第39話 黒薔薇姫とサンテーヌの女王Ⅴ~戦闘開始~
「今日は殿下があまりごゆっくりできないと伺いまして」
そのパルメ夫人の声といっしょに、色とりどりの小さなお菓子の載ったお皿がテーブルの上に運ばれた。
「軽食にいたしましたの。……お恥ずかしいけれど……わたくしが作りましたのよ。ですから安心してお召し上がりくださいまし」
「夫人は下手な料理人よりお料理が上手ですものねぇ」
「ちょうど戦争があって、母に教え込まれたものですから。いくさは殿方のもの。糧食の確保が女の務めだと」
「素晴らしい母君をお持ちだ。では、いただこうか」
ハグストローム大公がお皿に手を伸ばす。
そうやって身を乗り出した分、顔がほんの少し近づいて、私はついついその黒い眼帯を見つめてしまう。
「おや、お嬢さん、これに興味があるのかね?」
「え、いえ、すみません」
「謝ることはない。気になるのも当たり前だろう。貴族がこんな海賊なようななりをしていればな」
「まあ、海賊だなんて。殿下が黒い戦神ヨンナなら、あの頃の大公もまたヤルヴァの戦神の名をほしいままにされていましたのに。弓を扱われても一流、剣を扱われても一流、目に矢を受けながらも敵を蹂躙し続けたあのお姿を忘れるものはおりませんわ」
パルメ夫人はゆったりと笑い、その言葉の穂を継ぐようにヴィンセントとヨナタンが続けた。
「ですから大公を我々の戦陣にお招きしました」
「俺たちは本物の戦争を知らない。書物で学ぶより、生きている英霊にお話を伺った方がよほど心強い」
「生きている英霊とな!知らないうちにずいぶん大したものになってしまったようだ!」
「それにしてもボレリウス宮中伯がこのような御方だったなんて……さすが謀略のボレリウス家の御嫡男ですわね……。
このお姿、以前からお見せになっていれば、私はあなたに嫁いだかもしれませんのに……」
「御冗談を、アガタ夫人。俺はまだエリクソン侯爵に殺されたくはありません」
アガタ夫人が嫣然と微笑み、ヨナタンはそれをさらりと受け流す。
なんか、ここだけホストクラブだ……。
「これは我々の間だけの決め事だったからな。辺境伯と宮中伯。同じ選帝に加わる者同士、一人くらいは情報を集めるものがおらねば、と」
「真面目なことはヴィンセントに任せておけばよかったですからね。それにヴィンセントに俺みたいなことはできないでしょう」
「やりたくもないしな。おまえみたいに話していたら甘すぎていつか歯が溶ける」
「お、それ、いいな。今度女性を口説くときに使おう」
「……勝手にしろ」
ヨナタンが楽しげに言うと、ヴィンセントは渋い顔であさっての方向を向いた。
これで仲良しだって言うんだから不思議だなー。
そのとき、カタン、と大公が空になったグラスをテーブルに置いた。
「そろそろ本題に入ろうか。
まずは相手を内部から切り崩せないか試みよう。間諜を忍ばせ、奴らの情報を集め、弱点を探す。なに、女、金、嫉妬……ああいった奴らには必ず何かあるはずだ」
「その役目は俺に。俺は地位だけの頭の中身のない男だと思われています。だから、今後も地位を失いたくないと縋りだしてもおかしくない。これをもしヴィンセントがやればどうしようもなく疑われるでしょうが、俺なら『やっぱり』で済むはずです」
「すまんな。何かあれば私の所に来なさい。独立領には奴らもそう簡単には手出しはできない」
「ありがとうございます、大公」
「私たちは女同士だけで通じる会話で探っていきますわ……女と言うのはこれでなかなか嫌な生き物……心の奥底ではあの花びらを引きむしりたいと考えているものも多いかもしれませんわよ……ええ、きっと」
アガタ夫人がまた、あの、柔らかいのに鋭い猫のような目をした。
「わたくしもこのサロンを最大限に使いましょう。殿下は素晴らしい方だと何気なく皆様にお話しした上で、殿下にも足をお運びいただき、社交界の中心も殿下であると周知させましょう」
そう言ってからパルメ夫人は私に「よろしいでしょうか?」と尋ねてきたので、私はためらわずうなずいた。
まだまだわからないことだらけのこの世界。ヨナタンが手配してくれた仲間が考えたことなら、その通りにした方が絶対にうまく行く。
「俺はいつも通りに。部下や自身で情報収集を続けます」
ヴィンセントは表情を崩さずにそう言った。短い、簡単な言葉だけど、『白薔薇の帝国』の中でのチートクラスに有能なヴィンセントを見ていれば、きっと完璧に仕事をやり遂げてくれるはずだ、と思えた。
「ならば私は真正面から選帝の問題に向かっていく。なに、私は辺境伯だ。なんのおかしいこともない。そうすれば宮中伯の行動の陽動にもなるだろう」
「僕は……」
ルンドヴィスト侯爵がそこまで言ってうつむいた。
グラスの中のルカーシュもほとんど減っていない。
「迷っているのかね?」
大公が聞く。
それでもルンドヴィスト侯爵は動かないままだった。
「でも……父に……卑怯者にだけはなるな、と……」
「恐怖を感じた時に退くのは卑怯ではない。嘘や裏切りが卑怯だ。もしも、いま恐怖を感じているのなら、ここでおしまいにして領地に帰りなさい。かまわんな?ヨナタン、ヴィンセント?」
「はい」
「もちろん。___ここでのことをけして口外しないのならば」
「すれば巻き込まれる。それくらいは侯爵にもわかるはずだ。幸い、侯爵には頼りになる父君もいる。……忘れなさい」
「そうですわね。これは無理強いをするようなものではありませんわ、ねえ、殿下?」
「え、ええ、はい。
侯爵、嫌ならそれでいいの。恥ずかしいことなんかないわ。逆に、自分の恐怖を素直に口に出せるあなたは勇気のある人よ」
「ほら、殿下もこうおっしゃってくださっていますわ。皆さまも殿下のお言葉に異存はないでしょう?」
こく、こく、とその場の面々がうなずいていく。
「ようございました。……では、それぞれの役割が決まったところでお開きといたしましょうか。
ボレリウス伯の決めた殿下の帰城の刻限が迫っておりますの。殿下、今度はゆっくりいらしてくださいまし。お待ちしておりますわ」
「なんだ、麗しの戦神とは碌な話もできぬままか。がっかりだな」
「辺境伯もまたいらしてくださいな。そのときこそぜひ殿下とよくお話になってくださいましね」
「時間がないなら仕方ない。つまらぬ城に帰るとするか」
「では、皆様、ホールまでお送りしますわ。
今日はわたくしのサロンにわざわざお運びいただき、嬉しゅうございました」
そして、私たちは外へ出た。
アガタ夫人や大公がそれぞれの馬車に乗って帰っていく。
……あーあ、私はまた箱詰めかあ……。
来た時に二度床に落とされたことを思い出してげんなりしていると、いつの間にか、隣にルンドヴィスト侯爵が立っていた。悲しそうな顔だった。
「姫……僕は……」
「いいの。いいのよ。嫌なことを無理にやっても楽しくないものね。しかも今回のは遊びじゃないし。
……でも、残念」
「残念?」
「私は、あなたにいてほしかったの。別にほかの人たちみたいに何かしろとかじゃなくて、あなたみたいな人が仲間にいたらとっても心安らぐだろうなって」
そうなんだよ。いくらイケメンでも変わり種のおでんみたいなのばっかり見てると疲れるんだよね。
そんなとき、こういう、僕は超定番です!普通です!って人がいたら気が楽になるだろうなーって思ってたんだけど。
「私、あなたを見てるとほっとするんだもの。
でも仕方ないわ。仲間ではなくなってしまうけど、見かけたら挨拶ぐらいはしてちょうだいね」
「な、仲間ならば挨拶だけじゃなくそれ以上に?!」
「当たり前でしょう?一緒に戦うんだもの。
だから本当は……あなたみたいな人がそばにいてくれたら、とは思うけれど……」
だってあの強烈な仲間たちの中には癒し系も欲しい。痛烈に。
私は心からそう思っていた。
特にこの特徴もアクもない『いい人』としかいいようがない人がいたら、疲れてるときに一緒にぼーっとできた気がしたんだよねー。猫とひなたぼっこするみたいに。
でも仕方ないや。
戦うのが嫌いな人だっているんだから。
「姫、僕はもう逃げません!卑怯者にはなりません!」
突然ルンドヴィスト侯爵が私の肩を掴む。
「え?!」
ちょっと、どうしたの?!
「歴史あるルンドヴィストの名に懸けて、僕も姫と一緒に戦います!」
「え、いや、だから無理しなくていいって」
「姫は僕がそばにいたら、とおっしゃってくださった。僕も姫のそばにいたいのです!一度口に出した言葉を撤回するなど貴族として恥ずべきことですが……姫がそう思ってくださるのならば……!!
これから僕がどうすればいいのか、いますぐフォルシアン公爵に聞いて参ります!」
ルンドヴィスト侯爵は私が反論する間もなく、すごい勢いでまくしたてたあと、今度は突然ヴィンセントに向かって走り出していく。
あーあ……行っちゃった……。
これも「フ」のつくアレなんだろうなー……。
でも、教えてください、神様、今の会話のどこにフラグの立つ要素があったんですか……?
私はちょっとでいいから癒しが欲しかっただけなのに……!
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