第81話
エルの能力が判明してから、三日が経った。このことはレイラ達にも伝えて、周知の事実となったのだが、それ以来人間エルの人気──主に女子陣からの──が想像以上なのだが。俺も経験したから否定はしないが、エルのほっぺがずっとスリスリされている案件が起きて、夜になるとチビドラゴンエルが俺の布団に入りこんで丸くなる始末だ。
「にしてもエル、人気になったものだな」
現在夜なのだが、レイラ達とは部屋割りを別にしてもらった俺は、俺の頭の横で今日も今日とてぐったりしているエルに話しかける。
すると、エルが唐突に膨れる。最近は宙返りなしでも姿を変えるようになった。あの宙返りの意味は分からないのだが、どうやらあれをした方が時短になるらしい。それもそのはずで、いつもなら一秒でなっている人間の姿に、五秒ほどかけて今はなっている。
「ほっぺが痛い……」
擦られすぎなのかは分からないが、明かりのついてる今だからこそ分かるが、エルの頬は赤くなっている。エルの今の感情は呆れや疲れといったものが支配しているから、羞恥や怒りではないことは明確だ。
「お疲れ様。俺からもあまりやり過ぎないように言っておくよ」
「ありがと……」
苦笑いしながら言う俺にエルが礼を言った瞬間、部屋の入口が叩かれた。エルがビクッと震えて布団に潜る。どうやら、若干トラウマになりかけているようだ。
「誰だ?」
寝転んだまま聞くと、
「ジュンだ。久しぶりに話でもしないか?」
「おう、入っていいぞ、開いてるから」
ジュンだと聞いて安心したのか、エルが人間のままで布団から顔を出す。扉が開いて、まだ風呂に入っていないらしいジュンが、コートを着たまま入ってくる。
「室内でくらいコート脱いだらどうなんだよ……」
「着てた方が落ち着くんだよ」
「それで、何の用だ?」
上半身を起こし、右手をベッドに付いて体を支えながら聞くと、
「いや、俺実は、少しやってみたいことがあるんだよ」
「やってみたいこと?」
こうやってジュンが自ら自己主張するのは、かなり珍しい。いつもは周りの流れに合わせた行動しかしないものだから。
「ああ……お前は、ミフィアの尻尾、触ったことあるか?」
「……確か、なかった気がする」
「触ってみたいとは?」
「……言われてみれば、触ってみたいかも。すっげーもふもふそうだし」
「だろ?」
「もしかして、お前のやりたいことって……ミフィアの尻尾を触ってみたい、ってことか?」
「そういうことだ」
その頬に僅かに笑みを浮かべて、頷く。俺の想像の斜め上を行ったものだ。俺の予想では、もっとこう、真剣なものかと思っていたのだ。なのに、尻尾をモフりたいなんて、なんともこう、甘い望みだったものだから驚いてしまった。
「理由はあるのか?」
「それといったものはないな。単に気になっただけだ……強いて言うならば、日本では狐の尻尾を触れる機会なんか滅多にないからな。野生だとエキノコックスとか病原菌とかあるし、動物園には行くことも出来なかったしな。だから、触ってみたいんだ」
エキノコックスが何かは知らないが、どうやら出会った時と比べて、人生を楽しもうとしているらしい。
「随分と積極的になったな」
「ああ。あいつに救われた命を、無駄にするわけにはいかないからな……もっとも、一度死んだわけだが」
「え、死んだのか?」
「ああ。転生者はみんな一度は死んでるぞ。死んだ人の一部がここに送られてきてるからな」
「そ、そうだったのか……」
“転生者”の新たな事実だった。
「まあ、人生を楽しもうとするのはいいと思う。でも、方法はどうするんだ? 普通に頼んでもいいけど、やっぱり何か建前があった方が安全だろ?」
「あるだろ、建前なら」
一体どこに……と疑問に思った矢先、ジュンが俺の後ろに顎を向けるので、その建前の正体に気付く。
「なるほど、エルか。確かにこいつ、いつもレイラ達に遊ばれて、最近お疲れ気味だからな。……じゃあなんだ、エルにレイラ達になんでもしろとか言わせて、そこに俺らも乱入するっていうのか?」
「ちょっと語弊はあるが、大方そういう事だ」
「ふむ……エルはどう思う?」
「エルも、ミフィアの尻尾はもふもふしたい。ドラゴンの状態だとまともに出来ないから、この姿で。最近エルで遊びすぎだから、その仕返しもできるなら、勿論賛成だ」
布団を被ったまま、エルが顔の横でグッジョブサインを送る。
「それで、どうするんだ、レンは?」
いたずら小僧のような笑みを浮かべたジュンに言われ、エル自身の許可も得た。準備は完全に整っている。ここまで来て──
「引き下がるわけないだろ。ここに、“尻尾モフり隊”結成だ」
俺が右手を突き出すと、ジュン、エルと続いて手を重ねてきた。気配は感じていないから、このことに気付いている人間はいないだろう。
♢
翌朝、作戦の決行だ。作戦といっても簡単なもので、俺とジュンは特に何もせず、人間姿のエルがリビングのテーブルに座って食べるお菓子を用意しただけだ。
「今のところは大丈夫だな」
「ああ」
俺とジュンが今いる場所は、俺の部屋がある側の廊下だ。自由にこっちにレイラ達が来れないように、廊下まで変えてもらったのが、ここで役に立つとは。
現状、エルが美味しそうにクッキーを食べており、そこにレイラ達が現れるのを待ち、エルがレイラ達に何でもすると言わせたところでリビングに入る、という流れだ。俺らはお互いのコートに付与されている“
すると、そこに俺らのいる廊下とは別の入り口から、レイラ達が姿を見せた。俺らには気付いていないらしい。
「あ、エル。今日もやっていい?」
レイラが一番に切り出した。姿を見せたのは、同じ部屋で寝ているレイラとミフィアだ。ミナはいないようだが、部屋にいるらしい。
「やっ‼︎」
そして、手に持って食べようとしていたクッキーを口から離し、エルが勢いよく言った。ここまでは作戦通り。
「な、なんで……?」
レイラが残念そうに尋ねる。
「ほっぺ痛いから。いつもエルばっかりこんな思いしてるんだから、そっちも何かしてよ‼︎」
ナイスだエル。
「な、なにか、かぁ……そうだよね、いつも私達ばっかりいい思いしてるんだから、エルになにかお返ししないとね」
「ん、同感」
よし、これでレイラとミフィアから何かをしてもらうという建前の前準備は完了だ。
「分かった。じゃあ、私達に出来ること、なんでも一つするよ。ミフィアも、それでいい?」
「ん、いい」
完全なる建前完成だ。
そして、そこで俺らは一度部屋に戻り、“
「おはよ、どうかしたのか?」
俺が先にリビングに戻り、話しかける。ミフィアは恐らく第六感を使っていないはずなので、俺らの工作はバレていないはずだ。
「いやね、エルがぷにぷにされるのが嫌って言うから、何かなんでも一つだけ言うこと聞いて、許してもらおうかなぁって」
「へえ、なんでもねえ。エル、何かあるのか?」
そこで、ジュンがリビングへと入ってくる。
「ジュン、おはよ」
「ああ」
レイラの挨拶に短く答え、エルの回答を待つ。
「んー、じゃあ、ミフィアの尻尾モフモフしたい。エルとレンとジュンで!」
「う、尻尾……」
ミフィアが自分の尻尾を抱えて、少し後ずさる。
「……レンとジュンは関係なくない?」
「なんでも一つだから、エル一人に対してなんでも一つってわけじゃないから。だから、せっかくだから三人で」
「……私は何されるんだろ」
レイラが少し怯え出した。レイラに関してはエルの自由にさせているから、まあ変なことをされることはないだろう。
「そういや、エミはまだ起きてないのか?」
「うん。まだ寝てるよ」
「そっか」
俺の疑問にレイラが答える。そして、ミフィアへと視線を向けると、
「……あまり、強くしないで」
尻尾をこっちに向けて、準備が整っていたようだ。
そういえば、ミフィアの尻尾をしっかり見たことは今までなかったかもしれない。腰の辺りから生えており、付け根は濃い銀色で、先に行くほど白くなっている。その毛並みは艶やかで、大きさはミフィアの上半身と大差ない。戦闘では邪魔になりそうだな、とは思うが、いつもそんな雰囲気もなかったせいで、あまり気にしていなかったのだろう。
俺がそんな感想を抱いていると、エルが真っ先に飛びついた。
「ふぁ〜……柔らか〜」
顔から突っ込むように抱きついた瞬間、ミフィアがビクッと震える。その後も、エルが両手でモフモフと触ったり揉んだりするたびに、震えたりピクッと跳ねたりする。
「俺も触っていいんだよな?」
ジュンが、自らこの作戦を立てたにも関わらず、ミフィアに聞いてから手を伸ばす。
「おぉ……家で飼ってた猫とは、また別の柔らかさ……」
両手で確かめるように触った後、軽く頰を当てる。その瞬間、今までで一番幸せそうな顔をする。こんなジュン、初めて見たぞ。
ミフィアの顔は、理由は不明だが耳まで赤くなり、唇を噛んで声を抑えているようにも思える。
その時、俺の肩が何者かに突かれる。
「ねぇ、レン……なんかあれ、やばくない?」
「やばいって、何が」
「ミフィア、凄い顔赤いよ。もしかして、尻尾って何か触ったらダメな理由とかあるんじゃない?」
触ったらダメな理由? そんなもの、あるのだろうか。
ジュンとエルは、既に三分近く幸せそうに尻尾をモフっている。
「例えば、尻尾が性感帯、とか」
「……そっち系?」
「……ありえるんじゃない?」
性感帯の説明はしにくいが、まあ言ってしまえば触るとビクッと反応してしまうような場所のことだ。
「そんな知識どこで……」
「まあ、本とか……」
どうやらレイラは、そっち系の本を読んでいるらしい。
まあ、それはともあれ、ミフィアの反応から見ても、確率はゼロではなさそうだ。
「よし、二人とも、そこまでにしておいてやれ。ミフィアがなんか色々とやばそうだ」
俺が言うと、状況を察したのだろうジュンは素直に、「分かった」と言って離れた。が、エルは既に虜になっているのか、俺の言葉が入ってきていないらしく、モフモフし続けている。
「エル、終わりだ。また今度触らせてもらえ」
肩を掴んで離させると、ぷぅと頰を膨らませてはいるものの、親の命令として受け取ったのか、再び飛び込むことはなかった。
「ミフィア、大丈夫か?」
「……ん、だいじょぶ」
風邪でも引いているんじゃないかと思うくらい顔は赤く、息も荒い。
ささっと水を入れて手渡し、落ち着かせる。
この様子だと、レイラの予想は強ち間違いじゃないかもしれないな。俺もモフりたかったが、やめておこう。
……モフりたかったな。
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