㉜【軒先の出会いと別れ】

 春は出会いと別れの季節である。

 学校では入学式とか卒業式、社会人になれば入社とか移動、そして退職などなど。

 

 だがそういうイベントごとではない出会いと別れなんかもある。


 それは息子のカタリが小学生だった頃の話。

 捨て子だった彼がわたしの家に養子に来て、三年目のことだった。


   〇


「北乃さん、すごいもの見つけたんです!」


 と、ランドセルの肩紐をギュッと握りしめながらカタリ。

 結構、クールな性格だったから、こんな風に興奮している様子はかなり珍しかった。


 ちなみに今日は土曜日。わたしの会社は昼で終わり。カタリもまた午前の授業だけで帰ってきたところだった。


「何を見つけたんだい?」

「ちょっと一緒に来てください!」


 なにやら楽しそうな事件が起こったらしい。

 となれば、一緒に見に行くに越したことはない。


 わたしはパーカーを羽織り、スニーカーをつっかけ、急いでカタリの後を追いかけた。


   〇


「ここです! すごいんですよ!」


 と、案内されたのは近くにあるマンション。

 一階部分はそっくり駐車場になっている。


 なんだろう? スーパーカーでも止まっているのかな?


 なんて思っていたが、カタリが指さしたのは柱の天井部分だった。ちょうど柱と天井がぶつかるところに、茶色の泥をこんもりと塗り付けたような物体が見えた。


「これは……ツバメの巣だね」

「そうなんです! ボク初めて見ました。なんかヒナもいるみたいなんですよ」


 驚かせないように、そーっと近づいてゆく。

 巣の下には住民の人が用意したのか、木の板が設置されていた。

 たぶんフンで車が汚れないようにするためだろう。


 と、巣からわずかに鳥の鳴き声が聞こえてきた。


「ホントだ! いるみたいだね」

「でしょう! かわいい声だなぁ」 


   〇 


 ヒナの姿は見えなかったが、たしかに鳴き声は聞こえた。

 そして次の瞬間、耳元をフッとかすめて一羽のツバメが、その巣に止まった。


 見事なツバメ!

 優美な長い尾、青みがかった美しい体色、広げた翼の美しさ!

 人の想像を超える、神がかりのような自然の美しさがその小さな体に宿っていた。


(北乃さん……あれ……親鳥ですね)

 カタリが声をひそめて話しかけてくる。


(そうだね、かなり警戒してるみたいだ、離れよう)

 わたしも声を潜め、なるべく音をたてないようにその場から離れた。


「ボク、ツバメを見たの初めてです」

「わたしもこんな間近で見るのは初めてだよ」


「フクロウの時もすごかったですけど、ツバメもすごいですね」

「ああ。なんか感動しちゃうよな」


 それがわたしたちとツバメの一家とのだった。


   〇


 それからわたしとカタリは愛犬『コハク』の散歩コースにこの駐車場を追加した。

 もちろんちょっと遠くから眺めるだけである。


 それでも毎朝見ていると、やがて巣の上から黄色いくちばしが見えるようになった。毎日通っていても、その体がどんどん大きくなっていくのがはっきりと分かった。同時に愛着も日に日に増していった。


 運がいい時は親ツバメがミミズや昆虫なんかを咥えて、ヒナに食事を与えるところなんかも見ることができた。


「今日はラッキーでしたね!」

「ああ。それにしてもあの子たち大きくなってきたよなぁ」


 そう。ツバメの観察はわたしとカタリのひそかな朝の楽しみとなっていった。


   〇


 それにしてもヒナの成長は驚くほど速かった。

 最初は姿も見えなかったのに、三週間もたつ頃にはしっかりと四羽の姿が見えるようになった。


 いつもいつも黄色いくちばしをいっぱいに広げ、親鳥の運ぶエサを今か今かと待ち構えている。

 そのくちばしもずいぶん大きくなって、その頃には親鳥の頭ごと咥えられそうになっていた。


 親鳥は巣に戻ってはご飯を食べさせ、すぐにまた上空へと飛び立っていく。しかも母鳥と父鳥とが交互に交互にエサを運んでは、黄色いくちばしの中に次々に放り込んでいくのである。そのサイクルの早いこと早いこと! 


「なんか親鳥も大変そうですね」

 カタリはどうもそっちの方が気になるらしい。


「でもまぁ、それが親鳥の仕事というか、だからね」

 なんか人間の生活も変わらないんだよな、なんて思いつつそう答える。


「ヒナたち、まだ全然飛び立ちませんね、もうあんなにおっきいのに」

「それはまだ準備ができてないからだよ」


   〇


 そして一か月が過ぎたころだった。

 ちょうどその日は日曜日、その頃にはマンションの管理人さんのおじいさんにも顔も覚えられて、不審がられることもなくなっていた。


 というわけで、退屈そうなコハクを座らせ、ちょっと離れたところから、いつもより長くのんびりと巣の様子を見守っていた。


 ちなみにあれからヒナが一羽減っていたが、ほかの三匹はすっかり大きく成長していた。だがそれでもまだツバメらしくはない。毛がふわふわで、なんだか毛玉のようにずんぐりむっくりとしたシルエットだった。大人のツバメのスラッとしたイメージにはまだまだ届かない。


「それにしても大きくなったなぁ、そろそろ巣立つ頃なんじゃないかな」

 とわたし。管理人さんの話でも、そろそろ飛び立つ時期だということだった。


「そうですね、でもなんか寂しいですね。なんかずっと見てきたから」

 とカタリ。なんだかシンミリしているようだ。


「そうだね。でもさ、わたしはこの別れにワクワクしているんだよ」


「え?」

 すこし驚いたようにカタリが答えた。


   〇


「別れって悲しいものばかりじゃないんだよ……」


 そう言った時だった。


 親ツバメが巣に止まり、そのままクルリと背を向けた。

 そして翼を大きく広げると再び飛び上がった。


 そしてそして!

 巣の中にいた三羽の子供たちが親ツバメの後を追って巣から飛び出したのだ!


「ほらっ!」

「飛んだっ!」


 わたしたちはもたれていたガードレールから、はじかれるように腰を浮かせた。

 

 三話のヒナたちが翼を広げ、不器用な羽ばたきをしながら、それでも懸命に親鳥の後を追って青空へと飛んで行く!


「がんばれ!」

「がんばれ!」


 わたしたちは同じ言葉を叫んだ。


 親鳥がゆっくりと旋回しながら上空で子供たちを待っている。子供たちはパタパタと翼を広げ、空気を搔き、よろめきながらも上空へと上がってゆく。


   〇


「がんばれ!」

「がんばれ!」


「がんばれぇ!」


 最後の声は管理人のおじいさんの声だった。


 その声が届いたかどうかはわからないが、親鳥はさらに高く舞い上がり、子供達もまたはるかな青空の中へと飛び去って行った……


   〇


「はぁぁ、行っちゃいましたね」


 ツバメの姿が見えなくなると、カタリはちょっとガッカリした様子でそう言った。


「無事に飛んで行ったね」


 ちょっと巣箱を見てみる。

 巣箱の中はもちろん空っぽだった。

 今では柱についたただの泥の塊しか見えない。


 でもそれでよかった。

 みんながちゃんと飛び立っていった。


   〇


「カタリ、この別れは悲しかったかい?」


 わたしはカタリに語りかける。


 そう。いつかはカタリもまた飛び立っていく日が来る。

 そんなにすぐじゃないけれど、そういう時がやってくる。


 カタリはちょっとわたしのことを見つめてきた。

 そしてちょっと考える。

 心の中の気持ちをどう伝えたらいいか考えているのだろう。


 やがて答えは出た。


   〇


「やっぱりうれしかったです。がんばれって言った時、みんなが飛んでいくのを見た時、ホントに良かったと思ったんです。お別れなのに変ですけどね」


「わたしも同じ気持ちだったよ。あの子たちの上には広大な青空が広がっているんだ。思いっきり高く飛んでおいで、そんな気持ちになったよ」


 もうツバメの姿は見えない。

 あるのはぽっかりとした、どこまでも続く青空ばかり。


「北乃さん、よくわかりました、別れって悲しいばかりじゃないって。こんなにうれしい気持ちになる別れもあるんですね」


「そういうことさ。でもそれも、出会いがあればこそなんだよね。カタリにもこれからたくさんの出会いが待っているよ」


 と、カタリが涙目でなんかジッとわたしを見つめてくる。


「ボクも……本当にいい出会いが……」


   〇


 なんか湿っぽい話になりそうだった。

 これはまずい。


「ささ、今日は新たな出会いを求めて散歩コースを変えるぞ。な、コハク!」


 タイミングよくコハクも立ち上がりワンと吠える。


「カタリ、なんかハンバーグが食べたくなってきたよ」

「え?」


「つばめといえば『つばめグリル』! かな子にホイル焼きハンバーグをリクエストしよう!」

 

 カタリはまた何かを言いかけたが、あきらめたらしい。

 フッと笑ってくれた。


「ボクもハンバーグ食べたくなりました!」


 うん。湿っぽい話なんていらない。

 こんな感じでいいのだ、ウチは。




 おしまい

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