Case File No.001-02

 この霊海にある唯一の陸地、中津日本なかつひのもとには廃棄された機械や資材、食糧が供物くもつとして届けられる。それらを再利用、あるいは複製することにより、この警備艦『いかづち』を含む時空保安庁は運用されている。


 この霊海に住む者は、霊体と言っても完全に死んでいるわけではなく、霊子イーセロンによって形成された仮の肉体を神々から与えられているので、地上とほぼ同じ生活を送ることができる。


 適用される物理法則もほぼ同じ。ただし、異世界との境界であるが故に、それらを歪める超能力や魔法が存在するのはご愛敬である。


 まあ、だからこそ、竜などという幻想種が追いかけてくるのだが、このまま中津日本なかつひのもとに連れて行けば、近時空間共鳴によって地上の日本に未曾有みぞうの大災害が生じる可能性がある。近年の大震災の中にも、その引き金となった出来事が確かに存在する。


 中津日本なかつひのもとまで逃げ切れば、友樹ともきを地上に送り返すこともできるが、同時に邪龍が自らを犠牲にして近時空間共鳴を引き起こし、壊滅的な被害を地上にもたらす危険性も生じることになる。


 だから、絶対に霊海上で邪龍を仕留めなければならない。


 はっきり言って、昔はこういった事案にかなり手を焼かされた。帝国海軍の防空能力は決して高いものではなかったからだ。防空に特化した秋月あきづき型駆逐艦でさえ、小型の竜を撃ち落とすことはできなかった。


 しかし、時代は流れ、度重たびかさなる改装によって警備艦は強化されている。この『いかづち』もかつての面影はどこにもない。搭載砲は電波探信儀レーダーと連動する最新式の速射砲となり、誘導弾ミサイルも搭載された。


 それに伴って艦橋も大きく様変わりし、廃棄された護衛艦のものを参考に、電子計算機コンピューターを使った最新式の機器が導入されている。


 でも、艦長席に座る人物が巫女みこ姿なのは、別に最新を取り入れたからではない。


 享年きょうねん二十三歳でこちらに来た彼女の名は工藤くどう真雪まゆき


 時空保安官となって既に六年が経過し、順調に出世した真雪まゆきは先月、少佐への昇任と同時に『いかづち』艦長の任を拝命したばかりだ。その華奢きゃしゃ体躯たいくと、二十九歳とは思えぬ童顔から、少女がコスプレして座っているようにしか見えないが、間違いなく警備艦『いかづち』の艦長である。


 子供の頃からピアノをたしなみ、ピアニストを目指して日夜努力を重ね、東京芸術大学音楽学部に通うも挫折ざせつし、普通の職を探すも世は就職氷河期で、冗談のつもりで海上自衛隊の幹部候補生を受験したら見事合格してしまったという訳の分からない経歴の持ち主だとしても、今は艦長さんなのである。


 ちなみに、幹部候補生学校における彼女の成績は最下位。配属先の東京音楽隊に着隊してわずか一週間後、交通事故により死亡。おりからの人材不足もあって勧誘され、音楽隊があると思って入庁するも、配属先は中津日本なかつひのもとにある艦隊司令部。


 いつか音楽隊に戻ることを夢見て、黙々と業務をこなし、暇なので昇任試験勉強にいそしんでいたら、いつの間にか少佐にまで出世。そして、中級指揮官講習をて、最初の現場任務が警備艦『いかづち』の艦長だったというわけである。


 ちなみに、コスプレをしているのは、何も出来ないのならせめてマスコットとして目を楽しませろ、と副長の竹林大尉に言われたことへの当てつけである。


 操艦すらまともにできない艦長を怒鳴り散らす、まさにその瞬間を熊吉は士官室で目撃してしまった。着任後、最初の金曜日だった。昼のカレーを食いながら次第にヒートアップした竹林大尉が声を荒げると、艦長の真雪まゆきちゃんは大好きなカレーを残し、泣きながら艦長室に閉じこもってしまった。


 そして、そのまま入港のクリスマスイブまで部屋から出ることはなかった。


 翌日は訓練出港だったが、艦長席に座る真雪まゆきちゃんの格好はサンタクロースだった。


 以後、日替わりで色々と着ている。ちなみに、正月はしばらく晴れ着だった。気に入ると、定期的に同じ格好になることがある。この巫女みこ姿も今日で三度目になる。


真雪まゆきちゃん、友樹ともき君を連れてきたよ」


 熊吉は気さくに声をかける。彼を含めた帝国海軍組は女の艦長なんて認めてはいない。ほとんどは艦長席に座る女の子としか見ていない。


「あ、警務官さん、ご苦労様です」


 階級が上なのに、嫌な顔をせず、ニコニコしながら真雪まゆきが答える。顔も幼いが、声も幼い。音大時代、秋葉原のメイド喫茶で声優にスカウトされかけたというそのロリボイスはまごう事なき本物だ。


「え? なんで巫女みこさん?」


 熊吉に教わってヘルメットと救命胴衣カポックを身につけた友樹ともきが、熊吉の隣で困惑する。


「あ、この人はこのふねの艦長さんで、工藤真雪まゆきちゃん。こう見えても、少佐だから一応敬意を払ってね」


 熊吉が紹介すると、真雪まゆき友樹ともきに向かって軽く頭を下げてみせる。


「工藤真雪まゆきです。よろしくお願いしますね」


 真雪まゆきちゃんは二十九歳とは思えない可愛らしさだ。でも、残念ながらそれは艦長として必要な要素ではない。


「こらっ! 真雪まゆき! 戦闘中だろうが! 余所見よそみするなっ! 指揮に専念しろっ!」


 艦橋の中央で仁王立におうだちする竹林大尉が怒鳴ると、真雪まゆきちゃんはビクッと体を震わせて前を見た。


「トップ見張り、ターゲットデルタ、視認!」


 艦橋伝令の辻村兵長が電話と呼ばれるヘッドセット越しに、艦橋上部防爆見張り台に立つ見張り員からの報告を叫ぶ。


「おい、艦長、どうするんだ! 判断しろ!」


「念のため、艦外の見張り員さんを艦内に待避……であってます?」


「おどおどするな! 命令は堂々と胸を張って下せ!」


「は、はいっ!」


 真雪まゆきちゃんは既に涙目になっているが、竹林に同情する素振りはない。


「艦橋伝令! 各部、艦外見張り退け!」


 しびれを切らし、竹林が命令を下す。


 艦橋伝令が慌ててヘッドセットで各部の見張りに呼びかける。


「運用長! ウイングも中に入れろ!」


「了解! 両ウイング見張り、退け!」


 運用長の河合かわい隼斗はやと中尉が叫ぶと、艦橋の両サイドに設けられた張り出しの見張り台、通称ウイングから見張り員が待避し、艦内に戻る。


“艦橋、CIC、ターゲットデルタ、まもなく砲戦距離! 交戦の可否を問う!”

 CICで戦闘指揮をる船務長の大谷信吾大尉が艦内通信機のスピーカー越しに交戦許可を求めてくる。


真雪まゆきぃぃっっ!!!」


 竹林大尉が真雪まゆきちゃんをにらむ。


「あ、えーっと……幻想種に対する…コンバットレギュレーション…んーと…あれ……? もうっ、わかんないよっ!!!」


 ついにさじを投げる真雪まゆきちゃん。


 熊吉は一応、艦内序列三位なので助け船を出す。


「タケ、あんま、いじめんなよ! 真雪まゆきちゃん、知的生命体への対処は幻想種も同じだからね。まずは慌てずに呼びかけなくちゃ」


「あ、そうでした。警務官さん、ありがとうございます」


「いえいえ、どういたしまして」


 などとやっている状況ではないので、短気な大谷大尉が切れ気味に再度、許可を求めてきた。


“おい! どうすんだよ! やるのかやらねぇのかどっちなんだよ!”


 船務長の大谷は本当に気が短い。というより、ぶっちゃけ戦闘狂だ。格闘技と狩猟を趣味とし、血を見ることに無上の喜びを覚える危ない奴だ。放って置くと勝手にぶっ放しかねないので、竹林大尉が慌てて艦内通信機に駆け寄り、送話ボタンを押して直接、釘を刺す。


「おい! 大谷ぃ! 早まったことしやがったらてめぇを主砲にぶちこんでぶっ放すからな! 大人しくしとけ!」


“船務長、りょーかいっしやしたぁっ!!!”


 めっちゃキレ気味に大谷大尉が応答するので真雪まゆきちゃんが再び怯えた表情になる。


「マイク、通信士、艦橋、急げ!」


 竹林大尉が苛立たしげに命じると、マイクを握っていた補給長の野口美桜みお中尉が艦内放送で通信士に呼びかけた。


“通信士、艦橋、急げ”


 野口中尉は元アナウンサーだ。


 その美貌もさることながら、滑舌と美声も素晴らしい。ただ性格と男の趣味が悪く、振った男がストーカー化してあっさり刺殺された。


 その後、魂魄を強奪され、異世界に聖女として召喚されるも、ろくに仕事もせずぷらぷらと遊び歩いているところを捜索隊が発見。


 成仏も、入庁も、お断りだというので、本来寿命まで中津日本なかつひのもとで暮らすことになり、しばらくは将官御用達のナイトクラブでホステスをやっていたが、そこに通っていた将官達におだてられていつの間にか入庁してしまったという素晴らしい経歴を持つ。


 警備艦『いかづち』のアイドルを自称しているが、真雪まゆきちゃんの登場で一気にその価値が低下した花も恥じらう乙女の二十六歳である。


「あ、あのぅ、通信士、もういます……」


 艦橋の入り口からちょこんと顔を覗かせるのは、通信士のティル・ウェルム少尉だ。


 ウェルム少尉は流出した日本人と交換で差し出された異世界人だ。


 近世界に多く見られるエルフと呼ばれる耳の長い妖精族の出身で、アイドルを自称する野口中尉こと美桜みおっちさえもかすむほどの美人さんにもかかわらず、激しい人見知りの為、いつも何処どこかに身を潜め、その姿を見ることはほとんどない。


 公式のあだ名は妖精ちゃんだが、美桜みおっちを中心とした一部女子からは、亡霊ちゃんと陰口をたたかれている。


「通信士、いるんならそう言ってくれ。あと、何もしないから艦橋に入ってくれ」


 真雪まゆきちゃんには厳しい竹林大尉だが、妖精ちゃんには何故か甘くなり、叱る声のトーンも下がる。


 士官室以外での食事や当直勤務の免除など多くの特例が認められているのは妖精ちゃんだけだ。まあ、見た目が中学生くらいにしか見えないせいもあるのだろうが、その特別扱いが一部女性の反感を買っていることは否めない。


 そして、それを主導しているのは、竹林に一番叱られる真雪まゆきちゃんではなく美桜みおっちであることに、熊吉は深い闇を感じずにはいられない。


「通信士、入ります……」


 そう言って、妖精ちゃんは熊吉の背中に隠れる。とても可愛い。タケが特別扱いしたくなるわけだと熊吉は独り納得した。


「通信士、悪いが通信魔法で相手に呼びかけてくれ」


 竹林大尉が熊吉の後ろにいる妖精ちゃんに優しく命令する。


「もう、やってます……」


「相手はどんな感じだ?」


「激おこぷんぷん丸です……」


「ん? すまん、よく聞こえなかった。もう一度、頼む」


 聞こえていたのだろうが意味が分からなかったのだろう。竹林大尉は言い聞かせるように優しい声で言ったが、その横で艦内マイクを握る美桜みおっちが軽く舌打ちしたのを熊吉は聞き逃さなかった。


「ドラゴンさん、すっごく怒ってます……。息子二匹と娘と嫁のかたきをとるって言ってます……」


 妖精ちゃんの報告を聞き、竹林大尉は溜息をく。


 真雪まゆきちゃんは艦長席の上で顔面蒼白になっていた。


「こりゃ話し合いができる雰囲気じゃねぇな。妖精ちゃん、コイツを差し出して手打ちにできるか聞いてみてくれ」


 熊吉が友樹ともきの肩を叩きながら後ろに振り返る。


「ちょ、ちょっと! 護ってくれるって約束でしょ!」


 友樹ともきがめっちゃ慌てるので、妖精ちゃんがびっくりして艦橋の入り口まで逃げる。


「そいつの他に生きの良い人間のメスを食わせるなら考えるそうです……」


 艦橋の入り口の向こうから妖精ちゃんが言った。


 次の瞬間、皆の視線が美桜みおっちに集まった。


「え? 私? 冗談じゃないわよ! そんなのはそこにいる小娘にやらせなさいよ! そいつ、精霊召喚の生けにえにされて死んだんでしょ! ってか、あんた達、何、最初からあきらめてんのよ! 男なら戦いなさいよ!」


 妖精ちゃんに対する暴言はともかく最後のは正論だった。ぐうの音も出ないほどの正論だった。でも、納得できなかったのは熊吉だけではない。そこにいる男性全員がこいつなら食わせてもいいんじゃないかって思ったからだ。


「まあ、冗談はさておき、どうするんだ、艦長?」


 嫌みったらしく真雪まゆきの判断を仰ぐ竹林大尉。


 急に判断を仰がれた真雪まゆきちゃんは視線を泳がせ、パニックになりながらも必至に考える。


 それはもう必至に脳細胞を総動員して彼女なりに考えたのだろう。


 で、考えに考え抜いた結論がこれである。


「逃げましょう! 三十六計、逃げるにかずです!」


 真雪まゆきちゃんはいつになく自信たっぷりに言って退ける。


真雪まゆき!」


 竹林大尉に名前を呼ばれ、真雪まゆきちゃんの表情から一瞬で自信が消え去る。


「な、なんですか……?」


「やればできるじゃねぇか! 真雪まゆき! 今の感じを忘れるんじゃないぞ!」


「はいっ!!!」


 竹林大尉に褒められ、真雪まゆきは満面の笑みを浮かべる。


 その光景は、まるで教官と学生のように微笑ましいが、この二人の関係はあくまでも艦長と副長である。


「おい、野郎共! さっさとずらかるぞ! 両舷、前進一杯!」


 竹林大尉がはりきって増速の指示を出す。


 それじゃあ海賊だろうが、と心の中で呟きながら、熊吉はそっと友樹ともきの肩に手を置いた。


「さあ、君の出番だ。はりきって行こうか」


「え? それ、どういう意味ですか?」


「またまたぁ。わかってるくせにぃー。こいつぅー」


 熊吉は最大限にうざさを発揮し、ちょっと血の気が引いた友樹ともきの顔を指でグニグニと押してやる。


「何をさせるつもりなんですか? 僕、学生ですよ?」


 怯えきった表情で友樹ともき後退あとずさる。


「俺もタケも、学生だったよ。もう、七十五年も前のことになるが、君みたいにただの学生だったんだ。でも、俺たちは日本を護る為に戦った。そして、みじめに敗れ去った。原爆を二つも落とされての大敗北だ。何の為に戦ったんだろうって、正直、思ったよ。悔しくて、悔しくてたまらなかった。だから、俺たちはあの日、誓ったんだ。もう二度と後悔することのないように、今度こそ日本を護り抜くってね」


 熊吉は友樹ともきの目を真っ直ぐに見つめる。


「僕は……」


 友樹ともきは視線を逸らし、うつむいた。


友樹ともき君!」


 そう声をかけたのは艦長の真雪まゆきだった。


「私達は同じ祖国を持つ日本人です。違いますか?」


「………………」


「私達はもう戻ることができませんが、あなたは戻ることができる。それがどんなに幸福なことか、あなたはわかっていないようですね。友樹ともき君、いいですか? このふねに乗る君以外の人達はもう二度と大切な人に会うことはできないんです。でも、あなたは会えるでしょ? 正直、うらやましいって思っちゃいます。でもね。君が帰るのを邪魔しようとする人間は私の部下にいません。このふねの乗組員の思いはただ一つです。愛する祖国にあるべき御魂みたまを返す。それだけなんです。私達を信じ、力を貸してください。お願いします」


 真雪まゆきは艦長席から降り、友樹ともきに深々と頭を下げる。


「そんなこと言われても……」


 友樹ともきの手が拳を作る。


「おい、小僧!」


 今度は副長の竹林大尉が友樹ともきに声をかける。


「おまえも日本人なんだろ? だったら、大和魂やまとだましい欠片かけらくらいは持っているはずだ。どうしても帰りたいってんなら引き返してやる。だが、自分でいた種くらいは自分で刈り取れ」


「でも……」


「安心しろ。ケツの青いガキにだけ責任を取らせるほど俺たちはクズじゃない。手伝ってやるから、最後くらいはかっこよくてめぇの冒険譚ぼうけんたんってやつを締めくくってみせろ」


 普段、厳しい顔ばかり見せる竹林大尉がいつになく穏やかな口調で言って友樹ともきの肩を叩く。


「何をすればいいんですか……?」


 友樹ともきが顔を上げる。


「さあな。そいつは俺の戦友ダチに聞いてくれ」


 大竹大尉は熊吉に視線を向ける。


「俺に任せろ。とびっきりの見せ場を作ってやるよ」


 熊吉は子供が悪戯いたずらする時のような笑顔を浮かべた。

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