは、その一角にある宵船越よいのふなこし製麺の横の食堂である。そこで出される名物の穴子あなご天蕎麦てんそばが無性に食べたい気分だった。


 食券を買って、おばちゃんに渡し、お冷やをもらって席で待っていると、知り合いの警務官が色っぽい金髪美女を連れて入ってきた。


 年齢は上に見ても二十歳を超えない感じだ。色白で、小柄で、華奢きゃしゃで、目はつぶらで、清純そうで、男受けしそうな要素をこれでもかと詰め込んだその女性は、女神であることを主張するような神々しい出で立ちとは裏腹に、手にしっかりと手錠をかけられている。


 手錠から伸びる縄を握るのは、同じ第三警備区特別検査隊に所属する警務官で、内海うつみりょうという男だ。海上保安官上がりの大男で年齢は二十七歳。階級は中尉。今は熊吉と同じ第六警備隊の警備艦『あかつき』に乗艦しているはずだった。


「おう、内海うつみ、久しぶりだな」


 先に気付いた熊吉が声をかける。


「あ、クマさん、お久しぶりです」


 食券も買わずに内海うつみが近づいてくる。


「すごい美人を連れているじゃないか。俺にも紹介してくれよ」


「彼女は大花おおはなさき。これでも一応、日本人です」


 日本人なのに金髪碧眼きんぱつへきがんということで熊吉はすぐ思い当たった。


「完全転生者か?」


「はい。彼女は死後、遊離した魂魄に別の肉体を与えられた完全転生者です」


 異世界転生者は大きく分けて二つに分類される。死亡時と全く同じ姿形を持って転生する再生転生者と、全く異なる姿形を持って転生する完全転生者である。


 前者は召喚者などと呼ばれることもあるが、肉体を伴った世界間移動を時空保安庁では転移としているので、魂魄を移動させた上で複製した肉体に積み替えられる再生転生者とは区別している。


 つい先日、地上の日本に送還した後藤友樹ともきはその再生転生者だったが、今回の大花おおはなさきは完全転生者として完全に生まれ変わった肉体を手に入れたようだ。


「まあ、立ち話もなんだ。飯でも食いながら話そうぜ」


「そうですね。では、食券、買ってきます」


 内海うつみ中尉が大花を引き連れたまま券売機に向かおうとするので熊吉は止めにかかる。


「おい、ちょっと待て。嬢ちゃんはここに置いてけ。あと、俺のおごりだ。好きなもんを食え」


 熊吉は背広の財布から二千円を取り出して内海うつみに差し出す。


「すみません。それじゃあ、しばらくお願いします」


 内海うつみは二千円を受け取ると、熊吉に縄を渡して、食券を買いに行く。


「注文とらなかったけど、いいのか?」


「最後にざる蕎麦そばが食べたいと言ったのは私なので……」


「そっか。じゃあ、手を出して」


「何をするんですか?」


「手錠を外すんだよ。そのままじゃ食べられないでしょ」


「逃げるかもしれませんよ」


「いいよ。逃げても。閻魔えんま王庁には全てを見透す浄玻璃鏡じょうはりのかがみがあるからね。何処どこへ逃げようとすぐに捕まえることはできるし、罪を隠し通すことは絶対にできない。ここは地上とよく似ているけど、犯罪に関してだけは勝手が違うんだよ」


「やはり、厳しいんですね」


 さきは寂しげに笑いながら手を差し出す。


 熊吉は近くにあった爪楊枝つまようじ入れから爪楊枝つまようじを一本取り出すと、鍵穴ではなくその横の手錠が開閉する部分に差し込んで器用に解錠してしまう。


「魔法ですか?」


 さきが訊いてきたので、熊吉はかぶりを振って否定した。


「いや、ちょっとした手品みたいなもんさ」


 と、熊吉は誤魔化し、使った爪楊枝つまようじを口にくわえる。


「あー、クマさん、何やってんすか! そいつ、見た目以上に凶悪なんだから、勝手なことしないでくださいよ!」


 二人分のお冷やを持って来た内海うつみが、外された手錠を見てわめき散らす。


「俺がいるんだから大丈夫だよ」


 手錠を外したと言っても、片方だけだ。反対側はつけたままだし、縄もあるので実際に逃げるのは難しいだろう。


「まあ、とりあえず座れよ」


 熊吉が着席を促すと、さきは何も言わず熊吉の隣に座った。その真向かいに内海うつみが座り、食券を買った残りの釣りを熊吉に渡す。


「縄はどうする?」


「クマさんが持っていてください。注文した品は僕がとってきますから」


 親切心というより、手錠を勝手に外されたことへの当てつけだったのかもしれない。


 面倒なことにならなければいいと思いつつ、紐を腰のベルトに通し、もやい結びで縛っておく。


「で、このは何をしたんだ?」


「異世界で神を殺しました。主神の息子だったので、その世界は大混乱です」


「そりゃ、外交問題じゃねぇか。うちの神様達もさぞ大慌おおあわてだろ」


下手へたすれば戦争でしたからね。出雲いずも議会で協議した結果、木花開耶姫コノハナサクヤヒメ様が謝罪の為、あちらの世界に出向いたのですが、話し合いは物別れに終わり、最後はお怒りになった木花開耶姫コノハナサクヤヒメ様が会議場を燃やして、このさきを連れ帰ることになったようです。僕の乗る『あかつき』は木花開耶姫コノハナサクヤヒメ様の御召艦おめしかんに選ばれただけで騒ぎに巻き込まれることになり、現在、木花開耶姫コノハナサクヤヒメ様と共に当地で拘束を受けています」


 木花開耶姫コノハナサクヤヒメはこの国の神々の中でも屈指の美貌びぼうを持つ女神様だ。


 性格も上品で優しいが、曲がったことが大嫌いな実直さを併せ持ち、怒らせるとなりふり構わず周囲に放火する。


 なお、自身は炎と熱への耐性がある為、核攻撃レベルの光と熱にさられても傷つくことはない。植物を操る力もあり、意外と強いので、拘束を受けているとしてもそれほど深刻に考える必要はないだろう。


 むしろ、巻き込まれて拘束された『あかつき』の乗員の方が心配だ。


「で、このとおまえさんはどうやってここまで逃げてきたんだ?」


「事情を聞いた長官が逃走用の潜水艦を用意してくれたんです。伊号第三六一潜水艦に搭乗した特別警備隊が、電撃的に救助作戦を行い、僕とさきを救出してくれたのです。本来は木花開耶姫コノハナサクヤヒメ様を救出する手筈だったようですが、『あかつき』乗員の無事を確保する為、当地に残るご決断をされました。代わりに、僕が事情説明をかねて同行することになったというわけです」


「で、今、暢気のんき蕎麦そばを食おうとしているってわけだ」


「僕はすぐにでも、留置所にぶち込んでやりたかったんですが、最後に蕎麦そばが食いたいって泣き付かれてしまって……」


 内海うつみ中尉はちょっと非難がましく目の前のさきに視線を向ける。


「苦労してんなぁ、おまえ」


「他人事みたいに聞こえるんですけど」


「いや、他人事だろ」


「冷たいですね」


 何かを期待していたのか、内海うつみ中尉はこれ見よがしに溜息を吐く。


穴子あなご天蕎麦てんそば、上がったよー」


 すっかり顔なじみのおばちゃんが熊吉の方を見ながらカウンターのトレイの上にどんぶりを置く。


「あ、僕、とってきますよ」


 内海うつみ中尉が宣言どおりに取りに行く。


 熊吉は割り箸を割って到着を待つ。


「はい、お待たせしました。穴子あなご天蕎麦てんそばです」


 湯気立ち上るどんぶりの中に乗る大きめの穴子天あなごてんに、早速、かじりつくとサクサクの衣に閉じ込められたフワフワの穴子あなごの旨味が口いっぱいに広がっていった。


 続いて、蕎麦そばをすする。この食堂は、宵船越よいのふなこし製麺という製麺所の直営店だ。腰のある蕎麦そばうまさには定評がある。


「あー、うめぇ。やっぱカレー食わなくて正解だったわ」


 熊吉が食べている間に、二人の分もできたようで内海うつみが持ってくる。内海うつみ海老天丼えびてんどんとかけ蕎麦そばのセットで、さきは普通のざる蕎麦そばだった。


 内海うつみのセットはこの店で一番高いが、気の置けない仲なので、特に思うところはない。


 後輩なのでおごらせることはないが、たまに陸上で一緒に勤務する時に愚痴など聞いてもらってるので、持ちつ持たれつというやつである。


「僕、ここの天丼セット、大好きなんです。穴子もいいですけどやっぱ海老えびですよね。それじゃ、いただきます」


 内海うつみ海老天えびてんにかぶりつき、どんぶりをもって豪快に飯をかき込む。


「いただきます」


 さきは小さな声で言って、蕎麦そばを食べ始める。


「美味しい……」


 何気なく隣を見ると、さきは涙を流していた。

 何度も何度も、美味しい、と呟きながら蕎麦そばの味を噛み締めていた。


蕎麦そばを食うのは久しぶりかい?」


 熊吉が訊くと、さきはコクリとうなずいた。


「七十三年ぶりです」


「なんだ、意外と年寄りだな。今はいくつになるんだ?」


「九十二歳です」


「俺は今年で九十六になる。四つ違いだな」


 熊吉の言葉にさきは驚く。


「南方で死んだ兄と同じです。あなたも軍人さんなのですか?」


「元軍人だよ。今はあの世でもこの世でもないここで保安官をやってる」


「海軍さんですか?」


「ああ、元海軍だ」


「なら、兄と同じですね。最後にご一緒できてよかったです。ありがとうございます」


 さき健気けなげ微笑ほほえんだ。


 戦中戦後の混乱期に行方不明となった魂魄の多くは、その後の捜査によってほぼ回収された。だが、一部は未回収のまま異世界で暮らしている。


 時間が経ちすぎている為、その多くはそのまま死を迎え、向こうの霊的循環に取り込まれてしまった。


 完全に循環に取り込まれた魂魄は、元の世界との繋がりを断たれてしまう。


 繋がりを断たれると、管理権を主張できる根拠が無くなるので、日本人の魂魄であっても取り戻すことは不可能になる。


 その姿といい、何か事情があるようだが、その歳で戻れたのは奇跡と言っても過言ではない。


内海うつみよぉ、このヤマ、俺にゆずっちゃあくれねぇか。悪いようにゃしねぇからよ」


 熊吉はつゆを吸って柔らかくなった穴子天あなごてんを口に放り込む。


「お任せしたい気持ちでいっぱいなんですが、僕にも立場というものがありまして……」


「根回しはしとくからよ」


「隊司令だけでなく、もっと上まで絡んでますけどいいですか?」


「構うもんか。なんたって俺は長官のアブラムシだからな」


 長官のアブラムシという言葉を聞いた内海うつみがはっと気付く。


「そういや、そうでしたね。でも、引き継ぎはしっかり書面でやってくださいよ。それだけはお願いしますよ」


「んなこた分かってるよ」


 色々と面倒にな事になるのはわかっていた。でも、放っては置けなかった。理由は分からない。ただ久々にやりがいのある仕事だと思ったのは確かだった。

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