第100話 八十恋絵巻 弐

 はあ。

 あたしの口から思わずため息が漏れる。これで今日はもう何回目だろう?


「山吹どん、体の具合でも悪うおりんすか……?」


 桜がおずおずと聞いてくる。梅も隣でこくこくとうなずいていた。


「いな、なんにもござんせん。わっちはこれ、いつもの通り」

「そうは申しささんしても、わっちら心配でおりんす」

「気ぶっせいなことがありんしたらわっちらに」

「わっちらでは頼りになりんせんことならば、桔梗花魁やお内儀さんに」


 どうか……と二人がお行儀よく頭を下げた。


「桜も梅も、気遣いありがとござりんす。そうさの……ならば、桜と梅が稽古ささんした文の吟味でもいたしんしょうか。なに、わっち、馴染みに送る文をどう書きんすか迷っておりんすゆえにの。さんじにもなりんしょう」


 これは嘘じゃない。あの日、土屋さまにお帰りいただいてから、どうにか手紙を書いていまの気持ちを伝えなきゃと思ってため息をついて、でもうまく言葉にならなくて、それでまたため息が出る、カンペキ悪循環にハマっちゃってる。もちろん……いばれることじゃないけど……お手紙はまだ書けてない。


「山吹どんにもそたあことがありんすか」

「桜、わっちをなんだと思いなんしえ。わっちとて、切れば赤い血の流れる人間でありんす。ときには迷うこともござんすよ」

「これは申し訳ないことでござりんした。わっちの粗相でござりんす」

「謝ることはござんせん。非は妹女郎の前で顔を曇らすわっちにありんす。さて、二人とも、わっちがせんに教えたこと覚えておりんしょうな?」

「あい」


 二人が練習用に描いた手紙の束をあたしの前に広げた。あたしはそれを手に取って中を見てみる。そこにあるのは、まだつたない部分もあるけど、一生懸命書いたんだなーって気持ちが伝わってくるような手紙ばかりだった。


「桜は押し花をよう使っておりんすなあ。ふむ、Don't forget meに忘れな草の押し花……わっちの教えたことをよう覚えささんした、まっこと良い生徒でありんすえ。梅は、あれ、こたあ絵が達者でおりんしたか。月夜の絵を水でにじませささんして、あなたを待つ涙雨とな。なるほど風流でおりんす」

「「ありがとござりんす!」」

「ほんに、二人とも知らぬ間によう稽古しておりんしたなあ。わっちも鼻が高いというものでござんすよ」


 あたしがにこっと笑うと桜と梅もにこっと笑った。

 ……うん、かわゆ。


「このまま精進していきなんし。なんぞあればいつでもわっちに聞きなんせ。教えられることはなんでも教えますえ」

「あい!」


 二人が嬉しそうに声を揃えて返事をする。

 そのとき、やり手が「山吹、あんたに届け物だよ」と、ぶっきらぼうな声で言いながら、座敷の戸を開けてきた。


「ありがとござりんす。誰からでござんしょう」


 やり手がいなくなってから、受け取った包みの差出人をチェックすると__土屋さま?!

 思わず包みをぎゅっと胸に抱いちゃったあたしを見て、桜と梅はなにかを察したのか、「わっちら、下がりんす。なんぞあれば呼んでくんなんし」と、さささ、と部屋から出ていく。ほんとによくできた弟子たちだなー。

 でもいまはそんなことより、この包みの中身の方が__。

 だってあんなこと言っちゃったから。だってまだあたしからお手紙を出してないから。だって、だって__。

 押し寄せる不安な気持ちを振り払うようにあたしは頭を一つ振る。

 後悔なんてあたしのガラじゃない。あのときは本当にそう思ったんだから悔いなんてない。でもこの心臓のドキドキはなんなんだろう……?推しからいただいた物が尊い、それだけじゃない気がして……ほんと、なんなんだろう、これ。




<注>

※45話で山吹は桜と梅に客への文の書き方を教えています。

気ぶっせい:気づまり

さんじ:気晴らし、気分を楽にすること






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