第136話 いとしいとしと呼ぶ声は 壱

 チェスターさんとおたいさんの結婚式から帰って来た夜。

 あたしは荷物の整理――徳之進さんが「土産だ」ってなんかいっぱいいろいろ渡してくれたから――をしていた。

 うわー、高そうな硯と筆とか出てきたんですけど……これを普段使いしろと……。

 てか、本当に仕掛と簪もくれるつもりなのかなー。徳之進さんの全力って想像するだけでこわ……わ、え?

 あたしは思わず手を止める。

 そこにあったのは、おたいさんが身に着けていた、あたしが準備した白い紗のベールだった。添えられた手紙には「次は花魁の婚礼で使ってください」と。


「あ……」


 不意打ちだった。

 頭をよぎる、ロッコさんに言われた、あたしの中の誰かのこと。白無垢を着たおたいさん。それと合わせるようにぼんやりと浮かぶのは、誰かの横に立つこのベールをかぶったあたしの姿。

 いままで、心が動くたび、胸がぎゅっとするたび、それはどうしてだろう、誰のせいだろうって思ったけど、わざと見ないようにしてきた。だってあたしには夢があるから、だって、だって――。

 違う。怖かった、だけだ。

 あたしがなにかを怖いなんて思うのはどうかしてる。でも、それは真実だ。あたしは嘘が嫌い。だから、自分にも嘘はつきたくない。


 あの誰かは、土屋さまだ。

 あたしは、土屋さまが、好きだ。


 好き、なんだ。


 わかったら、逃げるなんてあたしらしくないね。

 ナンバーワンの夢も捨てない。でも土屋さまも諦めない。

 どうすればいいだろう?

 どうすれば、欲張りなあたしの願い全部、叶えることができる?

 それよりもまず、土屋さまに「決めました」ってお手紙した方がいいのかな? でもいまのテンションでお手紙を書いたら、あとで絶対後悔する気がするし……てかお手紙じゃなくて目を見て伝えたい。したら、やっぱり、夢と恋愛、両立する方法を考えてから? なら、馴染みのお客さまたちにもいろいろ話しておかなきゃだし、それに、それに……。

 会いたい。

 あたしはベールを抱きしめた。

 たくさん考えて、浮かんだ想いはシンプルな四文字だった。

 どうしよう。気持ちに名前を付けたら、胸が焼けそうで困るよ――!

 頬がどんどん熱くなっていくのがわかる。

 こんなベールのサプライズなんてしこんで二人のバカとか、やっぱりありがとうとか、あたしの頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 とりま、土屋さまが次いついらっしゃるか把握しないと。日取りが遠いようなら、あたしから、来てくださいってお願いしないといけないかも。

 あたしはいつも使ってるお客さま用のメモ書きを確認する。

 いつ? いつ? いつ?

 急く気持ちでメモをめくる。そして、そこに、土屋さまのお名前を見つけて……。

 ……よかった、数日後にいらっしゃる予定がある。

 よし、自分に気合を入れよう。

 考えることはたくさん、伝えたいこともたくさん。

 なにもかもをハッピーエンドにするために、あたしはあたしができる全部をやるんだ。

 後悔なんて、かけらも残さないために。


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