㉕【終点】

 その日の僕は土曜出勤の日だった。

 ただし勤務は午前中だけ。

 溜まっていた書類仕事をのんびりと片付け、正午ぴったりにタイムカードを押して会社を出てきた。


 季節は春の入り口の四月の初旬。

 長く続いていた雨の日も終わり、今日は抜けるような青空が広がっていた。


   ○


「さて、午後からはどうしようか?」


 僕は雲一つない青空に向かって聞いてみる。

 妻のかな子は今日は仕事だ。

 息子のカタリは部活で学校に行っている。


「たまには弁当でも買ってのんびりしますか」


 これももちろん独り言。

 弁当か。そう考えると、久しぶりにシュウマイ弁当が食べたくなってきた。

 あれなら駅のあちこちで買える。


 弁当を買って、後は家でのんびりと昼寝でもしよう。

 眠たくならなかったら録画しておいた映画でも見ることにしよう。


    ○


 そんなことを考えながら家路につく。

 忘れないうちにプラットフォームにある店でシュウマイ弁当も買っておく。

 財布的にはちょっと高いんだけれど、まぁたまには贅沢もいいだろう。


 それから電車に乗る。

 土曜日だけあって今日はガラガラ。

 僕は一番端の席に座り、カバンを膝に乗せ、その上に弁当の包みを乗せる。


 窓からは暖かな陽光が差し込み、背中がぽかぽかと暖かい。

 加えてガタンゴトンとレールを踏みしめる単調な振動と音。


 僕はいつの間にか眠ってしまった。


    ○


 気付いたのは人の気配で。

 周りの人たちがみんな降りていく。

 そして車内に残ったのは僕一人。


 ぼーっとしていた頭もハッキリと目を覚ます。

 やばい。ここは終点だ。

 どうやら寝過ごしてしまったようだ。


 とりあえず慌てて降りて改札方向へ。

 電車の先頭がバリケードみたいなものの前で止まっている。

 そこでレールは止まり、その先にはレールがない。


 ここがこの電車の終点、つまりゴールなのだと、なんだか改めて感じた。


   ○


 僕にとっては初めて降りる駅だった。

 電車の案内図なんかでこの駅の名前は知っていたけれど、知っているのはそれだけだ。


 ちょっとした冒険みたいだな、と思った。

 寝過ごさなければ、たぶん一生訪れないだろうと思った。


 時刻表を見ると、次の電車は二十分後にこの駅を出発する。

 つまり始発として、新たなスタートにつくということ。


 終点と始点が同じ場所というのは、改めて気付いてみると面白い気がする。

 そのベクトルは真逆でも、スタートとゴールは同じ地点を起点にしているのだ。


   ○


 が、そんな思索はどうあれ、僕は改札を抜けた。

 この街がどんなところか、ちょっと見ていくのも悪くない。


 が……まぁ何にもなかった。

 町工場みたいなところが点在し、アパートと一軒家がまばらに立っている。


 デパートもショッピングセンターもスーパーマーケットも商店街もない。

 ついでいうとコンビニもなかった。


 あるのは誰もいない古びたコインランドリーと、シャッターのしまったスナックと酒屋くらいのものだった。


   ○


「なんとも寂しいところだなぁ」


 僕はあてもなく駅前の道を歩き出す。

 線路をまたぐ歩道橋があったので登ってみる。

 

 高いところから見てもやっぱり何もなかった。

 二階建てのアパートと町工場が見えるだけ。


 歩道橋を渡ったところに公園があるのが分かった。

 がらんとした寂しい感じの公園だったけれど、ベンチがあるのも見えた。


 大きなポプラの木が立っていて、緑の葉っぱを春風にザワザワと揺らしていた。


 僕は公園に行ってみることにした。


   〇 


 公園についてみると、立派な桜の木があった。

 

 幹も太く、枝ぶりも立派、そしてどっさりとピンク色の花をつけていた。

 しかもタイミングよく、ちょうど満開だった。


「うわぁ、キレイだ……」


 思わず呟きが漏れた。

 

 ちょうど一陣の風が吹き、僕は一瞬、風とともに桜の花びらに包まれた。

 まさか今日のこのタイミングでお花見ができるとは思っていなかった。


 しかも花見には絶好のタイミングなのに、公園には誰一人いなかった。


 僕は特等席のベンチに座り、お花見を楽しむことに決めた。


   ○


 まぁお酒は持っていなかったけど、僕にはとっておきのシュウマイ弁当があった。

 

 袋から取り出し、結んであった紐をほどくと、ふわりと経木のいい香りが漂う。


 これだよ、これ。

 プラスチックとか発泡スチロールの包装とは違う、なんか懐かしさを感じる香り。


 ここからテンションが上がる。

 そんな弁当は他にない。


 蓋を開くときれいに揃えられたおなじみのメンバーたち。


 シュウマイと卵焼き、カマボコにから揚げ、マグロを煮たやつとタケノコ。

 それとアンズ。


 昔からあって、昔からずっとおいしいシュウマイ弁当!

 もうお花見にこそふさわしいと思った。


   ○


 それからちょっと頭上に広がった桜の木を見上げる。

 薄ピンク色の花びらが本当にきれいだ。その隙間から見える青空とのコントラストがまた美しい。


 こんな綺麗な自然の下で食べるのだから、お弁当だってさらに美味しくなるのね当然だ。


 と……


「ナー……」


 猫が一匹こっちにやってきた。

 茶トラの、ちょっと目つきが厳しい感じの猫。

 

 が、どうも肝が据わっているらしく、そのまま私の足元にやってくるとフワリとベンチに乗った。


 ちょっと目が合う。

 向こうもジッと僕を見ている。


 どうやら人に対しての警戒心はあまりないみたいだ。

 なんだか近寄ってきてくれたのが、無性にうれしい。


   ○


「僕の花見に付き合ってくれるのかい?」


 そんな言葉をかけながら、カマボコを引っ張り出して千切る。

 もちろんこれはネコちゃんのぶんだ。


「ナー」


 ネコは一声短く鳴き、目の前に落とされたカマボコを食べにくそうにワシワシと食べ始めた。


 それを見届けてから、僕もシュウマイに辛子と醤油をつけ、一口パクリ。

 辛子のツーンとした辛味とともにシュウマイの懐かしい味が口いっぱいに広がる。

 これこれ、この味。


 俵型の、少し硬いご飯を剥がすようにして口の中へ。

 うんうん。懐かしいけど、いつもおいしい。


 ゆっくりと味わいながら、そして時折桜の花びらを見上げる。


   ○


「ナー、」


 短いけれど、ハッキリと催促するような鳴き声。

 今できたばかりの友人はベンチの上、僕の足に片足をかけて僕を見つめている。


「そうだなぁ……これはどうかな?」


 から揚げの衣を剥がし、肉の部分だけを献上する。


 その猫は我が意を得たりというように短く尻尾を振るとガツガツと噛み始めた。


   ○


 僕はと言えばから揚げの衣を食べつつ、またシウマイを食べ、タケノコの甘辛煮を合間合間に食べる。

 この弁当、とにかく色々と順番を考えて食べるのが楽しいのだ。


 旨みタップリのシュウマイ、香ばしいから揚げ、ちょっと濃い味付けのタケノコ、紅ショウガや小梅もある。

 とにかくいろんな味覚がたっぷり詰まってて、そのどれもがたまらなく美味しいのだ!


「そういえば卵焼きがまだだったね」


 ネコにもおすそ分け。

 僕にの分には醤油をかけてるけど、ネコにはなし。

 それでもネコも美味しそうに食べている。


 たった一人の花見と思っていたのだが、思いがけないお客さんに二人で楽しい時間を過ごす。


   ○


 なんてことをしているうちにお弁当は空になり、僕は最後のアンズを食べる。

 甘酸っぱさが広がる。

 お弁当にデザートなんてちょっと贅沢な気分。


 そしてお弁当を食べおわったら、ネコはその場で丸くなった。

 寝てるわけではないけれど、どうやらもうちょっと僕と一緒にいてくれるつもりらしい。


 僕は弁当を型付け、また包み紙をかけて紐を縛りなおす。


「美味しかったねぇ」


 ネコに語り掛けたが、ネコはピクリと耳を動かしただけ。

 でも、少なくとも僕の声は届いているらしい。

 

   ○


 再び、桜の木を見上げる。

 本当に立派な木だ。


 樹齢のことは良く分からないけど、これだけの大きな木だ。

 きっと長い年月を過ごしてきたに違いない。


 そして多くの人々に観られて、多くの人々を見守って、この地でずっと生きてきたに違いない。


 日本で四月というのが、年の境目になっているのはきっとこの桜のせいだろう。

 それほどまでにありふれていて、昔から変わらなくて、それでいて開花のたびにいつも感動させてくれる。


「なんかこのお弁当と似ている気がするね」


 そうつぶやくと、またネコがピクリと耳を動かした。

 めんどくさいけど、ちゃんと聞いているよ、そんな調子で。


   ○


 そして僕はネコに語り掛ける。


「僕はね、桜が咲いているのを見るたびにいつもこう思うんだ『また、新しい何かが始まるんだ!』ってね」


 もちろんネコはなにも答えてくれない。

 彼は多分聞き上手なのだ。


「でも今気が付いたんだよね。何かが始まるってことは、何かが終わった、ゴールしていた、そういう事なんだよ」


 ネコは何も言わず、鳴かず、僕の言葉を待っている。


「それはハッキリと感じ取れるものではないけど、何かが終わって、また新しい何かが始まっているってコトなんだよ」


 桜の木を見上げると、花びらの隙間からまぶしいくらいに鮮やかな葉っぱが生えているのがちらほらと見えた。


「僕は毎年のようにそれを繰り返していたんだよ。桜の花が咲くたびにね」


 僕は駅の光景を思いだす。

 終着駅だけにあるあのバリケード。先の途切れている二本のレール。


   ○


 僕たちは自覚しようとしまいとも、何度も何度もゴールをくぐりぬけているのだ。


 だからこそ、いつだってまた新しいことが始まったと、嬉しい気持ちになれるのだ。


 ゴールとスタートはいつだって同じところ。


 そうか、分かった。


 僕はようやく心の中に渦巻いていたモヤモヤが言葉になって現れるのが分かった。


 それをこのネコだけに話して聞かせようと思う。





「桜の花びらと同じように、僕たちは何度でも散り、何度でも咲くんだよ」


  

 終わり

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