第175幕 人の記憶を書き換える者

 それから、一ヶ月くらいが経過しただろうか。

 俺は未だにくずはを救える手立てを見つけられないまま、時を過ごしていた。


 その間もくずははなんの変わる様子もなかったが、別に事態が好転したわけでもない。

 俺なりに探りを入れているつもりだったが、ある意味限界を感じている。


『気配遮断』などの『隠蔽』系の魔方陣はここで使用することは出来ない。

 いや、正確には出来るけど、すぐに存在が割れてしまう。


 この場所は魔方陣を使って気配や姿を消すことが出来ないよう、常に『索敵』の魔方陣を展開させて監視されている。

 あくまで大まかな位置が分かる程度の精度を持っているらしくて、魔力を使用する行為に対して反応するようになっているのだとか。


 つまり、俺が魔方陣を展開した途端、『索敵』の魔方陣で周囲を見張っている魔人には、それがまるわかりだというわけだ。

 強いて言えばどんな種類を使っているのかはわからないそうだけれど……常時発動し続けなければならない『隠蔽』関連の魔方陣ならすぐにわかるという訳だ。


 もちろん、魔力を使わずに気配を殺したり、相手に見つからないように動けるというのであればその限りじゃない。

 なにしろ魔方陣の使用に反応するタイプなのだから、自前で色々と出来るのであれば何の意味もないというわけだ。


 ……もっとも、それが出来れば、の話なんだが。

 結局、修行に鍛錬、学問に新しく魔方陣を構築する……といういつもやってることをただやるようになっていてしまったというわけだ。


 それでも何もしなかったわけじゃない、と自分自身に言い訳しつつ、日々を過ごしていたある日のことだ。



 ――



「……今日はここまでにしておこう」


 夜中、どうしても後ろ向きになりそうな自分の思考を振り切るように身体を動かしていた俺は、ある程度心が落ち着いた辺りで切り上げることにした。


 最近は――というより、くずはがどこかおかしいとはっきり感じてから、どうにも寝付きが悪く……こうして寝る前に軽く運動をするようにしている。


 夜闇に目を閉じていると、どうしてもくずはの顔がちらついてしまって……果たして本当にくずはを元に戻せるのだろうか? そういう最悪な考えが頭の中に浮かんでくる。


 そういう時は身体を動かせば少しすっきりするからな。

 もっとも、そのせいで最近は起きるのが遅くなったりもしているのだが。


「わかっちゃいるんだがな……」


 夜に輝く月を見上げながら誰に言うわけでもなく、ただ言葉を投げかける俺は、深く息を吐いて、汗を流して戻ることにした。


「――、――……」

「ん? なんだ……?」


 自分の部屋へと帰る途中……その日はいつもと違う、誰かの話し声が聞こえてきた。

 ぼそぼそと話すその声はどこかの部屋で聞こえているようだった。


「この方角は……」


 俺はその声を確かめるように今の自分が出来る限りに気配を殺して、そっと足音を立てないように歩いていく。

 普段よりも少し長めに身体を動かしていたおかげかどうかは知らないが、なにか掴めるような……そんな気がして、俺はゆっくりとその方角に足を進める。


 しばらく歩いていくと、段々と話す声がはっきりとしてくる。

 やはり、声のする方向はくずはの部屋のようだ。


「……それで、セイルが君にそんな事を?」

「は、はい。なんだかいつもと様子が違って……」


 ちょうど開いていた扉から覗き見るようにそっと近づいて部屋の様子を確かめてみると――そこにいたのはくずはとラグナスだった。


 どうやらあれ以降、くずはもなにか悩んでいたらしく、それをラグナスに相談しているところを俺が見つけた……という感じだろう。

 彼はくずはの話を真剣な表情で聞いているけど、いつもとは違って部屋が薄暗いせいか、その金色の目が少し不気味な色を湛えているような気がする。


「なるほど、つまり、彼は気付きかけてるってわけか」

「そう、みたいです」

「はぁ……これは少し作戦を変えた方がいいな」

「作戦……?」

「ああ、いや、こっちのことさ」


 くずはが頭を傾げていると、ラグナスはいつもの柔らかな声音で言い聞かせるようにくずはの両肩をぽんぽんと優しく叩いていた。


「さ、それじゃあ今日はもうおやすみ。

 セイルの事は、僕も考えるから」

「は、はい。よろしくおねがいします」

「うん。ほらリラックスして……」


 ラグナスはくずはをベッドに誘導して、ゆっくりと彼女を横たわらせた。

 くずはは、不安げな眼差しをラグナスに向けていたけど、後ろの姿しか見えない彼は、それを取り除くかのように優しくくずはの頭を撫でているようだった。


 やがてそれに安心したのか、くずはは静かに目を閉じて、緊張感のほぐれたようにも見えて……そのまま目を閉じて眠ってしまった。


「……やれやれ、こっちも厄介なことになってきたな」


 くずはが眠るまで見守っていたかラグナスは、途端に声音が変わっていた。

 物腰の柔らかそうな態度が、面倒そうにくずはを見下ろしていた。


 そこにいたのは、俺と一緒に学び剣を振るっていたラグナスの姿ではなく、もっと違う全くの別人の姿だった。


「仕方がない。もう一度この女の記憶を弄るか。

 アレにはまだ、ここに留まってもらわないとな」


 そんな事を言ってラグナスが何かをしようとしたその瞬間――俺はその扉を思いっきり開いた。

 背後から聞こえてきた音に驚いたのだろうラグナスは、目を見開いて信じられない物を見るかのように俺の方を向いていた。


 今の……『記憶を弄る』という言葉。

 ラグナスが……くずはをあんな風に変えたとわかった瞬間、いても立ってもいられなかった。

 くずはの記憶をこれ以上、弄ばせたりはさせない。


 静かに怒りを燃やして、俺は仲間だと思っていた男に――友情を感じていたラグナスに相対することを選んだ。

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