第78話
「ぐ……っ」
霧が周囲を包み込み、オロチが低い唸り声をあげた。
「《トランスパレントロード》!」
そして、即座にヴィレルの声も響く。エルの背中から一歩踏み出すと、確かな硬さが俺のブーツの裏に触れる。
その見えない道をまっすぐに進み、オロチへと近付く。オロチも、動きは鈍いが動かないわけではなく、ゆっくりとこちらに体の向きを移動させている。髪のヤマタノオロチは、少しずつだが小さくなっている。
「オロチ、ここまでだ」
「この、雑魚の……分際があぁぁ……っ!」
そして、急激に髪が元に戻り──短いままではあるが──、低温の霧の中のはずなのに、霧がない時と変わらない速さで殴り掛かってきた。咄嗟に剣を盾にするが、防げるかは分からない。
その時、俺の顔の両脇を風刃が通り過ぎた。瞬間、オロチの両肩から血が噴き出し、滝の底へと落ちていった。
オロチは状況を理解していないようだが、俺は今の攻撃がヴィレルのものであることは分かっている。
「“フリーズロック”!」
再びヴィレルの声が響き、オロチの首から下が氷像へと変わる。
「ヴィレルゥ……!」
オロチが顔を盛大に顰めて、ウルフもかくやと思わせる声で唸る。
今のオロチの攻撃で理解したが、彼は身体のどこかに蛇の部分があれば爬虫類、なければ哺乳類になるという仕組みをしているらしい。
「……最後に言いたいことはあるか?」
腕を失っている今では、そう簡単にヴィレルの作り出した氷を砕くことは出来ない。それを見越して、オロチに尋ねる。
「……お前らは何故、魔族や魔物を殺す」
「それは……お前らが人間の領土を奪ったからじゃないのか?」
少なくとも、俺らは学園でそう習った。魔王軍が人間の領土を奪い去ったから、それを取り返すために人間は魔王軍と戦い、勝たなければならない──と。
「クズどもが……全て、人間が悪いんだ。俺たちだって生きている。なんで、お前らみたいな存在価値の皆無な傲慢な奴らに殺されて、収入源にならなきゃなんねーんだ。ふざけるんじゃねえ!」
オロチの言葉は、俺の今までの固定概念とは真逆のことだった。そして、到底信じられるものでもなかった。オロチの言葉を信じたら、この戦いの元凶は人間である──そう認めるのと同意だったから。
「それは、お前らが人間の領土を奪ったからだろ。俺たちは正当な理由で戦っている!」
「んなわけないだろうが。人間なんてなぁ、所詮は自分たちの幸福しか考えれねぇ、能無ししかいねえんだよ! 今までまともな人間なんざ、一人しかいなかった!」
まともな人間、それはつまるところ、人間が元凶と認め、共存を図った。もしくは、人間の敵になったということだろうか。
「お前の父親だけは、魔王軍のことも見てくれた。あの男だけは、まともな人間だった」
……俺の父さんが、魔王軍にとって、まともな人間? それってつまり、父さんは人間の敵だった……?
「ま、まて。父さんは魔物も魔族も倒していたはずだ。それに、お前さっき俺の父さんのことを雑魚呼ばわりして……」
「……あれはお前の理性を飛ばすための誘発だ」
頭の中を整理しようとした俺の隣に、ヴィレルがホバリングをした。そして、オロチへと話しかける。
「オロチ、妾はリューゼと二十年ほど共に過ごした。たしかに、あやつは魔王軍と人間の共存を願っておった。つまり、妾と同じ中立の立場じゃ」
中立。確かに、共存を目的にする場合、その表現は一番理に適っているだろう。
「じゃが、お主らはリューゼを殺したんじゃ。唯一の架け橋を、自ら断ったのじゃ」
「それは……」
そうなるのだろう。なんせ、父さんの死因はただの病気や怪我ではなく、魔王が起こしたであろう“魔王のいたずら”なのだから。
「まともな人間を自ら殺した。それなのにまだ人間を悪い者呼ばわりするのは、間違っておろう。お互いに共存の道を断ったのじゃから、どちらかが滅ぶまで戦うのが道理じゃ。そして、お前はその戦いで負けたのじゃ」
オロチが小さく呻く。そして、
「……殺せ。俺は敗北者だ。生きる価値もない」
自ら死を願った。ヴィレルの言っていることも分からなくはないが、俺はさっきまでのオロチの話のせいか、この魔族を殺すのに抵抗があった。
「殺してやってくれ、レン坊。どのみち殺らねばならん相手じゃ」
剣を持つ両手に、力が入る。ここでオロチを逃せば、災厄ヤマタノオロチはこれからも続き、多くの人が死ぬだろう。しかし、ここで殺せば魔王軍との和解の可能性は低くなる。オロチの話を信じるならば、和解は可能なのだから。
「早くやれよ、意気地無しが……」
「……人間を二度と傷つけないと、約束できるか?」
無意識に、そんな言葉が出ていた。オロチとヴィレルが目を見開く。共に驚愕の表情だろう。
「……無理だな。俺は魔王軍だ」
「そうか……」
そして、黒剣を真横に持ち上げる。黄色く光り出したところで、オロチの首元に当たるように、角度を調節する。
「これで終わりだ」
抵抗を無くすため、そう呟く。今まで俺は、魔物や魔獣との戦いは生きるためと収入のためだった。しかし、魔物や魔族にだって家族も友達もいるだろう。それに、魔王軍の領地は人間に比べて格段に少ない。その小さな閉鎖的な空間ならば、友達の数も俺らとは比較にならないだろう。
そして、俺は剣を少し後ろに引いて、振り始めた。
「お前らは、消えるべき存在だ」
オロチの呟きが聞こえた瞬間には、既に彼の首は体から分離し、ヴィレルが魔力を霧散させたことにより、氷解した体と共に、滝壺へと姿を消した。
「……死体の回収をしてくる。お主は仲間の元に行っておれ」
「分かった」
心に渦巻く罪悪感は、俺の冒険者としての自覚を蝕み始めた。
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