第99話 八十恋絵巻 壱
それからしばらくして__。小夜さんの輿入れの日が正式に決まったと聞いて喜んでたら、さらに嬉しいものが届いた! いや、物なんて言っちゃダメだ。これは尊みあふれるご神体。ちょっとオーバーかもしんないけどあたしの気持ち的にはそんな感じ。
それはなにかって、土屋さまからのお手紙! 土屋さまは登楼する前にはきちんと手紙をくださる。この時点ですでに雅だ。うん、間違いないし。
焚きしめられてるのはなんのお香だろう? シャネルのプラチナムみたいないい匂いがする。エモい。この甘くないのに深みがある芳香、土屋さまのイメージぴったりなんですけど。セルフイメージはっきりしてる男の人って本当によき……。
あたしは誰にも見つからないように、お手紙をそっと抱きしめる。お客さまにランク付けるのなんかいけないことだけど、やっぱり土屋さまからだと思うとなんだか顔が笑ってしまう。だって推しだもん。
あー……早く登楼予定の明日にならないかな……。
そして次の昼見世。
「ござんせ」
ばさりと網を打ち、あたしは土屋さまの前に座る。
……? 土屋さまがなんだか落ち着かないように見えるんだけど、どうしたんかな?
「
思わず水を向けたら、「その前に一献」とめずらしく、土屋さまの方からお酒をご所望された。
「あいわかりんした。つぎんす」
大ぶりの杯になみなみとあたしはお酒をそそぐ。
さらにめずらしいことに、土屋さまはそれを一気に飲み干した。
普段はあたしの奏でる琴なんかを聴きながらゆっくりお飲みになる方なんだけど……どうした?! なんかイヤなことでもあったのかな……したらうまくお話し相手になれるかな……と、ちょっと悩みながら、差し出されるままにあたしは二杯目を杯につぐ。
それもイッキして、土屋さまは杯を置いた。
無言。
なんだろう、どうしよう、空気が重い。
どうにかしてあたしが雰囲気を変えようとしたとき、それにかぶせるように土屋さまが口を開いた。
「山吹」
「あい」
「話が……いや、もう一献」
えー、もう、なに?
こうなったらとことん付き合うしかないかー、と、あたしはそれ以上聞くのをやめて、さらにお酒をつぎ続ける。
三杯、四杯、と杯を重ねると、土屋さまの頬にすこし赤みがさした。
「どうだ、山吹、
「あい。良い色になりんした」
「そうか。……どうも私は意気地がなくて困る」
「なにを言うのやら。意気地がないなぞ……わっちにはそたあ見えはしやんせんえ」
はは、とようやく土屋さまが笑ってくれた。
「そうか。ならば良いのだが」
そして、あたしの方をぐっと見据える。
「……山吹よ、私が国元に帰るときに、おまえもついてきてはくれぬか」
え?! なに、突然。 ええええ?! ついて、いく?!!!
「土浦は悪いところではないぞ。街中に水路が走り、船がそこここを行き来する。その景色を見るだけでも、絵を書くにも歌を詠むにも事欠かぬ。住まう人の気性も一徹だが温順でな、真心をもって接すれば必ず返ってくる。まるでおまえのようだ。ときに水に浮かんだように見えるあの美しい城も、おまえには良く似合うであろう。……どうだ、山吹?」
思いがけない申し出にあたしは固まる。
その沈黙をどうとったのか、土屋さまは手酌でお酒を杯にそそいで、勢いよく飲み下した。
「すまぬ。おまえを困らせてしまったようだな。貧乏大名には過ぎた夢を見た。忘れてくれ」
そしてまた、手酌で一杯。
いやたぶんいまのあたしの考えは土屋さまが思ってるようなことじゃなくてただただ単純にあたしは混乱してて、てゆかそんな風に自分を卑下しないでよ! 土屋さまは……あたしの推しで……だい、じな、人……? わ、わかんないけど……。
「すまぬな」
繰り返して、土屋さまは歯を見せて笑った。爽やかなのに、胸が締め付けられるような笑顔だった。
違うのに……! ただ、ただ、あたしは……!
「なにを言いささんすか。わっちの返事も聞かぬうちに、勝手に決めて、勝手に駄目だと思いなんして、それがもののふでござんすか。わっちの答えを待つと、そのくらいの器量はありんせんか……!」
あ、どうしよう。本音、言っちゃった。
言葉が、止まらなかった。
どうしよ、ダメだ。こんなんじゃ、今日は冷静に話なんかできないよ…!
「山吹?」
「……ひとまず今日はお帰りなんしなり。わっちにも考える時間が欲しゅうおりんす。わっちのことをまっこと好いておりんすなら、しばらく待ってくんなんせ。国元に帰るまで、まだまだ時間はありんしょう? どうかおがみんす」
<注>
シャネルのプラチナム:シャネルから発売されている、エゴイスト プラチナムという男性向けの香水です。甘さのほとんどない、独特の爽やかな香りがします。男性にぴったりなものすごくいい香りです
渋紙:柿の渋で染めた紙。少し日焼けしたような肌色からがっつり日焼けした肌色までいろいろ揃います。
「渋紙はうまく染まったか」:顔色を上記の渋紙に例えて、普段の顔色がお酒に酔っていい感じに赤らんできたか?と聞いています。
土浦:土屋氏の治めていた土浦藩のこと。現在でも土浦市という名前で残されています
ときに水に浮かんだように見えるあの美しい城:土屋氏の居城だった
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