第40話 禁域ルート:ロルフ・エーリク・ハグストレーム大公

「これはハグストレーム大公!それに姫!」


 大公を帝国主語騎士団の錬武場へと案内すると、騎士たちを指導していたイルダールが私たちに気付いて平伏する。


「やめてくれ。私はそうたいした人間ではない。とっくに引退した老残の年寄りだ」

「何をおっしゃるのですか、帝国守護騎士団をお作りになったのは大公。大公がいらっしゃらなければ我々もおりませんでした」

「爵位なぞ前線では役に立たないのがあの戦争でよくわかったからな。くだらぬ家柄にこだわり、権力争いに明け暮れる馬鹿どもより、おまえたち騎士の方がよほどヤルヴァの思想を体現している。だから私は平民だけで構成された騎士団を作った。それだけのことだ」

「いいえ。大公は、我々平民にも陛下や姫の隣に立つことができるという希望を与えてくださった大元の方です。あれから騎士団以外にも平民への門戸は開かれ……ヤルヴァは随分と変わりました」

「そうか。ならば良きことだ。私が為したことにも少しは意味があったということか」

「はい。いいえ、大きな意味です」


 イルダールが立ち上がる。

 そして、背後に控える騎士たちに大公の紹介を始めた。


「知らない者はいないと思いたいが、こちらはロルフ・エーリク・ハグストレーム大公。第四次国境防衛戦争で偉大なる戦果を上げ、当時はヤルヴァの軍神、今では生きる英霊と呼ばれる方だ。帝国守護騎士団の結団に尽力してくださり、我々平民にも分け隔てなくその武を教えてくださった。

 みな、心して接せよ。この方がいなければ今の我々はいない」

「勘違いするな。いま、ここを支えているのはイルダール、おまえだ。姫からもよくおまえの話を聞いた。おまえのような忠義者が姫の傍にいてよかったと私は心から思っている。それだけでもこの騎士団を作った意味があった」

「姫ともども、有難きお言葉。今後どのような苦難があれど、それだけで私は生きていけますでしょう」

「大袈裟な」


真剣な顔でそういうイルダールに大公が苦笑した。

それから、私たちがここへ来た理由の本題に入る。


「今日私がここに来たのは、おまえたちの練度を見るためと、姫と一騎打ちをするためだ」

「……練度をお見せするのにはもちろん異存はございませんが……姫と、一騎打ち……?」


 イルダールが目を見開いた。

 えーと……また驚かせてごめんなさい。

 私、この人と戦ってみたいの。

 お父さんのお師匠様にそっくりなこの人と。

 きっと私より強いこの人と。


「このお嬢さんはやんちゃでな。どうしてもこんな老いぼれと戦ってみたいとおっしゃる」

「老いぼれだなんて……大公は私が絶対に勝てなかった人の師に似てるんです。何度も申し上げましたが……私は強い人と戦ってみたい。そればかり考えて生きていますから」

「ほら、なんとも生きのいいお嬢さんだ。まったく、パルメ夫人が私をやたらに持ち上げるから……」

「パルメ夫人の言葉がなくてもわかります。大公は強い方です。一目見た時から大公のことは気になっておりました」

「おやおや。この年になってこんな綺麗なお嬢さんにそんなことを言ってもらえるとはな。あと50歳は若ければと後悔しているところだよ。

 ___というわけだ、イルダール。場所と木剣を貸してくれたまえ」

「は、それはかまいませんが……姫は女性ですし、大公は御年齢が……」


 かまいませんが、と言いながらイルダールは困った顔をしている。

 私が一夜漬けで覚えた知識によると、『大公』っていうのはなんとか爵よりもっと偉いらしい。

 それでもって、私はその大公よりもっと偉いわけで……。

 どっちかがケガでもしたら大変だと思っているんだろう。


「大丈夫。こんなことをおっしゃっても、大公は手加減なんかなさらない。年や性別なんか関係なく私と思い切り戦ってくださる。そうでしょう?」

「もちろん。挑戦を受ければどんな者にも全力で挑むのが武人の務め。それがたとえご婦人でもな。

 『女だから』などという理由でお断りや手加減をすれば、かえって相手を侮辱することになる」

「素敵ですわ。___イルダール、私にも木剣を」

「……畏まりました」


 仕方ない、といった顔でイルダールが私と大公に木剣を渡す。

 それから、背後の騎士たちを下がらせ、諦めたようにこんなことを言った。


「おまえたち、軍神と戦神の戦いなど滅多に見られるものではない。よく見ておけ。いまだたどり着けない物が見えるはずだ」




                       ※※※




 イルダールの開始の合図で始まった手合せ。周りは真剣な顔をした騎士たちがぐるりと取り巻いている。


 その中で、大公はただ無造作に片手で木剣を前に構えているだけだ。

 なのに私は動けない。

 打ち込む隙がどこにも見えない。

 速さや筋力、そんな若さで補えるものではとうていかなわない領域があるのだと思わされる、硬い空気の空間。


「どうした?お嬢さん?私には右目がない。そちらを攻めれば有利になるぞ」


 わかってる。そんなこと。視野の狭さは近接戦闘では圧倒的に不利だ。

 でも、そんなセオリーを越えた『もの』が目の前にいる。

 この人にとっては右も左もない。すべてが自分の空間だ。


 ___ここまでだとは、思ってなかった。


 まさか、私がまだ一歩も踏み出せないなんて。


「動かないのならばこちらから行かせてもらおうか」


 とん、とほんのすこし大公の体が動いただけに見えた。

 なのに、ヒュンと凄まじい風切り音を立てて木剣が私の目の前に迫っていた。

 咄嗟に受け切ったけど、それは次の動きなんか考えられない無様な受け方。

 大公がにこりと笑う。


「初撃を受けられたか。本気だったのだが。……なまったな」


 私は手首を必死で切り替えし、右目がないのなら死角のなる部分への突きの姿勢を取った。

 凪ぐより斬るよりこれがいちばん速い……!

 けれど、完璧に決まったはずの突きは途中で叩き落とされる。

 なんで……?!


「お嬢さん、目は見えずとも殺気は見える。いい腕だがまだまだ若い」


 じん、と木剣から伝わる衝撃で腕が痛んだ。

 でもかまうもんか。まだ私は剣を落としてない、一撃も受けてない。負けじゃない。

 後ろで自分を支えていた足を今度は逆に大きく前に踏み出して、私は木剣を振り上げた。

 あれだけの打撃を剣に食らって、これだけ早くそれをリカバリーできるのはさすがに大公も予想外だろう。

 このまま肩に一撃!


「甘い」


 その瞬間、今までの衝撃とは比べ物にならない腕の痛みとともに、私の木剣が床に転がっていた。

 理解、できなかった。

 私の剣は絶対に大公の肩に届いていたはず……!

 もし防がれたとしても、あんな小さな動きで全力の剣を弾き飛ばされるなんて……!


「お嬢ちゃんは筋がいいが動きが大きすぎる。戦場では剣が入り乱れ、弓が降り注ぐ。それに当たらぬよう、動きは最小限に、だがその最小限に最大限の強さを込めねばならん。

 大きな動作で大きな力を使おうとするうちはまだ道場剣法よ。騎士方諸君もそれをよく覚えておきたまえ」


 私は言葉も出ない。

 勝つために培ってきたもの。いまの一騎打ちには狡さも卑怯さも全部全力でつぎ込んで、それでもまだ道場剣法だと_____。


「良き物を見せていただきました。大公の太刀筋、一撃目から私の目にはほぼ見えず、それを受け切れた姫の技量も凄まじきもの……」


 イルダールに声をかけられて、私は首を横に振る。


「慰めてくれなくてもいいの、イルダール。私は負けたの。力が足りなかったのよ」

「いえ。私は姫に忠実な人間です。だから姫には真実しか申し上げません。

 大公の初撃、姫の突き、どちらも私には未知のもの……。まさに、軍神と戦神のいくさにふさわしい立ち合いでした。情けないことですが、守るべき方にこれほどの技量があるのならば、我らこそさらに精進せねばと、そう思ったのみです」

「きみの騎士の言うとおりだ。お嬢ちゃん、きみは強い。ただ若すぎる。こんな老爺ろうやでもよければ王城に滞在してまた稽古をつけてやろう」

「本当ですか?!」


 私の声が思わず跳ね上がった。

 嬉しい。嬉しい!負けたことなんか吹っ飛んじゃった。

 私、もっともっと強くなれるんだ!

 それに……実は大公には相談したいこともあって。

 そのためにも、王城にしばらくいてくれるならそれがいちばんいい。


「お嬢ちゃんに嘘をついて私になんの得がある。どうやら騎士団もまだまだのようだし、しばらくは領地に帰らずここにいてもいいかね?」

「もちろんです!喜んで!」

「そうか、そうか」


 大公が微笑いながらうなずく。

 残っている左目がやさしく光った。


「では、次……は無理でも、いつか絶対に勝ってみせます!大公!」

「これはなんとも頼もしい。

 ……騎士方も覚悟したまえ。このお嬢ちゃんに負けたと聞いたが、それではとても帝国守護騎士団は名乗れん」


 大公が高らかな笑い声をあげる。

 こんなに悔しくない負けってあるんだなって思いながら、私も思わず笑い声をこぼしていた。 

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