第61話 禁域ルート:血のオートマタ
そして私は王城地下を去ってから、大公が滞在している仮の館を訪れていた。
「護衛もつけず、人払いをさせてまでしたい話とはなにかね?お嬢さん」
応接用のソファセットを挟んで向かい合った大公が、湯気を立てた飲み物の入ったカップに口をつけてから聞く。
私もつられてカップを持ち上げた。
元の世界では嗅いだことがないけれど……いい匂い。
「どうしても誰にも知られずにお聞きしたいことができたからです。
大公、大公がご存知の始祖ヨンナの二つ目の遺産とは目には見えないものではないですか?」
「ふむ。なぜそう思った?」
大公はカップを持ったまま、ソファの背にゆったりと背中を預けて鷹揚に尋ね返す。
表情もいつものように、穏やかさの奥に鋭さを湛えた笑顔。
「大公も同席されていた王城地下でのできごと……ルツィアが残した言葉がまず私には引っかかりました。
『また負けなければいけないの?』
『運命や歴史はまだわたくしにつきまとうの?』
それから、キトさんをユゼと呼び、手元に置きたがること」
「続けたまえ」
「ルツィアはまだ負けてはいません。私のように何かに敗北して___私は元の世界で『死』に負けましたから___ほかの世界から来た者かとも疑いましたが、サキはルツィアの魂はこの世界にしっかり根を張っていると言っています。サキの目は、こういうことでは確かです。それから、カタリナのことも」
大公の眉がぴくりとあがる。
背がソファから離れ、カップはソーサーの上に戻った。
「カタリナは自分は『観察者』だと名乗り、まだ知らないはずの私とルツィアの確執を知っていました。大公が詠まれた古い詩も口ずさんだ。けれどカタリナの魂もまたこの世界の物であると、サキが。
ならばルツィアは誰と戦って負けたのか、キトさんをなぜユゼと呼ぶのか。私は一つの仮説を立てました」
大公は無言のままだ。
でも、私の話を真剣に聞いてくれてるのは私もわかる。
だから私もカップを置いて、大公の方へすこし体を傾けた。
すこしでもうまく伝えられるように。
こんな、信じられないような話を。
どうか信じてくれますようにと祈りながら。
「私の元の世界での姿は始祖ヨンナにそっくりでした。そしてご存知かもしれませんが、ルツィアの姿は歴史に残る悪神イハにそっくりです。
もしかして、二つの運命がぶつかったことで過去が再現されてしまったのではないかと___」
「ではなぜ、ルツィアはキトくんをユゼと呼ぶ?」
「それが鍵になると思い、サキに調べてもらいました。……イハのそばにユゼという人間がいたかどうか」
「答えは?」
「出ました。イハとともにユゼは存在します。異常な形で」
「それはユゼはイハと同じような悪神だったと言うことかな?」
「いいえ。逆です。ユゼは歴史から削除されていました。
歴史書の中でイハの傍に立つ男性はすべて顔と名前が切り取られていました……その歴史書は偽史とされていますが……王城書庫の奥にきちんと保管してあったということで、サキはそれこそが正史だと言います……私もそう思います」
「ふむ。できればお嬢さんがその疑問にたどりついた理由が知りたい」
大公が両手を組んでひたいに押し当てる。
表情が窺えない。
その不安の中で、それでも私は私なりに考え抜いたことを必死に形にして口に出していく。
「私のいた元の世界では権力闘争に負けて消された人物が大勢います。暗殺や刑死させられただけではなく、その人物の姿の記録まで全部消すことで、元からいなかったことにされた人も。
……ユゼの姿はそれに重なりました」
「お嬢さんは勉強家だな」
握った両手の隙間から見えるのは動く大公の唇だけ。
けれどその声はいつもと変わりはなかった。
……大丈夫?
大丈夫。もし間違っていたらそのときはその意見も聞き入れればいい。
今は、これが私の出した今の最適解。
「ちょうどそのあたりのことが歴史の試験に出たのと、そこまで権力にこだわる人たちが怖かったので忘れられませんでした」
私はできるだけ平静を装って言葉を続けていく。
自分は『正解』を話している。そう信じて。
そうでなければこの人とこんな話をする資格はないから。
「ユゼは確かにいつもイハのそばにいた。だからルツィアはあれほどキトさんに執着しているのだと……推測ですが。
きっと……キトさんはユゼにそっくりなのでしょう。けれど、たくさんの書物をサキが漁ってユゼという名前は見つけられましたが、その顔を見つけることはできませんでした。
ではルツィアはどこでキトさんをユゼだと思い込むようになったのか……そこで考えついたのが、大公がご存知の二つ目の遺産。
それは私たちの中に代々溶け込んでいても目には見えないもの、『血』ではないかと」
大公の顔を半分隠していた組んだ両手が下へ降ろされる。
その下にあったのは大きく見開かれた大公の目だった。私にははじめて見る表情だ。
私が正解の一手を指したことをはっきり示すような。
「それはヨナタンやヴィンセントには話したのかね?」
「いいえ。まだです。大公から管理人は互いを知らないと伺いましたから、ただの予想ではなにも話してはいけないと思い___。
けれど大公、その『血』の管理人は本当はカタリナではありませんか?」
大公がぱちんとひとつ手叩きをして目を閉じた。
それからため息と一緒に目を開ける。
「本当に聡いお嬢さんだ。負けを認めよう。
分割された遺産の一つは確かに『神の血』だ。女神ヨンナの記憶や叡智が残されていると言うが……使われたことはまだない。これの管理人はお嬢さんの言うとおりカタリナだ。なにしろあれはまだ少女だからな。カタリナから要請を受け、成人するまで共同管理することになった。これはロベルト帝も知らん。皇帝には時が来ない限り遺産の存在を知らせないのも管理人の務め。すべての皇帝がロベルトのように高潔な訳ではないからな。
……遺産は皇帝の私物ではない。この国のために女神ヨンナが残したものだ」
そして、大公はまたソファに背を預ける。
でもそれはさっきとは違って、なんだか疲れたように見えた。
「本来ならルツィアのことも現皇帝であるロベルトに伝えるのが筋だったが、カタリナがどうしてもお嬢さんに任せてほしい、と。あれにはあれだけに見えているものがあるのだろう。管理人はある日突然、天啓のようにふさわしい者が選ばれる。……それは、幼い少女にも容赦はしない。
ならばお嬢さん、ルツィアのこれまでの叛逆者としての行動は『神の血』のせいであると言いたいのかね?」
「それだけが私のわからない部分です。カタリナは私にはっきりと『自分は公正な観察者である』『だからルツィアには自分が観察者であることを告げていない』と宣言しています。大公、カタリナはこのようなことで嘘をつく娘だとお思いですか?」
「思わん。あれは弱いが……弱いなりの強さを持っている。白薔薇は何色にでもなれる薔薇……けれど恥ずべき色にだけはなりたくないと、あれにしてはめずらしく強い声で言うのを聞いたことがある」
「私もカタリナを信じます。カタリナはルツィアには始祖ヨンナの遺産は与えてはいない。
ならばなぜ、ルツィアはまるで『神の血』でイハになり替わったような行動をとるのでしょう……私は、この考え方に行きついてからは、ルツィアも誰かに操られているように感じます……」
「確かに……そうだな……。だが申し訳ない。私も『神の血』のことには詳しくないのだよ。私は『アトロポス』の管理人だからな。しかもアトロポスの管理人ではあるが、それを使いこなせなかった男だ。どちらにしても役に立つようなことが言えなくてすまない」
「いいえ。大公はたくさんのヒントをくださいました。いま思えば……私がアトロポスを手にした場に大公がいらしたのも運命ではないのかと……」
「運命を断ち切る剣の前でそれを言うかね」
ようやく大公がすこし笑ってくれた。
それにちょっと安心して、私はカップに手を伸ばし、中の飲み物を口に含む。
……あ、これおいしい。あまずっぱい。
「そは古い運命を断ち切るために。
アトロポスが断ち切るのは、どうしようもなくもつれた運命の糸ではないかと私は思っています
このあと、ひとまずはカタリナとも話をして『神の血』についてと、知っていればルツィアのことも聞かせてもらう予定です。ルツィアも誰かの駒でしたら私が戦うべき相手ではありませんから」
「うむ。妥当だろう。
公人としての私から見ればルツィアは悪辣な簒奪者だが、私人としての私から見ればあれはまだただの赤薔薇姫のままだ。
そうか……それならば私はまだ救われる」
大公は長く長く息を吐いた。
眉を寄せて、つらそうな顔。
そうだ、そうだよね。薔薇姫三姉妹は孫のようなものだと言ってたのに、エーレンは私になっちゃうし、ルツィアは私と戦おうとするし……普通のおじいちゃんの立場ならすごくつらいよね。
三姉妹、全員揃っているように見えても、大公が知っていた薔薇姫三姉妹はもうカタリナしかいないんだもん。
でもごめんなさい。大公。
私はもしかしたら大公にもっとつらい思いをさせてしまうかもしれません。
だけどその時が来たら、私はヤルヴァの次期女帝として剣を執ります。
ちいさいけどたくさんの悲しみに足を取られそうな女子高生の由真ではなく、鉄の意志を持つ、黒い戦神、エーレン・アウリ・ヤルヴァとして。
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