第89話 小夜鳴鳥は囀らない 八

「山吹殿!」


 大奥に入った途端、待ち構えていたみたいな北邑さんがあたしに飛びつく。


 え、ほんとにどしたの?!

 あの冷静な北邑さんがなんでこんなことになってんの?!


「突然のことでまことに申し訳ありません。ただ、小夜姫さまが……!」


 小夜さんの部屋まで案内してくれてる間、北邑さんは赤い目であたしが帰ってからのことを説明した。


 あのあとすぐに高名な僧たちを何人も呼んだこと。

 僧たちの加持祈祷が始まったら小夜さんが高熱で苦しみだしたこと。その苦しみ具合はひどく、もう小夜さんは起き上がることもできないこと。

 あたしが見つけた首筋の印も、全然消える気配がないこと、

 僧たちはまだ祈ってるけど、小夜さんについてるしゅはすごく強いと言われて……もう隠し通すことはできないと、徳之進さんも枕元に呼ばれたこと。


 そして__小夜さんが、あの髪を結ってくれたあたしにも会いたいと言ってくれたこと。


「小夜姫さまは本当にあのお髪の結い方を気に入っておいででした。しゅが落ちたら山吹殿とゆっくり話がしたいとおおせになっておりましたのに……」


 北邑さんが着物の袖口を目に当てる。そっか、目が赤いのは泣いてたからなんだ……。でも、小夜さん、そんなに悪いの?あんなに嬉しそうに笑ってくれたのに、こんなに急に?

 なんで?


「どうか、山吹殿、小夜姫さまのおそばにいてくださいまし。御上もそれを望んでおられます……」


      

                  ※※※



「あら、山吹……我儘を言ってごめんなさい……わらわは、どうしてもあなたに会いたかったのです……」


 何段も重ねられたお布団の中に埋まるようにして、小夜さんはいた。

 声は初めて会ったときよりもっとかすれて小さくてて、ときどきそこにこほこほと咳が混じる。


「せっかく……髪を結ってもらったのに……残念……起きられないわ……お行儀が悪くていやだこと……」


 徳之進さんもその枕元にいた。明るく笑って江戸城御免状をくれたときとは別人のような険しい顔をしていた。


「お兄さま……小夜に山吹を会わせてくれてありがとうございます……小夜は……山吹が一度で好きになりました……この髪……素敵でしょう……?」

「ああ、ああ、素敵だとも! 三千世界一の麗しい髪だとも! 山吹にもこれから何度でも会える! だからな、弱気なことを言うでない。良いか。そなたは安心院に嫁ぎ、幸せになる。それだけ、それだけを考えていればいいのだ」

「いいえ……声が出ないだけでなく……体の起こせない娘は……兵吾さまのところには行けません……。残念ね……この髪もすきになってきたのに……」

「小夜!」


 徳之進さんが小夜さんの手を握る。

 僧たちの読経の声がひときわ大きくなった。


「ちと、お坊殿」


 その中でも、いちばん目立つ僧侶にあたしは声をかける。一瞬、迷惑そうな顔をされたけど気にしない。だって、小夜さんの命がかかってるっぽいんだから。


「小夜姫殿にはしゅがかかっておると聞きんしたが、それを取り除くことはなにゆえお坊殿にもできんせんか」

「小夜姫さまにしゅをかけている呪物じゅぶつのありかがわからぬのです。これだけの強い呪ならば、小夜姫さまのお近くに呪物があるはず……。とにかくこうして祈ってはおりますが、相手の呪もよほど強いのでありましょう。祈れど祈れど、見えない板に阻まれているようで……自らの修行不足を痛感するのみ……」

「ふうむ……。呪物があるとすれば、どこでおりんしょう」

「これだけのご不調を招くのならば、小夜姫さまのお身近にあるはずです。この呪、我らが力を尽くした御仏の調伏もいまだ受け付けぬ、まっこと不埒なやつにござります」


 そのとき、北邑さんがキッと前を見て、叫ぶような声を出した。


「私にはわかっております!安心院あじむの家が! 安心院の家が兵吾ひょうごさまには内密にして呪を持ち込んだのです!」


 北邑さん……? どういうこと……?


「やめい、北邑」

「やめませぬ。小夜姫さまは子のいない北邑の掌中の珠! どんなおいえであろうと……ええ、たとえ帝であろうと、けして恥じることのない見事な珠でおられます! それをたかだか髪の色で倦厭けんえんするなど……呪を送るなど……安心院あじむ桂子かつらこは鬼でございます!」

「よせ!」


 徳之進さんがぱしんと北邑さんの頬を叩いた。


「安心院の刀自とじが、小夜の髪の色を好んでいないのは知っている。しかし、兵吾と小夜は好き合う者どうし……だからこそ、だからこそ、万難を排して小夜を兵吾のもとに……安心院の家に嫁がせたいと思う我が心がわからぬか! 好いた男のもとに行きたいという一念で、全てを覚悟した小夜の心がわからぬか!」


 一瞬の間のあと、北邑さんがわっと泣き伏せた。


「されど北邑は悔しゅうございます……! 他の誰がかくも優しき小夜姫さまに呪を送りましょう。小夜姫さまを嫌う兵吾さまの母、安心院あじむ桂子かつらこ以外にいないではありませんか!」





<注>

刀自とじ:戸主を務める女性の尊称、奥向きを采配するその家の女性の尊称です。主に年配の女性を指します。ここでは、安心院兵吾の母、安心院桂子を指します。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る